投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 8月 3日(水)11時24分10秒   通報
桃太郎様
>会長を批判するのは良いけれど、じゃ誰を中心に広宣流布を進めていくのですか?
学会活動はどうするんですか?

池田先生は会長を中心にがんばりなさいと明確に仰っているのに。
よくわかりませんね。<

:::::::

組織の機構上、会長(最高責任者)を中心にするのは当然の話です。しかし、これは組織論であり、世法です。仏法者は世法だけでなく、仏法の観点から観ていかなければなりません。日蓮仏法を信奉する団体である創価学会は、どこまでいっても「会員が中心」です。ここがわからなければ、世間一般の組織と変わりません。

会員が中心とは、会員一人ひとりが会長ということです。現実には会長は一人ですが、これは役割の問題です。全員が会長だからといって、組織の機構上、全員を会長にしたら収拾がつかなくなるので、その中から一人が選抜されます。だからといって偉いわけでも何でもない。会長になるのは罰ゲームみたいなものです。

会員と同格である会長が威張ったり、自分勝手なことをしたら、会員にしばかれます。会長は、偉くもなんともないのに、組織上は、会員を動かすことのできる権限(権力)を有しています。傲慢な態度など微塵も許されないポジションです。権限を有している分、狂ってしまったら大変です。

会員は、自分のことや、自分の役割(役職)だけを考えていればいい存在ではありません。それではミクロのみの観点です。現実の役割と同時に、創価学会会長の自覚(マクロの観点)が必要です。これが大乗仏教の考え方です。自分の幸福、周りの幸福、一国、世界の平和、そして宇宙へと境涯を拡げていく。宇宙即我、これが日蓮仏法です。

ミクロの視点とマクロの視点の両方を兼ね備えていくのが、個々における人間革命です。そうでなければ、自分の責任の範囲内のみを考える、偏頗な人間になってしまいます。そして、広宣流布の推進とは、誰かを中心にするのではなく、一人立つ自分自身を中心にするということです。一人立った者こそが、真の創価学会の会長です。会長(組織)の指示がなければやらない、動かない。こんな一念の人間がいくら集まっても、烏合の衆でしかない。

広宣流布は、組織の力で推進するのではない。どこまでいっても自分自身の一念です。即ち、自分で決意し、祈って行動する中にしか広宣流布はない。会長とは、会員(真の会長)を支える立場であり、それが会員第一の創価学会です。そこが転倒してしまったら、邪教です。そのことを池田先生は、一貫して指導されています。肝心要の前提が狂ってしまうことは恐ろしく、そうなってしまったら仏法ではないのです。

真の会長である会員が、どうしたら喜んでくれるか、元気になるか。会長並びに幹部が考えることは、それだけと言っても過言ではない。会員奉仕が逆転し、会員を犠牲にすることは許されない。学会の会長は、誰よりも会員に奉仕しなければならない。会員奉仕の会長であってこそ、中心(模範)足り得るからだ。反対に、会員を犠牲にする会長であったのなら、邪魔な存在でしかないのです。