2016年10月25日 投稿者:蘭夢 投稿日:2016年10月25日(火)23時36分0秒 通報 紅の歌の歌詞が変わった。 大百蓮華11月号、82頁より、「紅の歌」誕生の秘話が綴られている。 そこには、「紅の歌」が、ただの歌ではなく 先生の想いが込められたものであることがわかる。 歌詞を読んだ香峯子夫人。 「あなたの言いたいことが全部、この歌に入っていますね」 そう、一字一句、先生の想いが込められている。 今回、変わった個所は 「父の滸集いし 吾らあり」 が 「師の滸集いし 吾らあり」 と変わった。 変更理由は、「永遠に師匠と共に」ということらしい。 先生は、「同じ意義だから」とその変更を了承したという。 ここからは、僕の個人の想いとなる。 師弟ということを常々、指導されている先生が、なぜ、一字一句、想いを込められた 「紅の歌」の中で、「師」を使わず「父」を歌詞とされたのか ある父親がいない未来部が先生と会った時、先生は、私を親父と呼んでいいよ。 これからは、私が君の親父だ。 何でも、相談するんだよ。 そう語りかけたという。 この歌詞には、そんな先生の会員を想う、慈愛の心が込められていたとのではないか 僕は、そのように感じながら、この「紅の歌」を歌っていた。 今回の変更、先生は本当は、どう感じられていたのだろうか。 僕ならば、絶対に、このように歌詞は変えないだろう。 先生の想いが一字一句込められたものである。 そして、35年、この歌に励まされ、闘ってきた想い、多くの方の想いがあるだろう。 先生との絆の歌である。 そんなに簡単に変えられるものではない。 少なくとも、僕は、正直。寂しさを感じる。 先生のお心を想うと「同じ意義だから」との言葉は、 同じであるが「父」とした先生の深い想いを 弟子がくみ取れていないそんな気がしてならない。 Tweet