投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月25日(木)13時35分24秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-11-10 【第2回 関西最高協議会】

■ 一、第2回の関西最高協議会、まことにご苦労さまです!(大拍手)
 きょうも、晴天です。
 晴れ晴れとした晴天です。
 関西創価学会の前途を祝うがごとくの晴天です!(大拍手)
 今回も、さまざまな方々に、お会いできたことを、心から喜んでおります。また、お世話になったことを、心より感謝いたします。
 関西は、大盤石になりました。
 偉大な存在になりました。
 創価学会の未来に大きな光を放っている大関西の皆様方に、「いつも、ご苦労さま。ありがとう!」と申し上げたい(大拍手)。

●幸せ光る婦人城
 一、はじめに、愛する関西の皆様に、記念の歌を贈りたい。

   世は移り
     戦乱勝利の
    大阪城
  今は関西
 常勝城かな

 人は城である。人材こそ最高の城である。
 また、尊き関西婦人部に捧げたい。

  幸せを
  わが胸光らせ
     婦人城

皆様によろしくお伝えいただきたい。
 そして新出発した関西青年部に贈りたい。

   大関西
     池田門下と
       勝ちまくれ

●「人間革命」の思想を世界へ
 一、「アメリカの著名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏は、「人間革命」の思想の意義について、次のように語っておられる。
 「創価学会の戸田第2代会長は、『仏とは生命なり』と定義することで、万人のための平等な宗教観を確立されました。
 そして、それを池田SGI会長が、人間革命を根幹とした、ヒユーマニズムの思想として、世界に開かれました。
 このSGI会長の功績によって、仏教は、特定の人々のための宗教という殻を打ち破り、世界へと広がることが可能になったのです」 氏は続ける。
「宗教はまず、自分自身の中に、強き信仰を築くとの思想を育むことが不可欠です。
 そして、自分自身の中に築いた喜びを人々に分かち合い、その共感を広げていくことです」
 「創価学会のすすめる人間革命の運動は、まさに、それを実践されております。SGI会長は、この人間革命の思想を『平和の価値』『文化の価値』、さらに『教育の価値』へと高めるなかで、世界宗教の基盤を築かれたのです」
 私のことはともかく、平和・文化・教育の大道を進みゆく「人間革命の同志」の皆様への評価として、ありのままに、ご紹介したい(大拍手)。

 一、中国の名門・福建範大学の鄭一書(ていいっしょ)副学長も、創価の「人間革命」思想に注目される一人である。
 こう述べておられる。
 「創価学会の発展で、見落としてはならない点は、それが”人間革命”に象徴されるように、一人一人を啓発し、人格を高めることを、最大の目的としてきたことです。その意味では、『比類なき大教育運動』といえるのではないでしょうか。
 私は、この点こそが、周恩来総理が生前に創価学会に注目した最大の理由だと思います」  見る人は、まっすぐに見ている。
 人間革命──それは、まず自分が生まれ変わることだ。身近な「一人」を心から励まし、苦楽を分かち合い、ともに立ち上がっていくことだ。
 人類の希望の大道を、地域から世界へと広げてまいりたい(大拍手)。

● あの「大阪の戦い」にあっては、毎朝、勤行のあとに、御書を真剣に拝し合い、皆の勝利への一念を合致させていった。
 不可能を可能としゆく「法華経の兵法」「妙法の将軍学」を心肝に染め抜いた。「絶対勝利」の活力を満々と漲らせて、皆が最前線に躍り出た。そして、勇敢に道を切り開いていったのである。
 御書根本こそ常勝のリズムである。
 戸田先生は、おっしゃった。
 「『教学』を身につける人は『哲学者』である。『哲学』とは、よりよき生活をしていくための『智慧』である」
 女子部に対しては、「女子部は教学で立ちなさい。そうすれば、どんな問題が起ころうとも、決して紛動されることはない」と語られた。
 青年部に対しては、「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛練に、いっそう励んでいただきたい。そしてよき広宣流布の闘士として、末代にまで、自己の名を歴史に残していただきたい」と叫ばれた。
 また、こうも指導されていた。
 「坊主は偉いと思って化儀(形式)に流れるのは、古い信者である。
 我ら創価学会は、日蓮大聖人と御書を通じて直結して行ずるのである」
 「仏法で学んだことは、どしどし口に出して話しなさい。そうすれば、やがて身につくものです」
 その通りだ。広布のために語った分だけ、知識に血が通う。生きた智慧となるのである。

■ リーダーは友に尽くすためにいる。そう戸田先生は敢えてくださった。
 「指導・懇談は、誠実に、わかりやすく。決して、偉ぶって見下して話してはならない」と厳しかった。
 ちょっとした智慧で、友の心を明るくできる。優れた指導者は、気を遺っているそぶりを少しも見せなくても、細心の注意を払っているものだ。
 逆に、最高幹部でありながら、傲慢で、気を遣わず、会員の心がわからない指導者は、その組織にとって”毒”のような存在であるといってよい。これは、どんな世界でも同様であろう。
 また、先生はおっしゃった。
 「ユーモアは、話の中で必要であろう。
しかし、真剣に聞く人に対して、ふざけ半分や、いい加減な話をしたら、求道心の人を見下すことになる。そういう幹部であってはてはならない」
 「ともかく学会員に対しては親切に。学会や世間や会員に迷惑をかける悪い人間は、容赦なく追放しても結構だ。除名しても結構だ」
 責任ある立場をわきまえず、心に”ふざけ”がある人間、同志に迷惑をかける人間を、先生は断じて許されなかった。

