学会は世界宗教として大きく飛翔
「会則の教義条項改正に関する解説」(上)創価学会教学部
聖教新聞 1月29日付 4面

「世界広布新時代」――創価学会が、いよいよ世界宗教として、大きく飛翔する時を迎えました。世界宗教としての一層の発展に備えて、昨年11月、「創価学会 教義条項」が改正されました。これについては、全国総県長会議において会長の趣旨説明がなされています(本紙2014年11月8日付掲載)。
ここでは、教学部として、今回の教義条項改正の意義を確認するとともに、若干の補足解説を行います(㊦は30日付に掲載の予定)。

大聖人御図顕の御本尊は全て「本門の本尊」

●はじめに

過日、創価学会の会則の第1章第2条の教義条項が
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」
と改正された。

この改正について原田会長は、「今回の改正は、『魂の独立』(1991年)以来の世界広布の進展に鑑み、創価学会の宗教的独自性をより明確にするとともに、『世界広布新時代』にふさわしいものにするために行われた」
と説明した。

「創価学会の宗教的独自性」 は、会則に 「各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」 とあるように、三代会長の指導のもと、各人が自行化他の実践で人間革命を成就し、仏意仏勅である世界広宣流布を事実の上で実現するための不惜の実践を貫く教団であるという点にある。

その自覚と使命感に立つ以上、学会が「生きた宗教」 として、時代の変化や広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や将来起こりうる課題に責任を持って対応していくことは当然である。

事実、三代会長なかんずく池田名誉会長はこれまでもさまざまな課題に対応し、広宣流布の道を切り開いてこられた。一例を挙げれば、
昭和45年(1970年)の本部総会で、名誉会長は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」 と語った。
そして、あらためて、それまで日蓮正宗の一部で唱えられていた「国立戒壇」 という表現は用いない、戒壇建立は純粋な信徒の総意、すなわち民衆によるものだとの立場を内外に表明し、「信教の自由」を定めた日本国憲法下で、国内の広宣流布を進めていくうえでの無用な社会的摩擦を生じないような対応を行った。

また同47年(72年)から連載された『私の釈尊観』『私の仏教観』などの著作では、学問的な成果を踏まえ、釈尊の事跡、法華経の成立年代などに言及し、人間釈尊の生涯を通して、仏教の源流の実像に迫った。

ここでは法華経の成立を紀元1世紀と推定する学問的研究を受け入れたうえで、仏教の正統な系譜を考察されている。

こうした事例に示されるように、世界を舞台に広宣流布を推進する教団として、その伸展とともに新たに生じた課題に対応して、教義解釈の見直しを行うことは、当然のことである。むしろ、世界の文化・思想を視野に入れ、実証的研究も取りれながら、現代における人類救済の思想を発信していくことこそが、真に世界広宣流布実現のために前進している教団としての使命であるといえよう。

日蓮正宗のように古色蒼然たる教義解釈を墨守して事足れりとし、現実の広宣流布の伸展には責任も関心もないという立場とは全く違う。

今回の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。
また『私の釈尊観』からも40年余がたち、仏教学の実証的研究もさらに進んでおり、今回の改正を機に、そうした仏教学の学問的な成果等も視野の入れながら、日寛教学や、相伝書等についても、慎重に研究を重ね、より普遍的な創価学会教学の構築へ一層の前進を図りたい。

1 三大秘法について

(1)「三大秘法」

日蓮大聖人は、如来滅後に天台・伝教等の残した秘法とは、「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(御書336頁)と示され、「国土乱れて後に上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(同338頁)と仰せられている。

大聖人は、悪世末法の一切衆生の救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明かされ、それを三大秘法として具体的に顕わされた。それが、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇である。

今回、三大秘法についての解釈を、次のように明らかにした。すなわち、
末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく 「本門の本尊」 である。また、「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」 であり、その唱える場がそのまま 「本門の戒壇」 となる。これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。
したがって、「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」 だとするものではない。まして、「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。

(2)「出世の本懐」について

これまで、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」(同1189頁)の一節であった。しかしながら、この両者を結びつける解釈は、古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して、大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察をしておきたい。

