2016年8月21日 投稿者:JACK 投稿日:2016年 8月21日(日)20時30分42秒 通報 体験談発表者 浜田舞子さん (※氏名は当方が名付けた仮名です。池田先生が、正義と書かれた「横浜」の地と、大悪大善御書の、『迦葉尊者にあらずとも舞をもまいぬべし』に由来します。) 〔はじめに〕 信心をして50年。 入会したのは小学生の時だった。 子供の頃は教えられるまま題目をあげ、成績があがったり、積極的な自分に変わったりと、初心の功徳を頂いた。 〔池田先生との出会い〕 日大講堂で開催された高等部総会に参加した。 そこで初めて池田先生にお会いすることができた。 〔原水爆禁止宣言を継いでほしい!〕 池田先生は高等部総会で、戸田先生の原水爆禁止宣言を継いでほしいと言った。 高等部員は、平和思想を広げる誓いをした。 〔2000年にみんなで集まろう!〕 池田先生は高等部総会で、「2000年8月15日にみんなで集まろう!」と提案された。 高等部員はみんな、退転しないで頑張りたいねと励ましあった。 〔先生の期待と自分の現実〕 池田先生は、「鳳雛よ未来にはばたけ!」と高等部員を激励。 「大学に行きなさい」、「1カ国は外国語をマスターしなさい」と、高等部員に大きな期待を寄せて下さっていた。 しかし、先生の期待が大きければ大きいほど、期待に応えられない自分に悩んだ。 我が家は貧しく、大学進学は無理。 体も弱かった。 〔創価学会が大変なことになったら守ってほしい!〕 先生の期待と、自分の現実の差に悩みながら、池田先生の指導を読んでいたら、池田先生は次のように書かれていた。 「もし将来、創価学会が大変なことになったら、一主婦でもいい。創価学会を守ってほしい」 この時のご指導が、師匠と私との約束になった。 Tweet