投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月29日(土)19時22分29秒   通報
「池田大作という人 その素顔と愛と生き方」
 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「A.LOVE.STORY」

そのひとは、そのころ、都内の大きな銀行に
勤めていた。顔が細く、肌が白く、ひとみの
黒さがとても濃かった。女学校時代は、ユリの
花みたいなひとってことで、みんなのあこがれの
マトだったとか。

でも、生まれつき派手ぎらいで、おとなしい性格
だった。手芸と料理がとくいだった。
家はごくかたいサラリーマンで、学会にはいって
熱心に活動しているにいさんがひとりいた。

このにいさんが、ある日、座談会に妹をひっぱって
いった。そこへ池田青年が、ちょうど指導に
来あわせていたんだ。ふつうなら、それだけのことで
終わってしまったかもしれない。

でも、このにいさんと池田青年は、顔をあわせたとたん
、ワッとさけんでとびあがった。「きみか!」という
なつかしそうな言葉が、ふたりの口から同時にもれた。
なつかしい、しかしおそろしい記憶。勤労動員。
米軍機の爆撃。軍人たちのどなり声。その下で、学校
こそ違っていたけれど、いっしょに死とむきあって
働かされた思い出・・・・。

「奇遇だなあ。みんなが近ごろ、”池田さん、池田さん”
ってウワサしてたのは、きみのことだったのか!」
「いやおれこそ、座談会できみに会えるとは思わな
かったよ!」「ともかくばんざいだ。今夜、うちへこいよ
配給のビールで乾杯しよう。・・・・ああ、それから、
こいつは僕の妹だよ。香峯子っていうんだ。

香峯子、この池田君はね、動員工場でにいさんといのちを
あずけあった仲だよ」ふたりはあかくなって頭をさげた。
香峯子さんは、池田青年の火のような情熱的な瞳に、
ひと目でひきつけられ、かれは彼女の、しとやかな
ふっくら包んでくれそうなやさしい感じに強く
ひきつけられた。

こんな風に書くと、ご本人はてれくさがるだろう。
『人間革命』にも、香峯子さんとのことがでてくるけど
、それが激しい恋愛だったとは書いていない。しかし、
だいぶまえに池田さんにインタビューしたとき、そこを
問い詰めたら、「ウン、恋愛・・・でした」とご本人が
困ったような顔でみとめたんだから、こう書くより
しょうがない。

でも、激しい恋愛といっても、それは衝動的なものではなく、
深く突き詰めた精神と精神とのふれあいだった。
しかもそれは、個人的な愛を基点にして、より大きなものを
社会全体への人間愛をめざす恋愛だった。池田青年は
さいしょから、(この女性こそ・・)と思っていたから、
自分の理想をあらいざらいうちあけ、香峯子さんはいつも
真剣に耳をかたむけた。

世界中を仏法の理想でつつみたい。戦争と悲惨と不平等を
なくしたい。みなが幸福に生きがいにめざめさせたい・・。
「すばらしい理想だと思うわ」と香峯子さんはいった。
「わたしももちろん賛成。でも、理想だけじゃないわね?
それはいつか、きっと実現できるんでしょうね?」

「きっと実現できると思う。いつか、必ず。ぼくら学会員が
苦しみに負けないで戦いきることができれば。そして、もし
君が僕についてきてくれるなら・・・」池田青年は、青白い
頬をもやして答えた。

わかったわ。戦って私、どんなに苦しくても付いていきます

香峯子さんは、静かに微笑んで、しかしきっぱり言い切った。

その頃の池田青年は、まだ無名の若い理想主義者に過ぎない。
大学出でもなければエリート・サラリーマンでもなかった。
そんな青年に一生をささげようと考えた香峯子さんには大変な
勇気がいったと思う。(あんな将来性もわからない人に・・・)
と、同僚のOLたちにうわさされる覚悟も必要だったろう。

だけど、香峯子さんは踏み切った。おとなしい彼女のシンには
こんな強さと確かな男性観があった。池田青年が彼女に引き
つけられたわけはこんなところにもあったのだ。それから
あとのことは、『人間革命』に書いてある。二人は互いの
気持ちを確かめあったうえで、戸田さんにすべてを報告した。

戸田さんは「よし!」とうなずいて、頑固な江戸っ子の
代表のような、池田青年のお父さんを説得に出かけた。
説得は成功し、1952年の春、二人は戸田さんの仲人で
貧しい結婚式・・・。

披露宴には、ごちそうもお色直しもなかった。でも、
代わりに、コッペパンの仲間たちが大勢つめかけて、
心から祝った。結婚しても、もちろん家なんかなく、
安いアパート暮らしだったけど、そこには香峯子さんも
全力をあげた手料理があった。「おカネと言えるほどの
おカネはありませんでした。お務め時代の私の貯金は
ぜんぶおろしました。

そして、もっぱら、安くて栄養のあるものでレバーや
油類をジャンジャン食べさせました」いつか香峯子夫人に
会ったとき夫人は優しく笑ってこう言った。仏法では、
こういう男女—夫と妻の強い信頼を”弓と矢”だという。
弓は女性、矢は男性。素晴らしい弓に支えられてこそ、
矢は遠くまで飛んで目標を貫くことができる。

池田青年は、自分にぴったりの弓と巡り合って、張り切った。
彼は座談会から座談会へ駆け回り、1か所で何十人という人たち
を仏法へみちびいた。すさまじい情熱と活躍だった。この波動は
大きく広がり、彼が結婚した次の年には、学会の勢力は74000世帯、
2年前の20倍以上に膨れ上がっていた。