投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月18日(木)07時43分31秒   通報 編集済
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-8-23 【北海道・東北・中部北陸・信越合同研修会】

■ 一、遠く北海道、東北、中部、北陸、そして信越の尊き広宣流布の指導者が勇み来っての合同研修会

、本当にご苦労さま!(大拍手)
 広布の指揮は、生き生きと執っていくのだ。
 中心者が自分で「拡大の先陣」を切っていく。
 外に向かって、友好の対話を広げる。大切な同志に尽くし抜く。
 そのリーダーの汗まみれの必死の姿のなかに、仏法の真髄がある。広布に挑む学会の心がある。
 その心に触れ、同志は「やろう」「頑張ろう」と立ち上がるのだ。
 皆に「やらせよう」というのは慢心だ。そこからは、皆が一丸となっての組織の勢いは生まれない。
 「口先ばかりで人を諭そうとしても人は心服しない。自ら実践して人を先導して行けば、人はこれにな
らって従って行く」(川上正光訳『言志四録』講談社)
 こう喝破したのは、中部・岐阜ゆかりの江戸後期の思想家・佐藤一斎(いっさい)であった。
 主著『言志四録(げんししろく)』は、私も若き日に読んだ一書である。
 「心を苦しめ、思慮分別に悩んで始めて本当の智慧が現われる」(同)。これも一斎の言葉である。
 私たちには信心がある。御本尊がある。いくらでも智慧が出る。リーダーは悩み苦しんで人間革命して
いくのだ。
 一切衆生を救いきっていく崇高な広宣流布の活動である。
 一斎は語った。
 「天を動かし、地を驚かすような大事業も、すべて、己一個より造り出されるものである」(同)
 中心者が本気で立ち上がり、信心第一、会員第一で動いていくならば、組織が変わらないわけがない。
皆が喜び勇んで、はつらつと続いていくのはまちがいない。

●誠がなければ何も成就しない
 一、「人は人 吾は吾なりとにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」(上田閑照編『西田幾多郎随筆集』
岩波書店)
 こう謳ったのは、北陸・石川出身で、『善の研究』の著作で有名な哲学者・西田幾多郎である。
 正義の道、信念の道を貫く人生は尊い。
 初代の牧口先生と2代の戸田先生は、真実の「師弟の道」を、まっすぐに生き抜かれた。
 暴虐な軍国主義の大弾圧にあって、戸田先生ただ一人が、牧口先生にお供して、獄中闘争を耐え抜かれ
たのである。
 牧口先生は獄死であった。生きて牢を出られた戸田先生は、恩師の三回忌に厳かに語られた。
 ──牧口先生の慈悲の広大無辺は、戸田を牢獄まで連れていってくださいました、と。
 あの戦時中の牢獄での生活が、いかに惨いものであったか。それを感謝までされる戸田先生。
 私は感動した。戸田先生の深き人間性に。生死を超えた仏法の師弟に。
 「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と、日蓮大聖人は仰せだ。
 心が大事だ。
 心で決まる。
 私も同じ決心で、戸田先生への「報恩の誠」を貫いてきた。初代、2代の崇高な師弟の心を、寸分も違
わず「受け継いできた。
 「事をなすには誠がなければ、あらゆるものは成就しない」(前掲『言志四録』)。これも佐藤一斎の
有名な言葉である。

