2016年4月8日 投稿者:七色いんこ 投稿日:2016年 4月 8日(金)00時55分44秒 通報 随筆 人間世紀の光 96「鳳雛会」の使命の舞(一部抜粋) 青春の『誓い』を共々に果たせ! 広布開く闘将こそ新世紀の鳳凰 「行動」が君を勝利者に 昭和三十五年の五月三日、私は、第三代会長になった時から、”わが人生の勝負は二十一世紀だ”と、心中深く決意していた。 ◇ 全体の指導会の折、私は、率直な心情を語った。 「もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。 私は、これからも、諸君のことを、十年、二十年、三十年と、見守り続けていきます」 ◇ それから十星霜??。 昭和五十一年の夏八月二十日、私の胸は弾んだ。 鹿児島・霧島の九州総合研修所(現・二十一世紀自然研修道場)で開催さ れた「鳳雛会」結成十周年の大会に、使命の「一剣」を磨いた若人たちが勇んで集ってきたのだ。 今や、少年少女ではない。凛々しき青年であった。 私は、既に”若鳥”と成長した鳳雛たちに、広布のバトンを託そうと決めていた。 「将来、もし、学会が、一歩でも二歩でも後退するようなことがあったならば、全責任は諸君にある。諸君がだらしないからだ」 私が語ると、皆の顔に緊張が走った。 十年前は”私の責任”と言った。しかし、諸君は、もう子どもではない。 広宣流布の全責任を決然と担ってこそ、わが鳳雛会である。 「責任」を担うとは、自分自身が広布の主体者として、「一人立つ」ことだ。その熾烈な戦場から、断じて逃げないことだ。 ◇ 戸田先生のもとで学んだ中国の古典『十八史略』に、忘れられない場面がある。 それは、項羽と劉邦の大闘争の渦中であった。戦力で劣る劉邦の劣勢は明らかであった。 その時、劉邦の側近の張良のもとへ、親しい友人が訪ねてきて、今のうちに見切りをつけて、逃げるように勧めた。 しかし、張良は毅然と拒絶した。 「危難にあって、同志を見捨てて逃げるのは、義にもとる」というのである。 こうした心固き人材の力で、やがて劉邦は張良と共に天下統一を成し遂げたのである。 いざという時に、本当の心がわかる。 いついかなる時も、誇り高く、決然と「異体同心」の信心を貫いて勝ってきたのが、わが鳳雛会である。 臆病にも同志を裏切り、学会に弓を引いた卑怯者を見るがよい。その末路は、例外なく、哀れな敗残の姿を示しているではないか。 『十八史略』において、宋の時代の名宰相・司馬光はこう語った。 「私には特に人に優れた点などない。ただ、私は、今まで一度も、人に語れないようなことだけは、何一つしたことはない」 名聞の奴らが何だ! 出世主義の奴らが何だ! 恩知らずの人間が何だ! 「私は同志と共に戦い切った!」と、胸を張って言える人生こそが、勝利なのである。 2005年(平成17年)8月23日付 聖教新聞掲載 久々の投稿です。もちろん私は当時の鳳雛会メンバーではないのですが。。。 大阪での座談会に参加させて頂いて 決意を固めた一人であります。 Tweet