投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 8月15日(月)08時54分21秒   通報
>後半に「「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと」と
ちゃんと書いてありますし。<

三大秘法(いかに3つの中に本門の本尊という言葉が入っていても)とだけ言うのと、三大秘法総在の御本尊(一大秘法)
と言うのとでは違います。
三大秘法というのは、現実に目の前に形としてある御本尊様(一大秘法)の意義を三つの側面で説明したものです。
三大秘法とは、しいていえば、まだ法理(理)の段階であり、現実に御本尊へと結実していく(事)前段階といった方が
わかりやすいでしょうか。
例えていえばある人の容貌、性格、特質だけを明示しても、それが現実に存在しているその人に結びついていかなければ、
実在の人間としての印象にはならないし、又、その人の現実の生活活動にもつながらない様なものです。
又、逆にいえば、容貌(戒壇)、性格(題目)、特質(本尊)はその人(現実の御本尊)の三つの側面だということです。
これについてはあとで考察を書きたいと思っています。

>一つは、人を敬う、良い振る舞いをせよ=組織、幹部、他宗、批判(建設的な意見も含む)をするな
いったい誰がそんな事言ったんでしょうね?学会員さんの中にはそんな解釈する方はほとんど居ませんし、そんな御書の解釈もありません。(笑<

あなたも少なからず少しぐらい批判を持っているでしょうから、声をあげてみたらきっと解りますよ。
リーダー達は、何も批判がされないと見れる人達には、この上なくやさしいです。
大聖人が御出現されなかったら、良寛も善人としてしか、知られてなかったという事です。
意見されたとき、その人の正体がわかります。