●師弟を教えたい
一、戦後、ただ一人、広布に立ち上がった偉大な戸田先生は、その後、事業の失敗という大難に遭われ
た。
 このとき、当時の最高幹部の中には、お世話になった先生を守るどころか、その苦境につけこんで、追
い出しにかかった冷酷な者もいた。
 私は思った──。
 人間の心は怖い。広布に戦えば、難が起こるのは当たり前ではないか。それなのに、難を恐れ、自分は
戦わない。それどころか師匠を悪者にするとは。なんという忘恩か。なんという卑劣な心か。
 私は誓った──。
 何があっても戸田先生をお守りするのだ。そして将来、必ず、学会の会長として指挿を執っていただく
のだ。断じて、師匠の仇を討つ、と。
 「阿修羅のごとく戦います」と戸田先生に申し上げた。「その心が、うれしいな」と本当に喜んでくだ
さった。
 「艱難 汝を玉にす、逆境は是れ心を練るの好時節なり」(前掲『西田幾多郎随筆集』)。哲学者。西
田幾多郎の日記に記された言葉である。
 先生とともに大難を受けきったゆえに、今の私がある。広布と人生の熾烈な戦いのなかで、私は、峻厳
な「師弟の心」を教えていただいた。
 この創価三代の師弟の魂を皆に教えたいのだ。
 師弟があれば、断じて勝っていける。仏法の根幹は師弟であるからだ。
 「いかなる腐木にも新しい生命の芽がふくことができる。きょう最も楽しかりし」(同)。これも幾多
郎の日記だ。
 時は巡り、戸田先生が第2代会長に就任された、あの晴れやかな5月の3日。
 戸田先生は、「ありがとう!」と落涙された。
 弟子の私の心にも、新しい生命の喜びの芽が大きくふくらんでいた。
 師弟とは、これほどに崇高であり、深遠(じんおん)であり、美しいのである。

■ 偉大なる師・戸田城聖先生にお会いして、この六十年間。
 私は、ただひたすらに、「広宣流布」という、人類究極の幸福と平和の大道の建設に邁進してきた。
 仏法の生命は、「行動」である。なかんずく、指導者の率先の行動である。
 創価学会が、なぜ、ここまで大発展したか。
 それは、初代、2代、3代の会長が自ら先頭に立って、「不惜身命」「死身弘法」で、法のため、友の
ため、奔走し抜いてきたからである。
 この三代にわたる大闘争を通して、創価の永遠の軌道は完璧に築かれたことを、私は、戸田先生の直弟
子として、晴れ晴れと宣言しておきたい(大拍手)。

 一、「法」といっても、それを捨て身で私める「人」がいて初めて、その偉大さと功徳を広げることが
できるのである。これは、広宣流布の厳然たる方程式だ。
 だからこそ妙法を「弘める人」の功徳は絶大なのである。
 どれだけ仏法のために、自ら足を運んだか。
 どれだけ人々のために、仏法の哲理を語り、綴り残したか。
 どれだけ多くの指導者に、正義の法理を勇敢に打ち込んだか。
 どれだけ多くの民衆を温かく励ましたか。
 この人間主義の行動のなかにこそ、人類を救う仏法の威光勢力の拡大がある。
 一、御聖訓にいわく。
 「日蓮によ(依)りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅(いえ)に柱なければ・たもたず人に魂なけ
れば死人なり、日蓮は日本の人の魂なり」(同919ページ)と。
 この大聖人に直結する学会は、今や名実ともに、日本の柱となった。日本の人々の魂の存在となった。

学会が日本の命運を左右する時代に入っているのだ。
 学会の力で、広宣流布をし、仏国土を大建設していくという、これ以上の誉れの人生はない。
 そのことを互いに銘記し合って、新時代へはつらつと出発してまいりたい(大拍手)。

●楽しく進め!幸福のために
 一、人生には、いやなこともあるけれども、何事も楽しくやろうと決めることだ。いわんや学会活動は
、自分自身の幸福のためである。
 動いた人が勝つ。妙法のために動いた分だけ、功徳につながる。その行動が本末究竟して、子孫にも福
運を広げていく。これが仏法の因果である。法華経であり、日蓮大聖人の教えである。私も、これを信じ
てやってきた。
 戸田先生にお会いしてより、60年。一閻浮提広宣流布の大道は、青き地球に光り輝いている。
 わが同志が、広宣流布のために、一軒一軒、友のもとへ足を運び、誠意をこめて仏法の正義を語る行動
が、どれほど尊い振る舞いであるか。社会への偉大な貢献となるか。
 信心に、絶対に無駄はない。広宣流布のための苦労は、自身の生命の大勲章となって輝く。
 日蓮大聖人が、三世十方の諸仏・菩薩・諸天善神が、最大に御賞讃くださることは、間違いない。
 いよいよ、広宣流布の第2幕である。
 全リーダーが、私と同じ心で、私とともに、労苦を惜しまず動いていただきたい。
 そして、広宣流布への一歩を、きょうも、そして明日も、希望に燃え、勇気に燃えて、踏み出しゆくこ
とを祈念してやまない。
 北海道、東北、中部、北陸、そして信越の天地で、新時代の勝利を、断固、頼みます!(大拍手)

