2016年5月12日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 5月12日(木)16時43分5秒 通報 ■師弟を忘れて広宣流布はない 悪は、必ず明るみに出る。それが歴史の教訓だ。 昭和54年(1979年)、私は第3代会長の辞任を余儀なくされた。 その背後には、どす黒い心の宗門と、私利私欲に狂った反逆者の謀略があった。 「第3代は一生涯、会長として指揮を執れ!」 これが戸田先生の遺言であった。第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる ── これが恩師の厳命だったのである。 しかし、邪悪に誑かされた当時の最高幹部は、正義を守ることができなかった。 私の手もとには、多くの純真な学会員の方から届いた手紙が、今も大切にとってある。 私の辞任の報に、「なぜ、辞めなければならないんですか!」「辞めなくてすむように、戦った人間は、いないんですか!」「あまりにも、ひどすぎる!」──そうした、やむにやまれぬ怒りが込められていた。 悲痛なまでの叫びの手紙もあった。それを送ってきた人の名前も、私の胸中から離れない。 今、白日のもとにさらされた迫害の構図を、若き皆様は、わが胸に刻みつけていただきたい。 御聖訓には仰せである。 「この法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が競い起こらなかったならば、その法が正法であるとはいえない」(御書1087㌻、通解) 難こそ正義の証しだ。 迫害を避け、自分だけ、いい子になって、うまく立ち回る人間は、にせものである。 だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない。 思えば、戦後、戸田先生の事業が破綻し、最大の苦境にあった時、先生は、やむなく理事長職を辞された。 妙法流布のために、牢獄にまで入った先生である。戸田先生ほど、牧口先生をお守りした人は、いない。 その戸田先生が、責任者の立場を退く──これほど、おかしなことがあろうか。 私は先生の弟子として、断じて先生に会長になっていただくのだと決意した。そこにしか、広宣流布の道はないからだ。 事業の活路を開くため、一人、命がけで戦った。師を軽んずる者には、たとえ先輩であっても、正義を叫び、増上慢を打ち倒した。そして、新しき拡大の突破口を開いていったのである。 将来を決する、大切な皆様であるゆえに、私は、ありのままの真実を申し上げておきたい。ほかのだれでもない、私こそが、学会の真実の歴史を知っているからだ。 牧口先生のもとには戸田先生がいた。 戸田先生のもとには私がいた。 だれが、これからの学会を守るのか。 それは、人ではない。自分自身だ。 幹部だから、先輩だから、立場が上だから、「弟子」なのではない。 真の池田門下として、毅然と立ち上がり、必死の祈りと行動で、一生涯、戦って戦って戦い抜く人間こそが「弟子」なのだ。 仏法の根幹は「師弟」である。創価の三代に連なる師弟の道に生き抜いていただきたい。 「師弟の道」を誤ったら成仏できない。折伏を忘れ、広宣流布を忘れ、一番大事な師弟を忘れたら、学会は崩壊である。 かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。 全員が会長であり、全員が大将軍であかり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。 全国各部協議会(2008・2・22) Tweet