2016年11月2日 投稿者:螺髪 投稿日:2016年11月 2日(水)21時29分0秒 通報 編集済 グリグリさんの「生死の姿と三諦論の関係」の論考で思うのは、「いついかなる時、処でも希望はある」ということです。ありがとうございます。 池田先生の「希望から勇気、勇気から智慧が湧く。そして、希望の源泉が信仰にある」(趣旨)との指導を思い起します。その信仰とは「唱題行」です。「信」と言っても具体的には「唱題行」しかありません。 それは、法性の「起滅」とまったく同じものです。「希望」を待った時に、すでに「法性」は起きているのです。 「常住・無常倶に妙法蓮華経の全体なり、化城宝処は生死本有なり生死本有の体とは南無妙法蓮華経なり、釈に云く『起は是れ法性の起滅は是れ法性の滅』と」(御義口伝797㌻) さらに、妙法蓮華経とは「仏性」です。 「夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり」(聖愚問答抄498㌻) ありがとうございました。 Tweet