■ 一、御書には、こう説かれている。
 「(人間は)命が終われば三日のうちに、その体は水となって流れ、塵となって大地にまじり、煙とな
って天に昇り、あとかたもなく消えてしまう。(しかるに、末法の衆生は)そのようにはかない、わが身
を養おうとして、多くの財産を蓄える。このことは昔から言い古されてきたことであるが、現在のその有
様は、あまりにも哀れでならない」(御書1389ページ、通解)と。
 仏法が説く永遠の次元から見れば、この世でわが身を飾っている地位とか名誉とか財産など、はかない
ものだ。
 日本の伝教大師は「生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪(たきぎ)とならん」(塩入亮達校
注「願文」、『仏教教育宝典3』所収、玉川大学出版部)と、生命の因果を明快に示している。
 大事なのは、自分自身が「どんな人間であったのか」「どれだけ人に尽くしたか」である。
 結論から言えば、最高の妙法に生き抜く人生ほど尊いものはない。
 人のため、法のため、広宣流布に生き抜くことは、わが生命に何があっても崩れない福徳を積んでいる
のである。

●仏の仕事
 一、皆さんは、学会の広宣流布の闘争に勇んで参加された。
 その福運は、永遠に続いていく。
 財力よりも、権力よりも、名声よりも、信心は百千万億倍、偉大である。
 広宣流布という大目的のために戦っていくことは、仏にしかできないことである。
 その精神と自覚をもって戦ってもらいたい。
 絶対の確信をもって、指揮を執っていただきたい。
 その功徳は、子孫末代までも続く。いな尽未来際までも絶対に困らない。
 人間的に豊かになるだけでなく、社会的にも偉くなり、必ず勝ち栄えていく一族となることができる。
 大聖人の言葉に嘘はない。仏法には嘘はない。
 悔いなく、勇敢に戦い進んでいただきたい。

●学会の真実は3代の師弟に
 一、広布の戦いは、どんな場所であれ、“新しい組織をつくる”くらいの気持ちでやらないと、結局、
惰性で終わってしまう。
 最高幹部は、何の飾りもなく、裸一員で、自分に対する甘い根性は全部捨てて、指揮を執らないといけ
ない。
 広布のために、勝つか負けるかである。
 負けない人が同志。勝つ人が地涌の菩薩だ。
 初代、2代、3代は、この決心で戦った。真実の学会の魂は、3代までに刻まれている。

● 気取りを排せ
 一、インドの詩聖タゴールは記した。
 「だれか偉大な精神、言いかえれば真理を愛する人が、彼ら(=古い過去にしがみついている人たち)
の殻を打ち破って、そこに思想の光や生命の息吹きをみなぎらせるとき、彼らは苛立って怒りだすのであ
る。
 思想は運動をひき起こすが、彼らはすべての前進を自分たちの倉庫の安全を脅かすものと考えている」
(森本達雄訳「芸術家の宗教」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社)
 私たちの思想、運動もまた、常に新しくなければならない。心にできる壁を、打ち破るのだ。
 「気取り」や「見栄」は、「驕り」になる。これらの心の動きが、信心をいちばん傷つけるのだ。
 この点、戸田先生の訓練は、それは厳しいものだった。牧口先生と戸田先生、そして戸田先生と私の師
弟は、峻厳そのものであった。
 「不惜身命」と、御書に記されている通りの行動をする、法華経の行者、信心を貫く人を、見くびって
はいけない。
 つまらない地位や学歴などによって推し量れるような、大聖人の仏法ではない。
 そのような輩は、果敢に責め抜き、尊き学会員を断じて護ることだ。
 そして、きょう集った皆さんが率先して、師弟の精神みなぎる創価の城、希望の城、安心の城を、わが
天地に堂々と打ち立てていただきたい。
 長時間、ご苦労さまです! お会いできなかった同志にくれぐれもよろしくお伝えください。ありがと
う!(大拍手)