2016年8月19日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月19日(金)07時46分49秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2007-8-26 【代表幹部研修会】 ■ 一、きょうの研修会には青年部、そして未来部の担当者の代表も参加されている。 わが師・戸田先生は、よく言われた。 「人生、何がうれしいか。道を求めている純粋な青年たちに会うことが一番、うれしい」 私も、まったく同じ心情である。 皆、忙しい中、よく集まってくれた。 本当に、ご苦労さま!(大拍手) 世界の一流の指導者は、必ず青年に焦点を当てている。 いな、後継の青年を育てることこそが、指導者の指導者たる証しにほかならない。 青年を大切にできない心は、それ自体が、権力の魔性に狂わされているのだ。 ■ 一、創価学会は、偉大な信念の大教育者であられた、牧口初代会長、戸田第2代会長のもと、「創価教育学会」として誕生した。 人をつくり、青年を育てる──。 学会の運動は、常に、この原点から出発し、この原点に帰着する。 それゆえに、青年部、そして未来部こそが、学会の希望であり、眼目であり、魂なのだ。 戸田先生は、学会の将来、そして人類の前途を担いゆく子どもたちについて、こう語っておられた。 「子どもは未来の宝だ。未来からの使者だと思って大事にしなさい」 一人一人が、無限の可能性を秘めた大事な存在である。未来を開きゆく宝の人材群である。 「未来部」という名称には、重要な意義が込められていることを知っていただきたい。 また、先生はこう述べておられた。 「子どもは、いつも理想をもって引っ張っていってあげなさい」 子どもたちは純粋だ。偉大なる理想や夢があれば、くんぐん伸びていける。成長していける。 「子どもといっても、一人前として尊重しなくてはいけない。 たとえ今は何も分からなくとも、後であの会合に参加したと思い出すものだ。目で見て、耳で聞いて、体で覚えることが大切なのだ」 これも先生の指導である。 ●深き祈りで! 一、後継の人材を育てていく。それは、いかなる団体においても、極めて重要な課題である。 組織がどんなに大きく発展しても、新しい人材が育たなければ永遠性はない。いくら立派な建物があっても、人材が続かなければ、あっという間に衰退してしまうだろう。 学会においても、もう一度、本気になって人材を見つけ、訓練し、育てていかねばならない。 また家庭の中でも、子どもたちに、信心の偉大さを伝えていくことが大切だ。 「必ず、わが子を立派な信心の後継者に育てていく」──この決意で、子どもたちに接していくことだ。真剣に題目をあげていくことだ。 その上で、子どもが、なかなか学会活動に取り組めない場合があるかもしれない。さまざま事情や状況もあるだろう。 しかし、親の祈り、真剣な行動は、間違いなく子どもたちに通じていく。必ず立ち上がる時が来る。 信心を伝え、教えていくのは、何より子どもの幸福のためである。そして一家一族の永遠の繁栄のためである。 このことを忘れないでいただきたい。 ●可能性を開け 一、創価の人間育成の壮大な展開を、世界の教育・学術界の知性の方々も、深い関心と共感をもって見つめてくださっている。 私が創立した「ボストン21世紀センター」では、新たな学術書『教育の道徳的ビジョン──実践の哲学』を編集した。同書は本年、アメリカを代表する教育出版機関である、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ出版局から発刊された。 同センターの研究書は、これまで累計で、アメリカをはじめ世界の大学の400を超える講座で、教材として活用されてきた。 「教育哲学」をテーマにした今回の出版も、すでにアメリカの教育界をはじめ多くの識者から、高い評価の声が寄せられている。 ジョン・デューイ協会の会長である、ジム・ガリソン博士は、私が同書に寄稿した序文にも論及されながら、こう述べておられた。 「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、”人間とは、文化や人種の差異を克服していける無限の可能性を秘めた存在である”と明言されています。 そしてさらに、”教育は、すべての人が備えている根源的な力を発揮するためのものである”と明示しております。私は、この思想にこそ、現代の教育への力強い回答が示されていると思います」 深いご理解に、心から感謝申し上げたい。 ●勇気を出せ! 一、戸田先生は叫ばれた。 「青年部の諸君は、一人一人が師子となって、千万の敵と戦い、勝利する者である。これが本陣の青年である。