投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月10日(木)13時56分18秒
池田先生のスピーチから賢王論を念のため確認してみる。

僧俗和合時代(堀米日淳上人時代)、細井日達氏は、戸田先生を賢王と評していた。また、日達上人登座後、四菩薩の跡を継ぐ折伏の大将として池田先生を賞賛されている。(戸田先生の後を継ぐ地涌の菩薩の棟梁としている)

上行を除く四菩薩の特性から三代の会長に当てはめて考えていくことが突拍子な論でないことは確かではないだろうか。
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さらに、日達上人は、昭和三十二年十一月の「第十七回総会」の折には、宗務総監として出席され、

「観心本尊抄」の「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」の御文を拝し、次のように話された。

「今や総本山には、宗祖・大聖人より六十五世日淳上人が正法を弘持しておられます。一方、学会には会長戸田先生が賢王として折伏を現じております。(中略)皆さん学会員は会長のもとに、われわれ僧侶は法主のもとに、正しき信心に従して、ここに一致団結して大いに働こうではありませんか」と。

いわゆる宗義による解釈は解釈として、日達上人のまことに慈悲深い激励であると拝する。

そして、昭和三十九年の年頭にも「観心本尊抄」を拝されて次のように言われている。

「今や池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております。私は僧として
薄墨の衣と、白五条の袈裟に身を託し、折伏の上の摂受によって、一切の宗教儀式の執行を主宰いたしております。ともに、まさに来たらんとする広宣流布を迎えるための準備は、一時もゆるがせにしてはなりません」(「大白蓮華」昭和三十九年一月号)と。

池田大作全集69巻
東京各区合同記念幹部総会 (1987年12月19日)