まず、「聖人御難事」を拝すると、本抄の趣旨は次のように整理することができる。
一、大聖人御自身が、本抄において、直接、「弘安2年の御本尊」 について一言も言及されていない。
一、本抄は、「仏」(釈尊)と、「天台大師」 「伝教大師」 を挙げて、それぞれの出世の本懐を遂げるまでの年数を示し、そのうえで、「予は二十七年なり」 と言われて、この27年間、御自身が大難に遭われたことを強調されている。これに続く御文の内容もことごとく難について述べられている。
一、弘安2年10月1日の御述作である本抄において、大聖人は、農民信徒の捕縛の後、彼らが不惜の信仰を貫いているとの報告を聞いて、門下一同へ、とりわけ法難の渦中にいる門下へ、種々の厳しい信心の御指導と最大の励ましを送られている。
したがって、この 「二十七年」 という 「時」 と、本抄の 「難」 への言及の本意は、熱原の法難で、農民信徒が不惜身命・死身弘法の姿を示したことを称賛されることにあるといえる。
一、大聖人の御生涯における出世の本懐とは、三大秘法をもって、末法万年の民衆救済の道を完成したことである。

「報恩抄」には、「末法のために仏留め置き給う」正法として、一に「本尊」、二に「本門の戒壇」、三に「南無妙法蓮華経」の題目を示し、この三大秘法の確立によって、「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」(同329頁)と、ご自身の誓願成就を示されている。

一、こうした大聖人の御生涯全体を拝したときに、本抄に「二十七年」と強調されているのは、大聖人が立宗以来、三大秘法の仏法を弘通することによって生じた大難の中、27年目にして、三大秘法を受持し、不惜の信仰を貫く農民信徒が出現したことを鮮明にするためであると拝される。

一、その意味で、「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。
大聖人が、「弘安2年の御本尊」 を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
末法万年にわたって全世界の人々を救うという大聖人の出世の本懐は、三大秘法の確立とともに、「日蓮と同意」 「日蓮が如く」 との精神で、それを担いゆく不惜の門下が誕生してこそ初めて成就する。そこに民衆仏法の真の実現がある。

「聖人御難事」に仰せの「猶多怨嫉況滅度後」の大難を受けながら、大聖人の根本目的を継承し、世界に弘めてきた創価学会の使命と役割は、ますます重要になるのである。

 

創価学会教学部 「会則の教義条項改正に関する解説」(下)

三代の師弟に連なり 世界広布の大願成就へ

1 三大秘法について

(3)「一大秘法・六大秘法」について

日蓮正宗では、「一大秘法」は「弘安2年の御本尊」であり、それを「三大秘法」に開いており、「本門の本尊」は「弘安2年の御本尊」、「本門の題目」はその本尊に唱える題目であり、本尊所住の処が「本門の戒壇」となると説明している(
「三大秘法を合する則んば但一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり」<依義判文抄>など)。

今回の改正により、「三大秘法」の定義を「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく『本門の本尊』であり、『本門の本尊』に唱える南無妙法蓮華経が『本門の題目』、その唱える場がそのまま『本門の戒壇』となる」とした。
会長の会則改正の趣旨説明に「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります」とあるように、「宇宙と生命に内在する根本の法」すなわち南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。
これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」 や 「六大秘法」 ということを使用してきたが、「一大秘法」 が 「本門の本尊」 であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。
御書に「一大秘法」と教示されているのは、「曽谷入道殿許御書」のみである。そこでは、「妙法蓮華経の五字」(御書1032頁)を一大秘法として明かされている。
以上のように、日寛上人が用いられている三大秘法を合した「一大秘法」、また、三大秘法を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものには説かれていない。
これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、「弘安2年の御本尊」を根本の本尊とする、との日寛上人の解釈を採用してきた。
日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。
その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。

なお、こうした立て分けを行い、日寛上人の教学を見直していくという立場をとったとしても、「日寛上人書写の御本尊」を受持することには何の問題もない。なぜならば「日寛上人書写の御本尊」も根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に現された「本門の本尊」であるからである。
これに関連して、「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら、「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが、「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。
「広宣流布のための御本尊」を学会が弘通
2 創価学会に御本尊を認定する権能

いずれの宗教教団も、独立した教団である以上、その教団の本尊、聖典、礼拝施設等を決定する権能を有するのは当然である。仏意仏勅の広宣流布を推進する創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有する。

ここでいう「受持」とは、創価学会が認定する御本尊に、自行化他にわたる題目を唱えることを意味している。すなわち、「受持」は、「実際に目の前で拝む対象」にするという意味を持つが、このような外形的な行為にとどまるだけでなく、当然、積極的な意味での信心が含まれる。
これまで創価学会本部並びに各会員の家庭に授与されている御本尊はすべて学会認定の御本尊であり、具体的な信心の活動としては、これまでと変わりがない。

御本尊の本義は、「広宣流布のための御本尊」である。大聖人は仰せである。

「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるし・として顕し奉るなり」(同1243頁)

