2016年6月11日 投稿者:JACK 投稿日:2016年 6月11日(土)18時57分11秒 通報 編集済 〔本村さんの生い立ち〕 生まれ育ちは、熊本県の小さな過疎の村。 村には複式学級の小学校しかなく、中学校・高校は村から離れた学校で寄宿舎生活をした。 〔両親の入会〕 寄宿舎に入っている間に、両親が創価学会に入会した。 実家で暮らしていないから、両親が入会したことをずっと知らないでいた。 〔9年間の反対〕 寄宿舎生活が終わり、実家に戻ったら男子部が折伏に来た。 9年間、信心に反対した。 あまりに強情に反対したため、折伏に来た人が退会したことがあった。 学会に反対している間、様々な宗教書を読んだが満足しなかった。 心にポッカリ穴が開いていて、どの宗教書を読んでも心の穴は埋まらなかった。 〔信心のきっかけ〕 大恋愛で妻と結婚した。 しかし、子供が欲しいと強く願っても長い間授からず、ついに離婚話が出るようになった。 この頃も、家に折伏に通っていた人がいた。 その人は、プロレスが大好きな自分(本村さん)が、プロレスをテレビで見るために、夜、自宅にいる時を見計らって来ていた。 妻がその人に不妊の悩みを話したところ、折伏に通っていたその人は、 『この信心をしたら子供に恵まれる!』 と言った。 私は、 『その話がウソなら、承知せんぞ!』 と、相手に言って、夫婦で入会した。 〔子供を授かる〕 入会後に2人の子供に恵まれ、信仰の正しさを実感した。 〔学ぶ〕 『理論的にも納得しないといかん!』 と思い、池田先生の本を読んだ。 〔実証を決意〕 御書には、 『この信心をする者は世法を得べきか』 とあり、世間からもすごいと言われなければならないと決意した。 〔人間革命冒頭に共感〕 人間革命1巻の黎明の章の冒頭にある、『戦争ほど悲惨なものはない…』に感銘を受けた。 〔集団的自衛権に対する創価学会広報室の当初の見解〕 創価学会広報室は、集団的自衛権について、 『一部分でも容認するなら、憲法を改正すべき』 と、当初は発表した。 〔集団的自衛権に対する公明党山口代表の演説〕 公明党の山口代表も『集団的自衛権反対』の演説をした。 〔武豊町意見採択のきっかけ〕 武豊町の町議会で、集団的自衛権に反対する意見書を出そうというきっかけになったのは、2人いるうち1人の共産党町議から、当時公明党議員だった私に呼び掛けがあったこと。 共産党は議会の度に、日本全国の議会で、全国同じ意見で意見書を出している。 この時の共産党は、集団的自衛権反対の意見書を出そうとしていた。 〔反対意見書を通すために〕 これまで共産党を見てきて、その動きを見ているから、呼び掛けてきた共産党町議に、 『出すだけではダメ!勝たないといけない。大勢の人に呼び掛けて勝ちを取ろう!最大会派のヘッドに相談に行こう!』 と提案し、共産党町議と2人がかりで最大会派のヘッドを説得した。 〔意見書採択の結果〕 武豊町議会の『集団的自衛権に反対する意見書』は、賛成9名、反対8名の結果となり、集団的自衛権に反対する意見書は採択された。 〔もう1人の公明党議員〕 武豊町議会には、意見書採択当時は、私(本村さん)と、もう1人、町議会議長を務める女性の公明党議員がいた。 公明党の女性町議は、公明党本部の方針のとおり、意見書に反対した。 〔公明党の女性町議〕 公明党の女性町議は、議長を務めるくらいの世渡り上手なタイプだ。 〔本村さんの自己分析〕 私自身は、 『言うべきことを言わないかん』 というタイプだ。 世渡りでは損をすることもある。 人間を思う優しさを根底に継続する自分でありたいと思っている。 〔除名の動き〕 意見書採択後、公明党から除名する動きが出た。 自分の前の町議も、組織に『本村強の除名』を呼び掛けていた。 その結果、公明党から離党した。 (以上、本村強さんのお話終わり。) Tweet