投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月14日(木)01時05分49秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006・5・10【5・3記念最高幹部協議会】
●難こそチャンス
大聖人は、佐渡流罪という大難の中にあって「強敵を伏(ふく)して始(はじめ)て力士をしる」(同957ページ)
と師子吼された。
敵がいるからこそ強くなる。迫害があるからこそ仏になれる。本物の人材が出てくる。
「難こそチャンス」。ここに仏法の真髄がある。
境涯を開けるか、大福運を積めるか、本物の広布の指導者と立てるかどうか
── 魔が競い起こる時こそ、その重大な境目なのである。
ゆえに、勇気を奮い起こして戦う以外にない。
そして皆を励まし、勝利の要諦を教えて、新しい人材をどんどん育てることだ。
自分に従わせ、命令するのではなく、創価の師弟の精神を教え、ともに成長していくことだ。
人材が出なければ、後は衰亡しかない。よき同志のいるところに、発展がある。
広布のリーダーは、決して偉ぶった態度ではいけない。同志の中に飛び込んで、皆の心を汲み、
心と心を結んでいく指導者であっていただきたい。

●人に会うことが広宣流布
戸田先生は、初代の渉外部長であった私に、よく言われた。
「人に会うことが、広宣流布だ。皆を味方にすることが、広宣流布だ」と。
そしてまた、「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属(けんぞく)となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」とも指導してくださった。
仏法は、遠くにあるのではない。自分の心のなかにある。自分の振る舞いのなかにこそある。
リーダー自身が、どんどん飛び出して、人と会い、心から同志を励ましていく。今こそ最高幹部が働く時である。
どこか奥のほうで、ふんぞり返ったり、人まかせにしたりするのは、とんでもないことだ。
同志に尽くすために幹部はいるのだ。
陰で広布を支えている人がいる。その人を、必ず見つけて、声をかける。尊き労苦に報いていく ── この視線、この責任感を指導者が持っているかぎり、学会は伸びていく。また、護られていく。
今や学会は、世界的に大きく発展した。
同志の皆さま方のお力で、かつてない勢いで前進している。本当に、ありがたいことである。
戸田先生は常々、「三代が大切である。三代で、社会へ、文化へ、大きな布陣をしくのだ」と言われていた。
万代にわたる創価の盤石な礎(いしずえ)を、三代で築き上げることは、私にとって、戸田先生との誓願の成就であり、報恩の遂行(すいこう)である。
目指すは創立80周年。
希望輝く目標に向かって、世界広布の「新しい陣列」を築いてまいりたい(大拍手)。

●令法久住の為めに
「末法万年尽未来際」への令法久住――-すなわち、未来万年を超えて、さらに未来の果てまで妙法を伝えていくために、創価学会をどう永遠ならしめていくか。
私は今、そこに一切の焦点を当てている。
「開目抄」の結びにおいて、日蓮大聖人は、こう仰せになられている。
「法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まられたのは、いかなる心によるのか。
『法をして久しく住せしめんがために、ここにやって来た』と説かれている。
この三仏(釈迦・多宝・十方分身の諸仏)が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子に与えようとされる御心(みこころ)のうちを推察するに、一人子(ひとりご)が大きな苦しみにあっているのを見る父母の心よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強盛であったと思われる」(御書236ページ、通解)
“未来永遠にわたって、苦しむ人々を救いたい! そのために、妙法を永遠に流れ通わせるのだ!”
これが、法華経の真髄の魂であり、広宣流布の根幹の精神である。

●仏典結集の劇
釈尊は、一切衆生を救うことを願った。弟子たちも、師弟不二なるがゆえに、まったく同じ心で立ち上がった。
その弟子たちの心の凝結(ぎょうけつ)が「仏典の結集」である。
御書には、最初の仏典結集に臨んだ門下の決意が、こう記されている。
「百年、千年の後、ないし末法の一切衆生は、何をもって仏をしのぶ形見とするのか」「我らは五十年の間に一切の声聞・大菩薩が聴聞し持(たも)っている経々を書き置いて、未来の衆生の眼目としよう」(同1421ページ、通解)
さらに「諸法実相抄」には、仏典結集の様子が、次のように描かれている。
「釈尊の弟子の千人の阿羅漢は、仏のことを思い出して涙を流し、流しながら文殊師利菩薩が『妙法蓮華経』と唱えられると、千人の中の阿難尊者は泣きながら『如是我聞(このように私は聞いた)』と答えられたのである。他の九百九十人は、泣く涙を硯(すずり)の水として、また『如是我聞』の上に『妙法蓮華経』と書き付けたのである」(同1360ページ、通解)
「私は師から、このように聞いた」「これが正しき師の心である」 ── この真剣なる弟子の叫びが、仏法を永遠たらしめる力となった。
「如是我聞」 ── そこには、師の教えを生命に刻み、勇敢に実践しゆく「師弟不二の心」がある。そして、師の教えを高らかに掲げ、厳然と継承しゆく「師弟後継の心」がある。

