投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月25日(金)11時38分25秒   通報
先月、中国の改革開放の電源地・広州市で、中山大学と創価大学が協力して国際学術シンポジウムを開き、反響を呼んだ。

テーマは、「孫中山(孫文)と世界平和」。

孫文先生は、ご存じのとおり、「近代中国の父」と仰がれる、平和と人道の大指導者である。
その平和思想について、孫中山研究所の林家有所長は、こう指摘しておられる。(論文「孫中山の平和学説」)

――いかなる時代であれ、いかなる民族であれ、民族や社会制度や意識形態の壁を越えて、「文化の交流」を促進し、「王道の力」で、人々の心を結んでいく。そうすることが、「ともに信頼しあい、ともに許しあい、ともに助けあい、ともに尊敬しあう精神」を打ち立て、根本的に「世界平和」の環境を創り上げ、根本的に戦争を駆逐していく。これこそが、真正の「恒久平和の道」である――

これが孫文先生の考えであったと林所長は洞察しておられる。

まさに、私どもの平和・文化・教育の民衆運動は、その道を、まっすぐに進んでいるのである。

(林所長は語っている。「孫中山先生の精神は池田先生の精神であり、池田先生の理想は、すなわち孫中山先生の理想であると確信します。二人は、国際〈地球〉主義者であり、真の平和主義者であり、博愛思想の継承者です」と)

自身の「平和思想」を広げる手段として、孫文先生が、もっとも力を注いだことは何であったか? それは、「軍事による戦い」ではなく「言論による戦い」、すなわち「宣伝」であった。

孫文先生いわく。「今までの歴史をふりかえり、世界における文明の進歩が大半は宣伝によったものであることを証明してみよう」(西村成雄訳、『孫文選集』2、伊地智善継・山口一郎監修、社会思想社)

孔子も列国を周遊して「宣伝」をした。それが中国の文化を生んでいった。孫文先生はそう述べて、さらに「仏教のようにインドからアジア全域に流行し、信仰するものの数は他のどの宗教よりも多い。それもみなシャカムニ(=釈尊)が宣伝にすぐれていたことの成果である」(同前)と強調しておられる。

どんなに優れた思想でも、それを語り、伝える人がいなければ広まらない。

インドの仏教が世界に広まったのも、釈尊とその弟子、さらに後継者たちが、命がけで正義を宣べ、伝えていったからである。

御聖訓には「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と仰せである。

孫文先生自身も、大胆に、恐れなく、「民衆こそ皇帝」との哲学を語りに語っていった。晴ればれと、こう振り返っている。

「余は、かつて革命を提唱し、しばしば多くの反対者にでくわした。それら反対者の心理を詳細に考察してみると、大方のものは先入観をもっていて、これを改めようとはしない。余はあらゆる方法によって、相手が諒解するまで、くりかえし指導し、勧告してきたし、さらに、もっとも反対する心理を、もっとも賛成する心理に変え、わが党のために熱心に尽力し、わが党の主義のために奮闘するようにしてきた」(寺広映雄訳、前掲『孫文選集』2)

黙っていては、何も変えられない。誤った先入観を打ち破るのは、「正義の声」「確信の声」の響きである。たじろがず、ためらわず、恐れなく、語って語って語りぬく。人々の心を揺り動かし、正義へ、真実へと目覚めさせていく。

ここに対話の醐醍味がある。「歴史の地殻変動」は、民衆の対話から始まるのである。

御書には仰せである。

「とにもかくにも法華経を、強いて説き聞かせるべきである。(それを聞いて)信ずる人は仏になる。謗る者も、それが″毒鼓の縁″となって仏になるのである。どちらにしても仏の種は法華経よりほかにはないのである」(五五二ページ、通解)

正義を語った分、すべてが仏縁となり、幸福の方向へ、成仏の方向へ、大いなる波動が広がっていく。これが仏法である。人間主義の対話運動である。
さらに、孫文先生は呼びかけている。

「一人が十人に、十人が百人に、百人が千人に伝え、長い時間かければ四億人に伝えることができよう」(西村成雄訳、前掲『孫文選集』2)

これが、古今東西を問わず、まことの革命児の心意気である。

池田大作全集92巻
山梨代表協議会 (2001年4月4日)