2016年10月1日 投稿者:無冠 投稿日:2016年10月 1日(土)04時17分35秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2009-6-4 【創価女子会館開館3周年記念協議会①】 ■ 世界一なる華陽会かな 一、念願だったた「創価女子会館」を、ついに訪問することができた。こんなに、うれしいことはない(大拍手)。 とくに「名誉館長」でもある妻は、いつもこの福智の宮殿を守ってくださっている役員の方々、さらに全国、全世界から集ってこられる女子部の方々に題目を贈ってきた。 そして、皆さん方からの招待に、早くお応えしたいと語っていた。 本当にありがとう! また、おめでとう!(大拍手) 管理者の方も、いつも大変お世話になります、 きょうは急遽の会合のため、代表の方のみの参加となったが、全女子部の皆さんの健康とご多幸を、私と妻は真剣にご祈念した。 また朝な夕な、一生懸命に祈っている。 お会いできなかった友にも、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。 ■ 水が流れるようなリズムで 一、私たちの信心の根本は題目である。 広布流布へ、師弟が心を合わせて祈る。 同志が異体同心で入る、そこから新しい前進が始まる。 戦いの勢いも生まれる。功徳も大きく広がる。 朗々と、伸び伸びと、前へ前へ、水が流れるれていくような題目こそ、「勝利のリズム」である。 白馬が大草原を走っていくような、清々しい音律が大事である。 題目こそ、絶対勝利の力なのである。 師弟不二の祈りと、異体同心の団結で、どこまでも、晴れやかに、生き生きと、女子部革命を成し遂げていっていただきたい。 〈ハイ/元気な返事が〉もう、すでに勝っている! 一.御本尊に題目を唱え、真剣に広宣流布に進む皆さんが幸せにならないはずがない。 今世はいうまでもなく、三世永遠に幸福になる。 現実は、経済苦や病気、家庭内のけんかなど、悩みは尽きないものである。 しかし、表面上は不幸の格好に見えたとしても、南無妙法蓮華経と唱えていくならば、全部、変毒為薬できる。 すべてを乗り切っていける。成長のバネとしていける。 根本的には、もう、すでに勝っているといってよい。 それは「劇」のようなものである。 悩んでいる姿を演じているけれども、このドラマの結びは、絶対に幸福であり、勝利である。 不幸で終わるわけがない。生々世々、必ず幸福になれる。永遠に勝ち抜いていける。 ゆえに、何の心配もいらないのだ。 ■ 苦難と戦う女性門下へ 一、日蓮大聖人は、苦難と戦う婦人を励まされ、こう語っておられる。 「私たちは必ず仏になると思えば、何の嘆きがあろうか。妃になっても、何になろう。 また天上界に生まれても、通るに足りない」(御書976ページ、通解) このの女性は、老いた義母を真心から看病した。自身も病で苦しんでいた。 大聖人は〃法華経の信心を深めているあなたですから、必ず幸せになります。何も嘆く必要はないですよ〃と温かく激励しておられる。 そして、どんな素晴らしい境遇に生まれてきても、この仏法に巡りあった喜びに比べれば、取るに足りないことを教えていかれたのである。さらに大聖人は、私たちは女人成仏)のみの道を開いた)竜女のあとを継ぎ、法華経の会座で成仏の記別を受けた)摩訶波舎波提比丘尼の列に連なることができるのである。 なんとうれしいことであろうか。なんとうれしいことであろうか。ただ南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい」(同)と仰せなのである。 ■ 「青春桜」と共に 一、きょうはまず、創価女子会館の初訪問に寄せて、女子部の皆様に、3首の和歌を贈りたい(大拍手)。 広宣の 使命も深き 女子部かな 幸福女王 心は光れり 美しき 瞳の彼方は 諸天まで 見つめ讃えむ 勝利の女王と わが女子部 おお賑やかに 平和道 世界一なる 華陽会かな ■ 婦人部のリーダーの皆さんも、忙しいところ、ありがとうございます。皆、女子部時代から、まつしぐらに広宣流布に走り抜いてきた方々である。 きょうは、皆さん方と一緒に何度も歌ってきた懐かしい「青春桜」の歌碑も目の当たりにして、感慨深い。 世界一の婦人部は、本年3月に発表された「婦人部 実践の五指針」を掲げて前進されている。 すなわち 「絶対勝利の婦人部」 一、祈りからすべては始まる 一、わが家は和楽の前進 一、後継の人材を伸ばす 一、地域と社会を大切に 一、生き生きと体験を語る ここで、新たに、「女子部 永遠の五指針」をお贈りしたい(大拍手)。 一、朗らかな幸福の太陽たれ 一、世界一の生命哲学を学ぶ 一、何があっても負けない青春 一、正義と友情の華の対話を 一、永遠に師弟勝利の門を開く この「永遠の五指針」を胸に、妙法の誉れの青春を、最高に誇り高く、希望に燃えて生き抜いていただきだい(大拍手)。 ■ 「華陽」の意義 一、まず第一の指針は「朗らかな幸福の太陽たれ」である。 曰蓮大聖人は、女性の弟子の曰眼女(四条金吾夫人)に仰せになられた。 「明るいことでは、日目に過ぎるものがありましょうか。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがありましょうか。法華経は、日月と蓮華のように最極の法です。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのです。 日蓮もまた、日月と蓮華のようなものであります」(御書1109ページ、通解) 大聖人の御名前は一太陽」と「蓮華」を表されている。 闇を照らしゆく太陽は、最も明るい。 泥にも染まらない蓮華は、最も浄らかである。 この太陽と蓮華に象徴される力用ーすなわち、生命の無明を照らして法性を開きゆく力、煩悩を菩提へと浄化しゆく力を完璧に具足した「法」の当体が、妙法蓮華経であり、「人」の当体が、日蓮大聖人であられる。 若くして、大仏法を受持した女子部の皆さんの生命もまた、最も明るい「太陽」のごとく光り輝き、最も浄らかな「蓮華|のごとく咲き薫っていくのだ。 そのための青春の信仰である。 「華陽会」という名前それ自体に、仏法上の甚深の意義が込められている。 そして、「女子部は一人も残らず幸福に」と祈り抜いてきた、戸田先生と私たち夫婦の願いが凝結していることを、知っていただきたいのである。 ■ 希望を創り出せ 一、さらに御本仏は、偉大なる妙法の力用を、女性の弟子に、こう教えておられる。 「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる」(同1403ページ、通解) 深い闇も、灯を点せば明るくなる。いかなる暗黒も、ひとたび太陽が昇れば、たちまちに打ち破られる。 こうも仰せである。 「太陽が東の空に昇ったならば、すべての星の光は跡形もなく消え去る」(同1393ページ、通解) どんなに華やかに見える星の輝きも、太陽の明るさには、かなわない。 わが女子部の皆さんは、自分自身が、一人ももれなく、「幸福の太陽」である。 ゆえに、自らの境遇を嘆く必要もなければ、人をうらやむ必要もないのだ。 題目を朗々と唱えながら、明るく朗らかに、自分らしい生命の光を、勇気凛々と、そして、自信満々に放っていけばよい。 「女性にとって本当の飾りとは、その人格であり純粋さである」 「より多くの経験を積むほど、人間の幸・不幸は、すべて自分自身がつくり上げるものだと気づく」lこれは、インドの非暴力の闘士・ガンジーの言葉である。 希望も、喜びも、人から与えられるのを、待つものではない。自分でつくり出し、皆に広げていくものだ。そう決めた青春は強い。 苦労している父母にも、自分から親孝行するのだ。 悩んでいる友人にも、自分から励ましてあげるのだ。 「観心本尊抄」には「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(同254ページ)と仰せである。 信心深き皆さん方は、「以信代慧」(信を以って慧に代う)の法理に則って、偉大な 仏の境涯を開いていける。この現実社会の中で、生き生きと価値創造の智慧を発揮していくことができる。 そして家庭でも、職場でも、地域でも、周囲を爽やかに照らしながら信頼と勝利の実証を、一つ一つ示していけるのである。 一、人によって、悩みも境涯も、さまざまである。しかし、必ず打開できる。戸田先生のご指導は一貫しておられた。 「学会活動こそが幸福への近道であり、直道だよ」と。 先生は、信心を根本とした「幸福」について、縦横無尽に論じ、残してくださっている。 「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」 「一人ひとりの生命のなかには、御本尊がおられる」「私たちの生命の中に、厳然と仏さまが顕れれば、もう私たちには不幸などない。大聖人即御本尊の力が、私たちの体に満ち満ちてくるのです」 「この信心をして幸福にならないわけがない。心は女王でいきなさい。創価学会の名誉ある一員として、誇りも高く生き抜きなさい」 ■ 戦えば大功徳が 一、先生は、創価の女性に対して、「信心」に生き抜くことを徹底して教えられた。 「御本尊を信じなさい。創価学会を信じなさい。御本尊の向かつて左側には『有供養者福過十号』(供養する有らん者は福十号に過ぐ)とあるではないか。 戦ったら、はかりしれない功徳を積む。これは御本尊の約束である」 十号とは、仏の十種の尊称である。十号を具えた仏に供養するよりも、はるかに大きな福徳を、皆さんは積んでいけるのである。 さらに戸田先生は語られた。 「御本尊に願い切っていく、その一人の信心が大事なのだ。その一人の人の信心によって、皆が最後は幸せになっていけるのだ」 【創価女子会館開館3周年記念協議会②】に続く Tweet