●美しき心の世界を守れ
師を敬い、師の恩に報じていく。この美しき心の世界が、学会の世界である。
偉大な人間に怨嫉(おんしつ)するのは、清らかな仏法の世界に、あってはならないことだ。また、あまりにも愚かである。
他のいずこにもない、学会の“心の世界”は、だれ人にも壊されてはならない。悪しき心根(こころね)の人間を入れてはならないと戸田先生は戒めておられた。
「いつの時代にも、裏切り者は必ず出るものだ。そんな敗北者の屍(しかばね)を、君たちは ── 本当の創価学会の同志は、堂々と乗り越えて、前へ前へ進め!」
先生の叫びは、今も私の耳朶(じだ)に残っている。

●提婆達多と慢心と嫉妬
仏に敵対し、仏を亡き者にしようと画策した提婆達多。彼は釈尊と同族であり、釈尊に近い弟子と見られていた。
なぜ提婆は反逆したのか。その本質は嫉妬である。男のヤキモチである。
提婆達多は、師匠から大きな恩を受けながら、いつしか慢心に陥り、自分自身の世界しか見えなくなった。自己中心的で冷酷な心にとらわれ、師を宣揚することができなくなった。
そして、釈尊は年老いたと言って、自らが教団の中心者に取って代わろうと企んだのである。
戸田先生のもとで幹部をしていた人間の中からも裏切り者が出た。牧口先生の時代も、最高幹部が退転した。
日蓮大聖人が御入滅された後、大聖人が本弟子として定められた六老僧のうち、日興上人以外の5人が、師匠である大聖人に違背した。彼らには、日興上人への嫉妬もあった。これが歴史の教訓である。
師弟の精神、三代の会長の精神を、何があっても守っていくのだ。それが、全学会員を守っていくことになる。
この一点を忘れないかぎり、広宣流布の前進は永遠に行き詰まることはない。
「学会のために!」「師のために!」 ── この一念で私は戦い抜いてきた。この一念があれば、どんな苦難も乗り越えられる。
学会の根幹である師弟の道を絶対に踏み違えてはいけない。そうなったら、永遠の後悔を残すことになる。
師弟の精神が薄れていくなら、広宣流布の将来は危うい。悪人がのさばり、純粋な会員が苦しむようなことは、決してあってはならない。ゆえに私は、声をかぎりに真実と正義を叫んでいる。
戸田先生は「広布破壊の極悪、学会の恩を仇で返す恩知らずは、絶対に許すな!仏の敵であるゆえに、どれほど厳しく言っても、言い過ぎることなどない」と言われていた。

●役職は責任職
学会の役職もまた、責任職である。幹部であればあるほど、その責任は重い。
自らが会員同志の「僕(しもべ)」となって仕えゆく決意なくして、広宣流布の前進への責任は、断じて果たせない。

創価学会もまた、広宣流布の大理想を目指し、わが身をなげうって、陰に陽に献身してくださる学会員のおかげで、滔々(とうとう)たる大河のごとき発展を遂げることができた。
まじめに戦ってくださっている同志を心から大切にする。ここに、学会発展の根本のカギがある。

幹部は、絶対に傲慢になってはいけない。謙虚でなければいけない。幹部が偉ぶる時代ではない。学会は、全員が平等である。異体同心で進むのだ。
幹部は会員に尽くし、皆を尊敬していくのだ。礼儀正しく、皆の気持ちが、ぱっと明るくなるような振る舞いを心がけていくのだ。

戸田先生は言われた。
「折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人。この最も尊き同志を、最も尊敬し、最も感謝し、最も大切にしていきなさい」と。
一生涯、会員のために生きよ、同志のために尽くし抜け! ── それが恩師の叫びであった。

●強き信心で魔を破れ!
魔の働きは、本当に恐ろしい。
しかし、その魔も、妙法流布に命をかけた真の法華経の行者には、絶対に取りつくことができない。
そこで、魔は、権力者や周囲の人間に取りついて、法華経の行者を怨もうとするのである。
妙法は、永遠に、仏と魔との闘争である。
「月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がその隙につけこんで襲ってくるであろう」(同1190ページ、通解)との御聖訓を、よくよく心に刻んでいくべきである。
「たゆむ心」に負けない信心の人は、魔を断じて寄せつけない。
そして、周囲に蠢(うごめ)く魔の働きを、鋭く見破り、打ち破っていくことができる。ゆえに、「月々日々に」信心を強めていくことだ。
有名な「新池(にいけ)御書」にも、「始めから終わりまでいよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう」(同1440ページ、通解)と仰せである。
信心は、最後まで厳然と貫いていくことだ。いよいよ、はつらつと、生き生きと、突進していくことである。
戸田先生は「恩を仇で返すやつは、人間として極悪だ。そんな人間は、クズの中のクズだ」と厳しく言われた。
断じて忘恩の人間になってはならない。