投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月24日(土)15時30分46秒  

師弟の宝冠VOL.6より
戸田先生
「人間というものは、同じことを何度も言われなければ、自分の考えを変えないものだ。そこから、間違いが生ずる。だから、繰り返し、繰り返し注意せよ」

どんなことでも繰り返すことが重要です。勉強も仕事も運動も何もかもが繰り返しです。朝晩の勤行も唱題も繰り返しであり、繰り返すことによって、習慣化されていきます。
何事も習慣化されるまで、約三週間かかります。逆に言うと、三週間継続することができれば、習慣化され、継続していくことが可能になります。

悪を責めることも、何度も何度もやる必要があります。悪は人々に存在を忘れさせようとします。何でもない日常の中に、悪はうごめいているものなのです。忘れさせないよう、これでもかというほど繰り返し叩かなければ、悪を抑止することはできない。善と悪は一体であるが故に、完全に滅すことは不可能なもの。いかに抑止していくかであり、それが仏と魔との大闘争というわけです。これは永遠に戦い続けることになります。だから、悪と戦い続ける人が仏なのであります。

良い言葉が良い人生を創る。朝晩の勤行で読誦している言葉、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」。私はつねにこのことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を、無上の道に入らせ、速やかに仏身を成就させることができるだろうか、と。
これが仏の心であり、この言葉を読誦することにより、仏の一念に自身の一念を合わせていくこと。これが一次元からいえば、勤行する意義と言えましょう。

自己中心の一念から仏の一念に合わせていくことを繰り返すこと。これも何度も何度も繰り返し、自身を変革していく。信心も持続することが何よりも大事であり、やめてしまえば無明に支配されてしまう。同じように、悪を責めることをやめてしまえば、悪に支配されてしまうものです。

仏法は如蓮華在水であり、いかなる汚い世界にいようと、染まることのないことを、蓮華が泥の中より咲き出ずるとも、泥の汚さに染まることがないことで譬えている。学会活動においても、組織悪や官僚主義、成果主義に染まらないことが大事になります。そのためには、悪を責めることを忘れないことであり、それを忘れてしまうと、気づかない間に自分自身も悪に染まっていってしまう。実に恐ろしいことです。

何が善で、何が悪かを混合させ、わからなくさせる働きを魔といいます。内部の悪との闘争は、まさにこの魔との戦いになります。見破るのが困難であり、幹部や組織批判と区別がつき辛いのが特徴となります。仏眼で見なければ本当にわからないことであり、日々の悪を責める透徹した題目をあげ抜いていないと、見分けることができない。それだけ紛然としているものなのです。

はっきりしている外の仏敵を責めるのは簡単です。内の仏敵ほどやっかいなものはなく、創価学会プロフェッショナルでないと太刀打ちできないのです。現場で磨き抜いた本物のプロでないと無理なのです。アマチュア職員レベルではどうにもならないわけなのです。その自覚があれば、本物の職員になれるかもしれません。