2016年10月27日 投稿者:蘭夢 投稿日:2016年10月27日(木)23時33分32秒 通報 無冠様、いつもありがとうございます。 全集未収録の会長就任五十周年記念特別寄稿『創価の魂 地涌誓願の誉れ』 この中で先生が 「創価学会は、この「師弟不二」の魂があるゆえに、日蓮仏法を現代に広宣流布することができたのである。」 また、 「もとより法華経も、日蓮大聖人の仏法も、「師弟」に、その魂がある。」 と言われています。 重要なことです。 このことは、先生ばかりがおっしゃっているわけではありません。 以下に、まだ日蓮正宗が日顕宗という魔に落ちる前の正しき時代の猊下のお言葉です。 日淳上人は、戸田先生逝去の直後、師弟不二についてこのように指南されている。 「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはつきりと確認し、そこから信仰を掘下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。 戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思つております。 師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります。だから法華経神力品において『是の人仏道に於て決定して疑いあることなし』と説かれております。 この決定して疑いあることなしとは、師弟の道に徹底して、そこから仏法をみてくる時に始めてその境涯に到達するんだとこれが法華の段取りになつております。それを身をもつて実行されましたのが戸田会長先生でございます。 戸田会長先生ほど初代会長牧口先生のことを考えられたお方はないと思います。親にもまして初代会長に随つて来られました。これがきよう皆様方が戸田会長先生によつて信仰の眼を開けて頂いたんだと、この師に対する弟子の道を深く考えられましてまいります時に、仏法に、しつかり決定することができるのでございます。 この初代会長、二代会長を経まして、皆様方の信仰の在り方、また今後の進み方の一切ができ上つているわけです。これを一つ皆様の団結の力で、大いに会長先生の志に報いてやつて頂きたいと、ただそれを念願致す次第でございます」(昭和三十三年六月一日 福岡香椎球場 創価学会九州第二回総会御講演 『日淳上人全集』所収) 師弟の道に徹した時、始めてその境涯に到達する。 これが、法華の段取りとまで言われている。 ここから、師弟不二とは、実に生命論であるということが、感じ取れたならば幸いである。 えっ、飛躍しすぎてわからない? 我々が抱く、胸中の池田先生。池田先生が抱く胸中の戸田先生。 そして、胸中の御本尊。 これは、全て同じことを言っている。 胸中に先生を抱き、師弟不二と感じたその生命をそのまま図顕するならば 師匠の生命即ち、南無妙法蓮華経日蓮、それを抱く我が生命は、正に鏡に映した御本尊の相貌となる。 師弟不二とは、生命論だったのですが、みなさん、気づいてましたか? Tweet