【創価思想の永遠性と偶像化】2/8 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月 5日(日)12時07分0秒

法華経を説くにあたり、最初に説かれたのが「序品第一」ですが、
ここに描かれる内容は説法の舞台(霊鷲山)と、その会座に集まる大衆(九界の衆生と怪物の類等)が紹介され、
釈尊が現した瑞相が語られています。

そしてその瑞相を見た弥勒の「疑問」を文殊師利に質問し、
文殊師利が弥勒の質問に答えるという構成になっています。

釈尊は大衆の前で大乗経を「無量義」と名づけ、仏が護り念じてきた教えを説きます。
その後、釈尊は無量義処三昧に入ると天から曼荼羅華が降り、世界が六種に震動したと述べられます。

さらに人々の耳目を驚かす大瑞相がその後に起こります。

そこには釈尊の眉間の白毫から光を放ち、東方の一万八千の世界を照らし出し、
それぞれの世界には法を説く仏をはじめ、地獄から菩薩までの九界の衆生が映し出されていることが描かれています。

また、仏の入滅後には仏の遺骨を供養するために、七宝の宝塔を建てている姿も記載されています。

これらの瑞相にはさまざまな意義が秘められていると思うのですが、
弥勒菩薩もこの瑞相の意味を文殊師利菩薩に質問しています。

この序品第一のポイントは「文殊と弥勒の対話」にあると考えます。

前置きが長くなりましたが、

序品第一に説かれている文殊と弥勒の対話から
「創価思想の永遠性と偶像化」について、考えていきたいと思います。