投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月16日(水)08時55分28秒   通報
ここで挿話をひとつ。
一九七〇年(昭和四十五年)十月下旬、
大宅壮一は息苦しさを訴え新宿区の
東京女子医大に担ぎ込まれた。
弊紙『潮』の編集者が病床を見舞った。

ベットの上で大宅は、封印していた過去を
静かに振り返りはじめた。
「私は『潮』との付き合いを通して、創価学会
を知った。今になって思えば、大変にすまない
ことをしたと思うことがある」

天井を見上げながら、苦い記憶を搾り出すように
言葉を継いだ。

「昭和三十年代半ばのことです。
全日仏(全日本仏教会)」の幹部が泣きついてきた。

『最近、創価学会という宗教が勢いを増して、我々の
信徒がゴボウ抜きのように取られている。このままじゃ
たまったもんじゃない。創価学会は、こんな嫌らしい
宗教だ、と言えるような話はないだろうか』と。

そこで、うちの若い衆に聞いてみたのです」
若い衆。大宅グループと呼ばれた
「ノンフィクション・クラブ」の若手ジャーナリスト
たちである。

「『創価学会は葬式で香典を持って行く』
『位牌や仏壇を壊す』というのはどうか、
となりましてね。根拠は何もなかったんだが・・・・
これが全日仏を通して、一斉に全国に広がって
しまったのです。言論人として、本当に申し訳なかった」

大宅さん、今ごろ詫びても遅いじゃないか。編集者には
思い当たることがあった。

学会は池田第三代会長が就任し、破竹の勢いだった。
やがて、どこからともなく「香典泥棒」などのデマが
流れてきた。長年、不思議でならなかったが、その謎が
解けた。「火のない所に煙を立てる」大宅に傾倒した
若手が、その煙の出どころだった。

巧みなキャッチフレーズを駆使して、戦後ジャーナリズム
を牽引してきた大宅グループ。贖罪の告白を終えた
大宅の顔には、無念さが重くのしかかっているように見えた。

入院から一ヵ月後、大宅は息を引き取っている。

2007年 潮4月号より