投稿者:無冠 投稿日:2016年10月29日(土)00時59分27秒   通報
全集未収録スピーチ(聖教新聞 2006.5~2010.4)に思う ②

池田先生は、「池田大作全集」が150巻で完了する旨、全集未収録スピーチ(聖教新聞 2006.5~2010.4)の中でも了解されていらっしゃいます。
従って、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)が「池田大作全集」に掲載されない事は、先生ご自身がご存じだったと推測されます。
その際、中枢幹部が151巻以降の増巻による当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の全集収録を先生に進言すれば、先生のご了解はあったかもしれません。
私は、池田先生が重要なご指導である当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の全集への掲載を指示されなかった事に着目しています。
ほぼ同時期、聖教新聞に掲載された『随筆・人間世紀の光(2004.1.6~2009.12.29)』は全章『池田大作全集(135巻-139巻)』に掲載されている事を考えれば、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の未収録は、相応の深い意義が込められているものと思います。

もし仮に、151巻から当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の追加収録がされていたとしたら・・・。
私は、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の存在自体に気付かず、内容についても熟考しなかったのではなかろうか。

先生は、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の随所で『傲慢な最高幹部』の出現を予見し、弟子にその悪と戦うよう命じています。
傍観するなとも明言されています。

『傲慢な最高幹部』自身にとって、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の普及は不都合であるが故に、隠蔽しているのでしょうか。
更には、全集収録済スピーチの普及版なる書籍を重複出版することで、当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の存在を隠そうとしているのでしょうか?
だとすれば、『傲慢な最高幹部』は、全く知恵のない愚か者ということになります。
隠すのなら、先生の膨大な量のスピーチの中に一緒に収録すればそれで良かったのです。
そうであれば、私の様な者が当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)の存在に気付くことも無かったのです。
未収録であるが故に、クローズアップされ、その指導の重要性に気付き、指導内容と現実との一致が誰の目にも鮮明に浮かび上がるのです。

師匠池田先生が、『未来の為に明確にしておく(趣意)』とのご指導です。
不二の弟子として戦うべき方途が、当該スピーチには示されています。
池田先生のご指導どおりの実践行動を積み重ねていく事が、『54年問題の本質』に迫る事にも通じるものと確信いたします。
師匠の大事な当該スピーチ(全集未収録分・聖教新聞 2006.5~2010.4)を創価の現場で大いに宣揚致しましょう。これが本当の師弟不二であると確信します。