2016年6月13日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月13日(月)10時15分0秒 通報 如説修行という言葉は「仏の説いた如く修行する」という意味ですが、 日蓮大聖人は法華経に説かれるさまざまな事柄や受難をわが身で体験し 「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」(御書一一七四頁)と訴えます。 そして仏道修行の要を「勧持品と不軽品」に置いて、民衆の幸福のためにすべての戦いに勝利し尊い生涯を終えました。 勧持品には折伏弘教の実践と「三類の強敵との闘争」が描かれ、不軽品には〝不軽菩薩〟という 具体的な人格の行動を通して「増上慢との闘争」が描かれています。 大聖人における折伏弘教の実践と三類の強敵との闘争は、皆さんよく御存じだと思うので、 法華経「常不軽菩薩品第二十(※次から不軽品)」に描かれている不軽菩薩の振舞いを通して、 末法の仏道修行を考えていきたいと思います。 不軽品の設定は、最初の威音王仏(同名の仏が二万億現れた)が滅度し、正法時代が終わったあとの像法時代で、 増上慢の比丘たちが大きな勢力を持っていた時に不軽菩薩が現れたと説かれています。 像法という時代様相は、仏の教えが形骸化し力を失いつつある時で、しかも増上慢の比丘たちが勢力を誇っている世の中です。 このような世(像法)では、末法ほどの悪世ではないにせよ、 必ず既成の仏教勢力(増上慢)が法華経を実践している人々を迫害する構図が存在するものです。 不軽菩薩の最大の特徴は、経典の読誦という伝統的な修行は用いず 「私は深くあなた方を敬い、決して軽んじません。なぜかと言えば、 あなた方は皆、菩薩道を行じて成仏できるからです」との言葉を語りながら、 ひたすら人々を礼拝し賛嘆していったことにあります。 つまり、不軽菩薩は万人が成仏できることを宣言し、 いかなる状況であっても、決して他者を軽蔑しないことを誓った菩薩なのです。 彼の語った言葉は、 漢文で二十四文字(我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏)で著されることから 「二十四文字の法華経」とも「略法華経」とも呼ばれています。 Tweet