2016年4月5日 投稿者:カンピース 投稿日:2016年 4月 5日(火)15時54分52秒 通報 小生はぐりぐり様ほど教学力はありませんが、私見ながら思う所を述べてみたいと思います。 貴兄投稿の少し前の御文です。 「善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり」(563P) 人には善と悪と善も悪も包括した心の三種類があるということですね。そして貴兄の投稿部分に至ります。 「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕して神通と名くるなり神通とは神(たましい)の一切の法に通じてさわり無きなり」(563P) 我々は簡単に言葉を発しますが、その裏には当人の心の思いがあります。ただ凡夫は発する言葉の裏にある心に迷って、善悪を知らずに悟らず(判断せず)に発していることが多々あるとの事と思います。 そして仏は「善」と「悪」と「無記」を悟って言葉を発する人の事と言えるでしょう。 私見ではありますが、物事の判断基準として「法を護る」のが基準となって言葉を発し、行動する人こそが仏とも言えると思う所です。 変な言い方ですが、執行部やそれに連なる方々も「創価学会を護る」ために行動し、この掲示板に連なる方々も「創価学会を護る」ために発言しています。 では同じ言葉でも、その根底にある判断基準は何か、何のために発言しているのかを検証することが大事な事と思います。 単に「我が身と親族の繁栄」のためか、「自身の存在を壊さない」ためか、「仏意仏勅」を壊さないためかが問題になると思います。 勝手ながら小生は、今の創価学会(執行部)は会則改正及び御観念文変更、昨今の査問・処分・除名の嵐を見るにつけ、とても「仏意仏勅」を護るためとはとうてい思えません。それはあまりにも「師匠の心」に反しているからです。 多くの一般会員は執行部を信じています。小生はそんな方々に一刻も早く「凡夫」を信じるのか「法」を信じるのか、目覚めてほしいと切に願います。 「凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり」この御文を噛み締めてほしいです。 この掲示板も当初は、ほんの一部の「おかしいと思う」僅かな方々の意見から始まりました。それが今や同じ思いをもつ多くの方々の情報発信・啓発の場となっています。アメリカ・フランスからの発信もあります。こんどはどこの国から発信されるか?期待しています。 小生もこの板で、決意した一人です。今後も声を挙げることを継続する決意です。 Tweet