投稿者:螺髪 投稿日:2016年 9月18日(日)13時34分28秒   通報
 SaySaySayさん、生涯広布&広布一筋さん

 いつも刺激になる投稿をありがとうございます。
 >60年代、米国の科学者クリーヴ・バクスター(Cleve Backster)氏は、嘘発見器(ポリグラフ) を使った実験。
 「植物にも感情がある」
 「万物に霊あり」
 リュウゼツラン※(竜舌蘭)『原始の感応』<

 「帰納的に」ということですので、それは「法」ではないのかと思うのですが、いかがでしょうか。
 「霊」の存在は池田先生も否定されておられます。素粒子から、動・植物、人間、社会、国家、地球……、究極は宇宙にまである、まったく同質の「法」です。
 トインビー博士との対談でも、「究極の精神的実在」を直訳に近い「究極の霊的存在」とするかどうかで迷い、結局、日本には「霊」という言葉には特定の方向を指し示す意味があって、もう少し意味の広い「精神的実在」にされた、とのお話を伺っています。

 どういう「法」かというと、「妙法蓮華経」という「法」です。これじゃ、演繹的になっちゃいますか(笑い)。
 まぁ、どんどん話すことですよね。真面目に話せば、ごくごくあたりまえの言葉から、ひょんな本質をえぐる言葉が、誰かからか出てくるものです。

 生死一大事血脈抄に有名な次の一節があります。
 「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり、妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり」(生死一大事血脈抄P1336)。
 「妙は死法は生なり」と仰せです。

 「妙法蓮華経」の「妙法」は、一面から見るなら「生死」の法です。「妙」は「死」、「法」は「生」です。これを、宇宙次元で捉えれば、「妙」(=死)は単に死に絶えるという狭隘な意味ではなく、宇宙との「(再)結合」と読み解くことができます。一方の「法」(=生)は宇宙からの「分離」(=分身)、つまり「生じる」あるいは「開く」ことと捉えられます。

 この「生死の二法」、「開と合の二法」が宇宙のいたるところにあって、いえ、宇宙そのものがその「生死の二法」であって、あらゆる「生命」に働きかけている、また支えてもいる、ということなのではないでしょうか。

 私も、現時点では、“須田派”の知恵の範囲かも知れません。グリグリさんには、何か、秘蔵の「智慧」があって、私たちがどんどん話すことによって、それを開示してくれるかもしれません。