投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月24日(水)10時30分53秒 返信・引用

大聖人は《法華の敵》の転倒を、こう指摘された。
「彼の阿闍梨等は・自科を顧みざる者にして嫉妬するの間自眼を回転して大山を眩ると観るか」(御書一四五三頁)

――あの高僧たちは、自分の誤りを省みない者であり、嫉妬するあまり、自分の目が回っているのに、大山のほうが回っていると見ているといえよう――。

大山は不動である。
広布をめざす、われらの信心も不動である。その「不動の一念」の周りを諸天が舞う。
大山の不動をしらず、自分の目が回っているのを、大山が回っているごとく大騒ぎしている者たちに、少しでもまともに付き合うことは愚かである。

大聖人が仰せのように「嫉妬」は物を見る目を転倒させてしまう。
まことに愚かな、やっかいな感情のようだ。
その心のすきまに大魔、天魔が入るのである。

また、「彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじんなり」(御書九八二頁)と。

――彼ら程度の蚊や虻の者が、日蓮ほどの師子王を、ちゃんと聞くことも見ることもせず、うわの空でそしっている。それほどの愚人である――と。

大聖人は師子王であられる。
真実の門下の私どもも獅子でなければならない。
蚊や虻は飛び回るとうるさいが、何も確かめもせず、理解もせずして、《聞かず見ずして》悪口したり、作りごとを書いたりしているだけなのである。

獅子が、いつまでも、こうした「愚人」の勝手にさせておいたとしたら、大聖人のお叱りを恐るべきであろう。

ともあれ、広宣流布に戦い、仏子の面倒を見ていく人の周りには、心と心の輪が幾重にも広がる。
いざという時に、たがいに諸天の働きをしてくれる。
行動した分だけ、自分の「生命のネットワーク」「福徳のネットワーク」は、宇宙へと拡大していくのである。
この尊き広布の世界、学会の和合僧を青年部、教学部の力で断じて守り、世界へ世紀へと発展させていただきたいと念願し、スピーチを結びたい。

【青年部・教学部代表協議会 平成三年九月二十日(大作全集七十八巻)】