投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 8月16日(火)20時26分40秒   通報
螺髪様からもご質問の件

<随方毘尼>

仏法の根本の法理に違わない限り、各国、各地域の風俗、習慣や時代の風習を尊重し、それに随うべきである。
随方毘尼は、あくまでも自身の信心を主体的に確立した上で、地域、社会に臨む上で、1つの判断の基準として
いくべきものと考えてよいでしょう。
その地の風俗、習慣に振り回されて、正法という根本の基準を見失ってしまえば、それは、本末転倒です。
  教学の基礎 p328、9
はしょって言えば
「正法という根本の基準を見失わない様に自身の信心を主体的に確立する、その心構えを確認しながら、
仏法の根本の法理に違わない範囲内で各国、各地域の風俗、習慣や時代の風習を尊重しそれに随う」
という事です。
「仏法の根本の法理に違わない範囲内」、、、この判断もなかなか難しいですが、
ましてや、本人の「仏法の根本の法理」の解釈自体がまちがっている場合は、「法理に違わない範囲」も
また、その解釈内で違ってきます。

例えば、私のいるこの国では基本的にはキリスト教が暗黙の社会規範の原点になっている感じがあるので、
公共の場でもそういう事は平気で行われています。。
例えば、うちの子供達は一般の公立の学校に行っていましたが、朝の朝礼では、神への祈りを暗唱する時間があり、
キリスト教の勉強をする授業があります。
朝礼は出ないという事はできませんが、宗教は一応自由なので、その授業を受けない子ども達は、別室で自習となります。
メンバーさん達もいろいろな考え方があるので、その授業を受けさせないようにしている人達がほとんどでしたが、
私は子供達には広く見識を持ってほしかったので、その授業には出させていました。
その代わり、家では子供達に出来る限り宗教間の違い、思想の違いなどを教えて、自分で判断出来るようにしたおかげで、
今では、大聖人の仏法をよく理解しています。
しかし、もし、この様なフォローアップができてないと、子供達にとっては確かに危険です。
もう一件
いろいろな移民の方がいて、いろんな宗教があるこの国ですが、最近わりとインド人のメンバーが増えてきていました。
文化的にヒンズー教の影響が強いこのメンバー達のいくらかは、まだヒンズーの神の像や絵画を持っていて、それも
同時に拝んでいる人達を何人も見ていました。いつかの広布一筋様の投稿にもありましたね。
しかし、組織の指導では、何でも受け入れる体制ですから、そういう神の像も御本尊様と永遠に同居ということになります。
信心?さえあれば大丈夫と全国婦人部長に指導されているとのことでした。
私が、全て御本尊に含まれていると言ったら、さっさと取り外して、早速功徳をいただいていましたが、、。