投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年10月21日(金)22時16分24秒   通報
【ポイント】

正しい信心を失うと、異なる目新しいものに飛びつき、日蓮大聖人の本来の教えから離れていく愚かな歴史があった。

また、その邪義を固めるために教団は権威化する。

同じ轍を踏む岐路にいる可能性はないか。
日蓮を悪しく敬うものどもが、次から次へと湧き出るのは何故か。正しい信心を失えばこそではないのか。

正しい信心を教えてくれたのは、誰か。
創価三代の会長であり池田先生ではないのか。

牧口門下はかつてこう述べた。
戸田先生の姿をみて牧口先生の偉大さがわかった。

戸田門下もまた、こう述べた。
池田先生から戸田先生の偉大さを教わった。

三代だけだよ。池田先生はそう指導されているのだ。

信心こそ大切なのであり、それを見失った理論闘争は本来の教学の目的になりえない。

戸田先生は叫ばれた。
信心は大聖人の時代へ、教学は日寛上人の時代へ。

また、信と理の関係をこのように訴えている。

「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」 「教学により信心が強くなり、高まるから、功徳がでる」と。

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【池田大作全集84巻より、沖縄・九州合同協議会での語らい (1994年2月21日)③】

■大石寺″失格法主″の系譜

法主の座を途中で放棄した日精法主について、日亨上人はこう記述されている。

「日昌”にっしょう”(十五世)より日啓”にっけい”
(二十三世)まで、大石寺の九代の山主(法主)は京の要法寺の出身であり……多少の新儀(新しい化儀)を輸入した。

ことに、日精などは、自分の権威の及ぶ範囲の末寺に、仏像を造立して、富士大石寺の古来の化儀を破壊した」(趣意、「史料類聚2」富要九巻)と。

日精法主は、江戸に大石寺の末寺を増やしたが、そこには釈尊の仏像を造立したというのである。

(京の要法寺は、日興上人の弟子・日尊”にちぞん”
の開いた上行院が発展したもので、富士門流の寺だったが、釈尊の仏像を本尊とし、法華経二十八品を読誦するという邪義に染まっていた。

こういう寺の出身者から、九代、約百年間も続けて法主を出さなければならないほど、大石寺は衰え、正しい信心を失っていたのである)

法主が、仏像を造立し、法華経二十八品を読誦するという「大謗法」をおかした。日興上人が御遺誡された、「仏法に相違して己義を構える」法主が出現したのである。

「御本尊根本」の正義が、要法寺の邪義によって、濁ってしまっていた。

そこで日寛上人は、「御本尊根本」「御書根本」の正義を明示されるとともに、邪義で濁っていた宗門を浄化し、蘇生された。

たとえば、「末法相応抄」では、上巻の冒頭で「二十八品読誦」の誤りを、下巻の冒頭で「仏像造立」の誤りを厳しく破折されている。

しかし今、「法主絶対論」に毒された人々は、日顕宗の大謗法を責めようとしない。このように「法主絶対論」は「謗法の法主」をも正当化し、正法を破壊する、危険きわまる邪義なのである。まさに魔物の教義である。

(続く)

平成の日精問題、池田先生のスピーチから宗門の堕落と権威化を学ぶ

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57781

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58048
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【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_

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■■【宮田は平成の日精について①】■■
平成の日精??投稿者:正義の走者

■■【宮田は平成の日精について②】■■大仏のグリグリのとこ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57734