2015年1月28日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月28日(水)18時34分53秒 「折伏したい」「新聞啓蒙したい」「支援活動したい」、これ自発であり、歓喜である。 「折伏しなければならない」「新聞啓蒙しなければならない」「支援活動しなければならない」、これ他発であり、責任感・義務感である。 私の経験上、自発で結果が出せなかったことはないです。そして、他発の場合、結果が出ることがあっても歓喜はなかったです。日本人のマインドとして、個よりも組織を重んじる傾向にあることから、責任感・義務感での活動になりがちです。そしてここが落とし穴となります。 リーダーの役割というのは、いかにメンバーが自発的に活動できる環境を整えるかであり、そのために気を配り、激励していくところにあります。組織としての結果を出すことなど二の次なのです。ここをはき違えると、結果至上主義となり、数字は出ても、中身が伴わないカラッポ状態となります。これを茶番といいます。 ちなみに私にとっての目標とは「基準」であり、理想の数字。どんな試験も6割から7割取れば合格できます。それと同じように、決めた目標の6割、7割あたりが達成できればいいと考えています。勝ちすぎず、敗けすぎず。勝ちすぎると図に乗り、敗け過ぎると士気が低下します。10割達成は出木杉君であり、逆に反省したくなります。絶妙なラインの目標設定こそが大事でありましょう。これが兵法というものです。何でも自分の思い通りに事が運ぶようにはできていないのが、人生というものでしょう。不測の事態は想定内なのです。 学会員(幹部)の好きなワード、「大勝利」「圧倒的拡大」。これは、目標に掲げた数字を大きく上回ることをいいます。私から言わせると、単純にこれは目標設定ミスです。目標にこだわりすぎると、ただのノルマと化し、「何のため」が見えなくなる現象は頻繁に起きています。 チェックすべきところは、自分も含め、自発的に活動できているかどうかであり、できていないのであればその原因を取り除くこと。そのためには、自分の一念の問題と、組織のシステムの問題の両方をみていかなければなりません。 組織に過度な目標達成への煽りがあれば、歓喜は失せ、義務感になります。それは、組織にやる気を奪うシステムが存在することになります。一番よくないのは、全部自分持ちにさせ、「自分の一念次第よ」と指導してしまうことです。 システムに関しては、体制側の責任であり、改善しなければなりません。 「一人の人を大切に」「現場の声を聴け」「人間のための宗教」、これは有名無実であるのが実情ではないか。実際は、「組織を大切に」「幹部の声を聴け」「宗教のための人間」に成り下がっている。これを転倒といいます。 池田先生 広布と人生を語る2巻より 「幹部の方々は余裕をもっていただきたい。大勢のメンバーを、楽しく毎日善導していくためには、余裕がなくてはならない」 余裕がないと、思考は停止します。思考が停止すると、判断力もなくなり、当たり前が、当たり前ではなくなります。それがやがて、メンバーのやる気を奪い、知らぬ間に、魔の存在となってしまうのです。 Tweet