2015年1月14日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月14日(水)19時26分24秒 創価学会の中には、所謂「活動疲れ」という現象があります。 私の地域のあるB長は30年以上にも渡り、B長をされてきました。その人がしきりに言います「もう辞めさせてくれ」と。 さすがに同じ役職を30年以上やって疲れない人はいないでしょうが、いくら幹部にそれを言っても「代わる人がいない」という理由で却下されます。活動に対する歓喜は消え失せ、ただただ役職をこなすだけの日々を送っておられます。 学会活動というのは、次から次へと戦いが巻き起こり、その都度必ず目標設定があります。そして、モチベーションがあろうがなかろうが、戦いの火ぶたは切られます。それを延々と繰り返します。何十、何百とやっていけば、それは疲弊してくるものです。問題なのは、その戦いが本当に広宣流布前進のためになっているのかどうかが疑問の場合があることです。 戦い終了後に活動家が増えたのか減ったのか。どんな戦いもエネルギーを消耗するので、それなりに疲弊します。だけど、その分、組織が発展するならば、その疲れも吹っ飛び、次の戦いに気持ちもシフトチェンジできます。 組織がどんどん疲弊し、活動家も増えることなく、また同じメンバーで同じような戦いを延々と繰り返したところで、その先に何があるのか。こういった問題を幹部に言っても、「うん、うん、大変だよね。でも、がんばろうな」で終わるパターンも多い。これだと何にもならないです。 今、幹部に問われているのは「問題解決能力」なのです。会員が何か問題を口にする。そこを見逃してはならないのです。それこそが万事を差し置いて手を入れるべき急所であり、組織発展の要なのです。現場の人間の言葉の中にすべてがあります。 池田先生の指導 師弟の宝冠VOL.6より 「何を聞いても、見ても、その本質を見抜いて勝利への手を打ち、価値を創造していかなければ、世界広布の指導者にはなれない。」 「組織の最前線で戦っている皆さん方に対して、幹部自身がどこまで気を配っていけるかである。それが発展の鍵である。」 現実に手を打ってこそ幹部であり、打てば響き、痒いところに手が届かなければ広宣流布は進みません。 「言っても無駄」と思わせてしまっただけで、幹部としての戦いは負けになります。それは時に、やる気を奪い、魔の存在となってしまうのです。 そういう幹部が指揮を執っている組織では、純粋に真面目に頑張っているメンバーほど、疲弊してしまい、歓喜がなくなってしまいます。じわじわ組織の生命力は奪われ、病んでいきます。 池田先生の指導 師弟の宝冠VOL.2より 「大事なのは『実行』です。その人間が、偉いか偉くないか。それは実行で決まる。いくら口がうまくても、立場が上であっても、何も実行しない人間は信用してはならない。」 現場の本音に対して、困り顔で、眉間にしわを寄せているようではダメということです。 Tweet