2016年9月2日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 9月 2日(金)02時01分50秒 通報 長者の子様 >獄卒のように数字だけ押し付けてくる人ばかりが中心幹部となっています どんな時も現場だけは死守すると決め、死守してきましたが、今の状況は最高幹部が変わらない限り、現場も守ることができないと思い始めています< >それでも、現場を守る努力をしていくことが学会を守ることになるのでしょうか?< ::::: 法華経の原理は、「本末究竟等」ですので、中枢の一念がズレていれば、現場の一念もズレてしまいます。そのズレから守るために、現場の人間がどれだけ苦労しているか。つくづく創価学会は、現場の会員の信仰心で守られていると感じます。今日もあちらこちらで、人知れず死守されています。 創価学会は永遠に三代会長の指導が中心です。三代会長の指導は、御書根本であり、大聖人直結だからです。中枢(リーダー)の乱れは、現場の乱れに通じるからこそ、組織はリーダーで決まります。しかし、そのリーダーが三代会長の指導通りではないケースが多々あります。この場合は、現場で修正を余儀なくされ、大変な生命力を要します。 広宣流布は、リーダー革命にかかっています。即ち、現場でいくら修正をしても、「応急処置」の域を出ることはできない。現場の会員の努力によって、リーダーがズレていても何とかなります。何とかなるといっても、現状維持がやっとといいうのが実態でしょう。また、現場をどれだけ死守しても、リーダーが変わることはまずないでしょう。なんとかなっているうちは、気づきを得ることができないからです。 リーダーのズレを生むもの、それが学会の根底に巣食う「54年体質」です。弟子が54年体質という迹を打ち破り、真の創価学会を構築すること(発迹顕本)こそが、先生の悲願であり、託されたことです。現状でよければ、「発迹顕本を頼む」と言われるわけがない。 現場を死守するという応急処置を続けても、抜本改革にはならない。応急処置が無駄かというとそうではなく、これはこれで、学会を守る立派な行動です。しかし、あえて言うならば、これは「迹の戦い」です。そう位置づけなければ、先は見えない。そして、54年の総括の眼目もここにある。 真の創価学会構築のキーワードは、「師弟不二」です。中枢も現場も、師弟不二で一貫した時に、広宣流布の新時代を迎えることができる。そしてそこに、創価学会の発迹顕本もある。今はちぐはぐです。中枢よりも現場のほうが、師の心を理解し、体現している。しかしそれも、時間の問題です。長く組織悪に毒されれば、わからなくなってしまう。 リーダーにいかに気づきを提供するか。これがリーダー革命の戦いです。現場を死守していけば、いつかリーダーも気づいてくれる時が来ると、忍耐の戦いを展開している人は多いと思います。しかし、気づくことはないでしょう。むしろ、魔王というものは、その会員の善意(信仰心)すら利用します。悪のズル賢さをなめてはいけない。 人は気づきがあれば変わることができます。逆に、どれだけ注意・忠告されても、気づけなければ変われません。 柔軟で謙虚でなければ、気づきを得られない。頭カチカチで傲慢であれば、どんな忠言にも耳を傾けることはできない。広宣流布を妨げるもの、それは傲慢な幹部(リーダー)に他ならない。 気づきを得るためには、自分で考えるという作業が必要です。つまり、「本当にこれでいいのか?」という動執生疑を巻き起こすことです。これができる人が賢人です。御書に、「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり」(P1151)とありますように、何ものにもとらわれないこと(柔軟で固執しない)が賢人なのです。反対に愚人は、自分の小さな考えに固執(思考しない)し、何かある度に動揺し、自分が確立できていない人のことです。愚人は考えないので、気づきを得ることもできません。 結論的に、組織改革、リーダー革命は、「無理なんだけど無理じゃない」です。会員が賢くなればなるほど、確率は上がっていきます。そして、特定の幹部を倒したところで、54年体質が変わらなければ、同じことが繰り返されます。気づくことのできる人とは対話ができます。気づくことが出来ない人とは対話になりません。しかしそれでも対話をしなければならないのです。 54年体質をひっくり返すために、本当の味方をつくって下さい。真の同志を一人ひとり増やしていくこと。それが確実な道であり、ひいては創価学会を守ることつながります。絶望するにはまだまだ早いのです。 Tweet