青年が歴史を変えよ!」 「青年の時代だ。青年に一切を託す。 青年は死にものぐるいになって、勝ち抜く力をつくりあげよ!」 当時、私は青年部だった。すべて、先生のおっしゃる通りに戦った。 口先の決意や言葉だけではない。実践したのである。行動し、結果を出したのである。 また、先生はこう語っておられた。 「青年時代の歴史が最も大切なのだ。青年は、本部の源流に直結していかねば、大いなる成長はない」 この「学会本部の源流に直結」とは、「広宣流布の師匠に直結」ということだ。 師匠を求め、師匠の指導を命に刻んで戦う。そこにこそ、本当の信心の成長があるのだ。 また、先生は戒(いまし)めておられた。 「悪人は叩き出すのだ! そうでなければ、学会が蝕まれてしまう。信心とは、邪悪への攻撃精神である」 学会を自身の欲望や野心のために利用しようとする人間は、絶対に許してはならない。青年が、先頭に立って、こうした輩とは戦え!─これが先生の厳命であった。 ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの言葉を、皆様に贈りたい。 「悩みから力がわき、健康が生まれる」「悩みは、(人を=編集部注)ねばり強くし、鍛える」(高橋健二訳『若き人々へ』人文書院) 悩んでこそ、本当の力かつく。押しつぶされそうな苦悩を乗り越えてこそ、人は本当に偉大になれるのだ。 ドイツの思想家フィヒテは叫んだ。 「然し勇気を出せ!勇気さえ残っているならば、ほかの何物が失せても構わぬ」(宮崎洋三訳『人間の使命』岩波文庫、現代表記に改めた) 勇気だ。勇気で道を開くのだ。青年ならば! 若き諸君が雄々しく立ち上がり、新たな大闘争の火ぶたを切りゆくことを、私は心から念願している(大拍手)。 ■ 一、人間の本当の偉大さは、どこにあるのか。 それは、華やかな表舞台で活躍することでは決してない。 脚光もない。喝采もない。それでも、自分が決めた使命の舞台で、あらんかぎりの、師子奮迅の力を出し切って、勝利の金字塔を、断固、打ち立てていく。 その人こそが、最も偉大なのである。 慧眼の士は、その陰の労苦を見逃さない。 また、そうした戦いに徹し抜いてきた人の風格は、おのずと、にじみ出てくるものだ。 大歴史学者のトインビー博士が、社会に注がれる眼差しも、まことに奥深く、温かかった。 1969年(昭和四十四年)の7月、人類初の月面着陸の壮挙が、アメリカの宇宙船アポロ十一号によって成し遂げられた時のことである。 博士は、打ち上げが成功した翌7月17日何の朝日新聞に、「月は人類にどう役立つか」という一文を寄せられた。 そのなかで次のように綴っておられる。 「宇宙飛行士の冒険心と勇気は全面的に称賛すべきものだ。 しかしここで想起せねばならないのは、何百人、何千人という科学者、技術者の熟練、苦労、献身、忠誠の支援がもしもなかったとしたら、宇宙飛行士という人類のスターは地面を飛び立つことすらできず、まして月に到着することも無事帰還することもできなかろうということである。 地上で働くこの無数の功労者の業績の方が、宇宙飛行士の功績より倫理的にはずっと感動的なのである」(秀村欣二・吉沢五郎編『地球文明への視座』経済往来社) 世界中の目が、人類初の舞台に立つ宇宙飛行士の姿に注がれるなかで、トインビー博士は、その大偉業を陰で必死に支える、たくさんの科学者や技術者たちを見つめておられた。 さすが、トインビー博士の着眼である。 戸田先生も言われた。 「いかなる偉大な事業でも、すべて、それぞれの部署で、責任を果たす、各人の力が集まって、全体の進歩、発達があるのである」 博士と私の対談は、この月面着陸から3年後のことであった。 ●勇気は逆境における光だ! 一、ともあれ、「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)──これは絶対の「因果の理法」である。 戸田先生の事業が窮地に立たされた時、私は先生のそばに残った。いつでも駆けつけた。一切を捧げて、お応えした。 私は先生と28歳の年の差がある。私より年長の弟子もいた。しかし先生は、ほかのだれも、あてにされなかった。 恩知らずにも、多くの弟子は、先生のもとから去っていった。 押しかける債権者。冷酷な世間の目──。夜通し戸田先生の自宅でお守りしたこともあった。 ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは述べている。 「人間の本性は、逆境に陥ったときにはじめてはっきりと現れてくる」(岡田朝雄訳『地獄は克服できる』草思社) また「勇気は逆境における光である」とは、フランスの思想家ヴォーヴナルグの名句である(竹田篤司訳「省察と箴言」、『世界人生論全集9』所収、筑摩書房)。 