投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 4月 4日(月)14時20分21秒   通報
何事にも瑞相がある。非人間主義がはびこる時、それは、人間主義が台頭する前兆である。人間主義の時代のうねりは誰にも止めることは出来ない。それが心から求められているものだからだ。

先日の創価大学入学式の創立者のメッセージより
「世界には、ますます生命を蹂躙する暴力が噴出しております。それゆえに私たちは、生命尊厳の旗を、いやまして勇敢に聡明に掲げてまいりたい。レオナルドが『魂の中の最善なるものは智慧である』と洞察した如く、正義と人道と共生の智慧の力をいよいよ強めていきたいのであります。生命の尊厳といっても、抽象論ではありません。皆さんが賢者となって、自身と、縁する一人一人の生命を大切にすることから始まります。」

暴力溢れる世界だからこそ、自身は生命尊厳の人間主義を貫く。学会内においては、組織主義・官僚主義が蔓延っていても、益々自分自身は、人間主義を高らかに掲げていく。そして現実に、自分自身が、「これぞ人間主義」という振る舞いをしていくことが、もっとも崇高な生き方であり、師弟の道でしょう。それには、勇敢でなければならない。また、勇敢が蛮勇になることを防ぐためにも、賢明でなければならない。非人間主義が台頭すればするほど、それ以上の勢いで、人間主義を強めていくこと。それが悪を打ち破るポイントです。

非人間主義が溢れ出ている今日、「益々勇気が湧いてきます」と、賢者は喜ぶ。反対に、愚者は嘆き悲しむ。毒は出なければ薬へと転換することはできない。日蓮仏法とは、大悪を大善に転換する究極の法である。まさに今、創価学会が実質的に、人間主義へと大転換する好機到来なのである。一人ひとりが、人間主義を強く意識することが肝要である。一人を蔑にする流れであるならば、今まで以上に一人を大事にすることを心掛ける。それが善の戦いとなる。

人間主義の大地があってこそ、優れた人材は育まれる。それが道理というものだ。真の正義もまた、人間主義の中にある。そしてこれが、池田先生の心であることも明瞭である。仏法は勝負であるが故に、人間主義が勝つか、非人間主義が勝つかの戦いである。非人間主義に支配されれば、人類は闇であり、人間主義が勝てば光だ。自分自身がどちら側につくのかという話でもある。54年は、非人間主義側に弟子がついたからこそ、敗北の歴史だったわけです。であるならば、断じて同じ過ちを繰り返してはならない。

自身の一念が人間主義なのか、非人間主義なのか。それを厳しく問う時である。一念だけはごまかすことはできない。もしも非人間主義であるならば、速やかに人間主義の一念に、転換すべきである。勇敢でなければ、自身の一念のズレを認めることはできない。立場が上であればあるほど、それは難しいことである。それでも信心があるのであれば、やらなければならないのである。