投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 6月23日(木)02時29分29秒
「じょく」への、いちこうさつ、 「げ」
とうこうしゃ、らほつ とうこうび、2016ねん 6がつ13にち。
「くじゅうくじゅう」は、「あか」がおもい、もしくは「かさなる」とよめます。

「じんこうちのう・AI」のせかいがいま、もてはやされています。AIがしょうぎの、あるいは、いごのめいしゅにかった、というあのAIです。
ちょっといぜんに、、「じんこうちのう」のSFえいがで、そのAIが、かんじょうをもちだすはじまりが、この「あか」だったというか、せつがありました。
つうじょうなら、スムースにながれるはずの、じょうほうが、いつしか「あか」のような「くすみ」ができて、やがて、ほんらいのじょうほうでんたつとはちがう、「かんじょう」をもってしまい、やがて、にんげんをこうげきしだすというのが、そのえいがのストーリーです。
だいざいはちがっても、ほかにも、なんぼんかありますね。

このじんこうちのうを、だいきぎょうを、ちゅうしんに「じんじさてい」に、とりいれようとする、うごきがでてきているというから、せちがらいよのなかに、なったものです。こうきゅうかんりょう、いわゆるキャリアぐみは、すでにじったいとして、そういうしくみの、なかにありありました。
ざいにんなかに、じぶんのせきにんでなくても“じけん”がおきると、そのあとの、しゅっせにひびきます。
「みのふとくの、いたすところでございます」っていうのがそれです。
まさか、がっかいほんぶも、そうなっていないでしょうね。
みんな、「ほしん」に、はしってしまいます。

むしろ、ここからが、こんかいのほんだいでしょうか。
にんげんのこころにも、「あか」がしょうじます。
いわゆるごじょくの、「みょうじょく」というものです。
それが、こころのせきさんされた、ふくごうかんねん、つまり「コンプレックス」ではないのか、ということです。「ぞうしき」は、せんじょうのにほうを、ふくみます。
ふくごうかんねんも、ゆうえつと、れっとうの、そうほうをふくみます。
ごじょくとは、こうじょく、ぼんのうじょく、しゅじょうじょく、けんじょく、みょうじょくです。

ごじょくの、その「からだ」、「じったい」が、「ごどんし」、「むさぼり、いかり、おろか、まんしん、うたがい」の、ぼんのうじょく、「ごりし」「しんけん、へんけん、じゃけん、けんしゅけん、かいしゅけん」の、けんじょくからおこることは、なんかいも、おしえられてきました。
こうじょくは、ときのにごり、しゅじょうじょくは、けんまんかほうからおこり、その「たい」は、ないとおおせです。しかし、「みょうじょく」は、あまりかたられてはきませんでした。

「もんぐの、しにいわく、こうじょくは、べつのたいなし、こうは、これちょうじ、せつなは、これ、たんじなり、しゅじょうじょくは、べつのたいなし、けんまんかほうをとる、ぼんのうじょくは、ごどんしをさして、たいとなし、けんじょくは、ごりしをさして、たいとなし、みょうじょくは、れんじしきしんを、さしてたいとなす」、おんぎくでん、P717。

「みょうじょくは、れんじしきしんを、さしてたいとなす」とおおせです。
その「たい」は、「れんじしきしん」です。
「しん」と「しん」の、「しきしん」を、ながく、たもっていると、「みょうじょく」、つまり「あか」が、しょうじてくるとの、おおせとはいせます。
いま、おこっている、さまざまなげんしょうも、この「みょうじょく」から、しょうじてきているとも、いえるでしょうか。だからこそ、そうかがっかいの、じだいは、つねに「せいねん」に、たくさなければなりません。

ところで、この「あか」も、けんりょくしゃのてにはいると、よをおさめる、「カード」として、りようされかねません。
ひとがその、「ちい」から、ひきずりおろされるのは、「せけんのことに、よせて」です。
そのほうが、いっぱんうけして、わかりやすいからです。
いけだせんせいが、おっしゃられる「さけ、おんな、「いせい」、かね」です。

いせいしゃは、それを、そのばであきらかにせずに、じっとたくわえているのです。そして、「このとき」とばかりに、おおやけにする。
こんなことは、せけんではよくあることです。
かねでひとをみちびき、さけで、しょうきをうしなうなんてことは、せけんでは、ざらです。
2ごうさん、3ごうさんがいる、じぎょうけいえいしゃなんて、けっしてすくなくありません。
だが、そうかがっかいには、ないとずっとおもってきました。

これは、せけんいっぱんのはなしです。その「カード」をもって、おおやけにもせず、せっしょくをつづけて、いったらどうなるでしょう。
あんもくの、つめたい、きんちょうかんけいが、できます。いせいもんだいであれば、「○○ちゃん、さいきんげんき?」なんて、たまにいえば、「そのじじつを、しっているよ」とおどかすことが、できます。これが、「かね」「さけ」あるいは、また「いせい」のもんだいが、そのそしきの、なんにんにもおよべば、「あか」のかたまりのような、そしきたいに、なってしまう。
あくまでも、これは、せけんいっぱんのはなしですよ。
もうこれでは、りそうにもえた、せいじょうな、にんげんかんけいと、そしきづくりはできっこありません。

くりかえしになりますが、「ひと」も、「そしき」も、「ある」だけで、このむとこのまざるにかかわらずに、「あか」ができます。
にごります。だからこそ、たえずあたらしい、「いぶき」をそそぎこみこむ、ひつようがあります。
こじんにあっては、ぶっかいの、「せいじょう」のゆげんです。そしきにあっては、せいねんの「せいしん」な、いぶきです。