【創価思想の永遠性と偶像化】8/8 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月 5日(日)12時10分58秒 編集済

創価三代の偶像化を止めるには、弟子がもう一度、
信心の基本である「信・行・学」に徹し抜くしかありません。

本来、法華経は如是我聞して誰もが説ける法門です。

私たちで言えば、会長だけが、上位役職者だけが、池田先生の指導の真意を説く存在ではないのです。

学会員の誰もが「信・行・学」に徹し抜いていけば、
師匠の心を、指導の真意を、万人に説いていける尊貴な存在なのです。

また、そうなるために教学という武器があるのだと思います。
私たちが戦う武器を持てるのは教学だけです。

教学を極め、学び抜けば必ず答えは見つかります。

組織信仰に縛られず、幹部崇拝信仰に縛られず、自分の力で考え抜く信仰者になれるのです。

もう一度、私たちが「山本伸一」の自覚に立って、剣豪の如き教学の学業を成し終え、
それぞれの地域で「弱い者を守る盾」となって、立派に使命を果たしていきたいと思います。

そして、いかなる権威権力にもその智慧で抗(あらが)い、道を切り開く存在でありたいと決意します。

またそれが池田先生の望まれている本門の弟子群像だと確信します。
もはやこれを弟子が実行する以外に仏の永遠性は存在しないと考えます。

池田先生は「大切なのは『智慧』である。智慧を体得することです。
・・・・二十一世紀を幸福にするには『智慧の世紀』とする以外にない。

そして知識は伝達できても、智慧は伝達できない。自分が体得するしかないのです。
実はそこに、法華経が『師弟』という全人格的関係を強調する一つの理由もあるのです」
(法華経の智慧一巻二十四頁)

と訴えました。

この師匠の指導に対して、弟子が決意を表明する場面が「法華経の智慧」に記載されています。

それを最後に記して終わります。

――私どもも、これを通して、法華経に関して、さまざまな角度から勉強をしていきたい。

また、勉強していかねばならない。これが二十一世紀に向かう若き指導者たちの真髄の哲学である、

こう言えるよう頑張ってまいります。(法華経の智慧一巻二十七頁)――
おわり