私は阿修羅のごとく、必死で戦った。 峻厳であった。 崇高であった。 先生は言われた。 「大作、仏法は勝負だ。男らしく、命のある限り、戦いきってみようよ。生命は永遠だ。その証拠が、必ず、何かの形で今世に現れるだろう」 その通りの「師弟勝利」の確たる証拠を、私は示し切ってきた。 師とともに生き、師とともに勝ち、師とともに未来を見つめた、わが青春──それは苦闘の連続だった。だが、最高の誉れの日々であった。 恩師が発した言葉は、一言一句も、もらさずに、すべて実現してきた。 この不屈の師弟ありて、今の学会がある。 皆さんも、そういう人生を生き抜いていただきたい。 だれが、ほめ讃えなくとも、師匠にはわかる。 もっと、もっと、まっすぐに師匠にぶつかっていく──それが弟子だ。師弟は「不二」であるからだ。 求道の人の、勝利と栄光の証しは、一家眷属が勝ち栄えゆく福運となって必ず現れる。 「冥の照覧」は厳然であることを、どうか、晴れ晴れと確信していただきたい(大拍手)。 ●まずエレベーターで最上階へ 一、本年は、『御書全集』の発刊から55周年である。 学会は永遠に御書根本で進む。一切の勝利の源泉は御書にある。 戸田先生は、常に教えられた。 「不思議なもので、御書を拝せば、他の一切のものが易々と読めるようになる。生活のことも、明確な判断ができるようになる。ゆえに人生に行き詰まりはないのだ」 「最も高き思想から学べ! 御書を拝していけば、あとのことは、全部、わかってくるものだ」 そして、こう、わかりやすく話をされた。 「牧口先生はーデパートの8階ヘエレベーターで上って、それから歩いて下りるのと、8階まで歩いて上り、エレベーターで下りるのと、どちらが楽で価値的であるか──と、よく言われた。 まず大宇宙の根本原理の当体である、御本尊を信ずることにより、すべてが、はっきりするのである。同じように、御書をまず学ぶことが大切である」 一日に一節だけでもいい。日々の広布の戦いの中で、徹して御書を拝していくことだ。 御書は”希望の経典”である。 障魔を打ち破る”宝剣”である。 一、とくに女子部の皆さんは、御書に親しみ、一生の幸福の土台をつくっていただきたい。 戸田先生は最大の期待を込めて語られた。 「女子部は教学で立ちなさい。 どんな問題が起ころうとも、御書を根本とすれば、決して紛動されることはない」 教学で立て!──これが女子部の永遠の指針である。 心に深き哲学がなければ、浅薄な人生になってしまう。 草創期の女子部の凛とした心は、じつに立派だった。邪悪は許さない。勇敢に正義を語り抜く。その先頭が、故・多田時子さんであった。 私は心から女子部の友の奮闘を讃えたい。 戸田先生は、女子部のリーダーを、ある地域の御書講義に派遣されたことがあった。 その地域の幹部に先生は「この女性は、私が手塩にかけて育てた女子部だ。私の代わりに講義に入ってもらうのだから、粗末にしてもらっては困る」と厳命された。 大聖人は「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せである。 女子部が輝けば、創価の未来が輝く。 新世紀の女子部の模範を、今こそ築き上げていただきたい(大拍手)。 ● 一、古代ローマの哲学者キケロは言った。 「善く生きること、幸福に生きることとは、なんと申しても、高貴に生きること、正しく生きることに、ほかならないのです」(鹿野治助責任編集『世界の名著』中央公論新社) しかし愚かな人間は、傑出した人物を、ありのままに讃えることができない。それどころか、不当に貶(おとし)めようとする。 ドイツの哲学者ショーベンハウアーは指摘している。 「嫉妬は、あらゆる種類の個々の傑出した人物に対して、凡庸(ぼんよう)者どもが申し合わせなど抜きに暗黙裡にとり結び、いたるところで栄えている同盟の魂なのだ」(秋山英夫訳『随感録』白水社) 悪らつな嫉妬の心を叩き壊すものこそ、強き信心の力である。 ■ 一、いよいよ、本年の後半戦である。 怒涛のごとき上げ潮で、民衆救済の対話の渦を巻き起こすのだ。 そのためにも、一つ一つの集いに力を入れていくことだ。 戸田先生は強く言われた。 「同志を大切にしていくことだ。この会合に集った同志から、すべて始まるのである。この会合から、勝っていくのである」 小さな会合だからと決して疎かにしてはならない。 集われた同志に感動を与えるのだ。 来てよかったと満足を与えるのだ。 リーダーが、来てくださった方々に、励ましの薫風を送るのだ。 そして一人一人が、自分が「創価学会の会長である」「広宣流布の責任者である」との深き自覚と使命に立って、新しき「創価の第2幕」を開いていただきたい(大拍手)。 Tweet