●声は”弾丸”
 一、広布新時代の最高幹部は、見栄や格好主義など振り捨てて、同志のために死にものぐるいで戦うことだ。
 使命の天地で勝つためには、「ここを素晴らしい地域にするんだ!」と深く決意し、祈りに祈り、命を削って動くしかない。
 口先を動かすだけではダメだ。自分の「生命を揺り動かす」のだ。後世の人から仰がれるような、立派な幸福城を築いてほしい。限りある人生である。力を出しきらなければ、もったいない。
 広布を阻者とは、リーダーが先頭を切って、「声」で戦うのだ。
 声が剣であり、”弾丸”なのだ。敵を前にして、黙っていては卑怯だ。
声が仏事を為すのである。
 唱題根本で戦う人の心のこもった声は、相手の胸に入る。頭にも入る。たとえ細かい部分は忘れたとしても、不思議と心に残るものだ。

■ 一、戸田先生は語っておられた。
 「古来、師弟の不二なる道ほど、深く尊く、その血脈が永遠なるものはない。師弟の栄光は、永遠である」
 戦時中、戸田先生と牧口先生は、軍部政府の弾圧によって、牢獄へ行かれた。
 牧口先生は獄死。
 戸田先生も、2年にわたる過酷な獄中闘争で体を痛めつけられた。
 しかし、それでも、牧口先生の慈悲の広大無辺は、自分を牢獄まで連れていってくださった──と感謝しておられた。
 私はこれをうかがい、「師弟の精神の根本は、ここだ」と感動した。本当に尊いことである。
 この根本をはずして、何をやってもだめだ。
 今は経済的にも恵まれ、組織もできた。交通も便利だ。すべてがある。
 草創期は、何もかも、なかった。
 私は、師匠である戸田先生に徹して仕えた。戦後、先生の事業が破綻した時に、私はすべてをなげうって先生を護り、支えた。
 あの時は、本当に大変だった。多くの人が先生のもとを去っていった。
 私は、まだ20代。給料が出ない時もあった。その中で、あちこちを駆け回って、一人一人、味方を増やしていった。一切の責任を担って阿修羅のごとく戦った。
 疲れ果てた。機烈な日々であった。
 明日のことさえ、わからなかった。私がいなければ、戸田先生は倒れていたかもしれない。それほど、先生のために尽くし抜いた。
 こういう「一人」の弟子がいるかどうか。それで未来は決まる。
 私は、悪い人間とは、真っ向から戦った。
 私が陰で必死に先生を護り、苦闘を重ねていた時、一部の幹部は、私のことを罵っていた。”池田は会合にも出てこない。退転だ”と。
 私が朝から晩まで働いて、苦境の打開のために奮闘していたことは知っていたはずである。
 じつに意地悪な、愚かな幹部であった。私は大嫌いだった。いわば”偽の学会”の姿であった。
 こうした幹部は、後に同志を裏切り、学会に反逆した。

●師の命を継いで
 一、先生は、ことあるごとに私を呼ばれた。私は夜中でも駆けつけた。
 折伏が進まない。「大作、頼むから、やってくれないか」
 私は、蒲田支部で支部幹事。文京支部では支部長代理。実質的に支部長として指揮を執り、壁を一気に打ち破った。
 学会が伸びれば、社会からの風圧も高まる。先生は私を渉外部長に任じられた。
 私より先輩の大幹部もたくさんいた。しかし先生は、どこまでも若い私を信頼し、頼りにしてくださった。
 先生は言われていた。
 「大作のような弟子を持って、私は幸せだ」
 これが真実の創価の師弟である。
 組織や役職などの「形」ではない。要領でもない。師弟不二の命がけの闘争によって、今日の創価学会ができあがったのである。
 私は勝った。「真実の弟子の姿は、かくあるべきだ」と示しきった。今度は皆の番である。

 一、ある時、戸田先生が私の妻の実家を訪れて、男泣きに泣きながら、こう言われた。
 ──大作には、苦労ばかりかけてしまった。大作は、30歳まで生きられないかもしれない。そうなれば、学会の未来は真っ暗だ──。
 剛毅な先生だった。人前で、涙を見せるような方ではなかった。
 その先生が、人目もはばからずに泣かれたのである。
 どこまでも弟子を大切にしてくださった。ありがたい師匠であった。偉大な師匠であった。
 あれだけ体の弱かった私が、来年、80歳を迎える。本当に不思議なことだ。
 戸田先生は、「自分の命を代わりにあげて、大作を、なんとか長生きさせたい」とさえ言ってくださった。
 まさしく、戸田先生からいただいた私の命である。関西で、私は、ますます元気になった(大拍手)。

■ 一、結びに、大阪事件の出獄後、旧関西本部で、戸田先生が、しみじみと語られた言葉を紹介したい。
 「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていく。そのなかにこそ、仏法の実践がある。それを断行するならば、当然、難が競い起こるぞ」
 「しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。われわれが宿業を転換し、一生成仏を遂げていくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ。だから私は、社会の建設に向かって舵を取り、三障四魔を、三類の強敵を呼び出したのだ」「大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になるのだ」
 関西は、私とともに、真正の師子となった!
 関西よ、広布第2幕の創価学会を頼む!
 二十一世紀の広宣流布を頼む!
 そして、創価の師弟の永遠の常勝を頼む!
 こう申し上げ、私のスピーチとしたい。
 どうか、大阪、京都、滋賀、福井、兵庫、奈良、和歌山、そして全関西の尊き不二の全同志に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 258回目の関西訪問に寄せて、皆様に感謝の一首を捧げたい。

 おお関西
  私の第二の
    故郷かな
  兄弟姉妹に
    勝りし同志か

 常勝関西、頑張れ!
 皆さんお元気で! 長時間、ありがとう!(大拍手)