池田名誉会長は、この一節をこう講義しています。

「この虚空会の儀式として顕された『本門の本尊』は、釈尊の滅後は、正法・像法二千年間は顕れず、
また顕すことができる人もいなかったと教えられます。そして、まさに日蓮大聖人が、この御本尊を
末法二百年の時に、『法華弘通のはたじるし』として顕されたことが示されています」
「私たちは、日蓮大聖人が顕された御本尊を奉じて、この苦悩と争いの絶えない娑婆世界にあって、
万人の幸福を実現し、平和の楽土を築くために、立正安国論と広宣流布の旗を掲げて勇んで出現した
地湧の菩薩です。その先駆けとして不惜身命の大闘争をなされた日蓮大聖人が顕された御本尊は、
この私たちの崇高な使命を呼び覚ます『広宣流布のための御本尊』なのです」
(『勝利の教典「御書」に学ぶ』第11巻「日女御前御返事」講義)

大聖人が多くの門下のために御本尊を御図顕されたのも、全て「法華弘通のはたじるし」としての
意義を持つことは言うまでもない。
この「広宣流布のための御本尊」を弘通してきた教団が創価学会である。学会出現以前、当時の
日蓮正宗に御本尊流布の実践がなく、本格的な御本尊流布は、牧口初代会長、戸田第2代会長から
始まったことは歴史の示す通りである。

そしてまた、受持即観心の本義に照らせば、御本尊を正しく拝する信心があってこそ、
釈尊の因行果徳の二法を具足した妙法蓮華経の功力を現実に顕すことが可能になる。
「観心の本尊」は、「信心の本尊」でもある。この信心を私たちに教えてくださったのが
創価の三代会長、なかんずく池田名誉会長であることも言うまでもない。
したがって、「広宣流布のための御本尊」を弘通し、「信心の血脈」を受けた創価学会が、
御本尊を認定し、授与することは当然であり、御本尊は等しく「本門の本尊」であるが、
学会員はあくまでも、学会認定の御本尊を受持し、無限の功力を現して、広宣流布に邁進して
いくのである。

また、三代会長の指導は全て私たちに御本尊の本義と信心を教えてくださるものであるから、
僧俗和合時代の歴史的文脈で言われた発言も、その本質は大聖人の教え、精神と私たちを
結びつけるためである。その真意を正しく捉えていくのは弟子の責務である。
3 「広宣流布大誓堂」と「創価学会常住の御本尊」について
日蓮大聖人の御遺命は「法華弘通」即ち「広宣流布の大願」である。
この御本仏のお心のままに「広宣流布の大願」を成就することを誓って立ち上がった、三代会長
の死身弘法によって築かれたのが今日の創価学会である。
池田名誉会長は戸田第2代会長の不二の弟子として、あらゆる障魔を打ち破り、世界192カ国
・地域に世界広布の道を開かれた。
そして、牧口初代会長の魂を受け継いだ、戸田第2代会長が広宣流布の指揮を執られた原点の地・
信濃町に、師弟不二、広布の本陣として、「広宣流布大誓堂」を建立され、まさに「法華弘通のは
たじるし」としての「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの「創価学会常住」の御本尊を
御安置申し上げた。
「広宣流布大誓堂」の勤行会に参加する意義は、池田名誉会長が「まさしく法華経さながらに、
全世界から地涌の菩薩が勇み来り、広宣流布の御本尊と境智冥合して、久遠元初の大誓願の生命を、
昇りゆく旭日のように光らせ、生まれ変わった息吹で出発する黄金の会座であります」と述べられて
いるように、その座に列なり、永遠の師匠である三代会長と心を合わせ民衆の幸福と繁栄、世界
平和、自身の人間革命を祈り、ともどもに広布の推進を誓い合う集いなのである。

誓願は、日蓮大聖人の仏法の根幹である。
大聖人は、立宗の時に、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(御書200頁)
と立てられた誓いを生涯貫かれ、大難の佐渡にあって、「我日本の眼目とならむ、我日本の大船と
ならむ等と、ちかいし願やぶるべからず」(同232頁)と宣言された。
そして、師弟不二の精神で後継の門下が誓願に立ち上がるべきことを、「願くは我が弟子等・
大願ををこせ」(同1561頁)と教えられた。

「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とは、この大聖人の誓願を受け継ぎ、広宣流布に立ち上がった
地涌の教団である創価学会の使命を明確に物語っている。

私たちは、どこまでも日蓮仏法の本義に基づいて、学会教学の旗を掲げ、人間主義の大道を
前進し、万人の幸福と平和の実現へ邁進してまいりたい。

(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)