投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 3月 4日(金)11時22分35秒

こんにちは ! グリグリです。講義などという生意気なことは出来ませんので、所感を述べさせていただきます。

まず、螺髪さんが教学を学ぶにあたって大事な事を語っています。自分自身でよく思索し、学ぶことが大事だと思います。
そういう意味で、質問が2つありますが、1つに絞って述べてみたいと思います。

>投稿者:今になって勉強! 投稿日:2016年 3月 3日(木)19時18分44秒
>「かかる日蓮を用いぬるとも悪しくうやまはば国亡ぶべし」(御書P919)
>という御文を お講義していただけませんでしょうか。
>悪しくうやまう ということがよくわかりません。

結論を先に言うと「悪しくうやまはば」は、師匠を利用すると国(個人)は滅ぶ、と考えます。
つまり、自分自身の「保身・カネ儲け・名聞名利」のために師匠を利用すれば、滅ぶということだと思います。

また「かかる日蓮」とありますが、これは「このような日蓮」という意味です。
このような日蓮とは、どのような日蓮なのかを前文で見てみましょう。

【通解】
――去年の十一月から勘えていた「開目抄」という文二巻を書き上げた。
これは、もし首を斬られるならば日蓮の不思議を留めて置こうと思って構想したものである。
この開目抄の心は「日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まるのである。

譬えて言うならば家に柱がなければ立つことが出来ず、人に魂がなければ死人同然である。
日蓮は日本の人の魂である。平左衛門尉(頼綱)はこの日本の柱を倒してしまった。

そのために、今は世の中が乱れて、それという企てもないのに夢のように流言が出てきて、北条一門が身内同士で殺し合いを起した。
ここまでくれば、やがて他国から攻められるのも確実である。そのことは「立正安国論」に詳しく述べたとおりである。
このようなことを「開目抄」に書き付けて中務三郎左衛門尉(四条金吾)の使に持たせてやった。

その論調の激しさに、傍についている弟子たちも、激しすぎると思ったようであったが、日蓮の勢いに何も言い出せないようであった。

日蓮は何の力も持たないけれども法華経を弘めているのであるから釈尊の御使なのです。
わずかの領域を護っている天照太神・正八幡などという神はこの国では重んじられているが、
梵天・帝釈・日天・月天・四天王に対すれば小神にすぎない。

それでも世間では、この神に仕える神人などを殺せば普通の人を殺した場合の七人半に当たるなどと言っている。
太政入道(平清盛)や隠岐に流された後鳥羽上皇たちが滅んだのはこのためとされる。
日蓮への弾圧はそのような神人への過誤とは比較できない大罪である。
日蓮は教主釈尊の御使いであるから、天照太神・正八幡宮といえども頭を垂れ手を合せて地に伏して拝すべきなのである。

法華経の行者に対して梵天・帝釈は左右に控え、日天・月天は前後を照して仕えるのである。
【このような日蓮を】仮に用いたとしても、おろそかに扱うならば、かえって国が滅びることになる――。

このような意味になると思いますが、開目抄に書かれた論調は、当時の弟子ですら激しすぎると思ったようです。

分かりやすく説明するために、私たちに置き換えて考えていきましょう。
池田先生は大聖人と同じく、全世界に日蓮仏法を弘めた法華経の行者ですが、先生は日顕や先生を辞任に追いやった学会幹部に対しては痛烈に罵倒します。
鎌倉幕府も結局、大聖人の思想を用いませんでしたが、そもそも現在の学会首脳部は先生の「生命尊厳・人間主義」思想を用いているのでしょうか。

まず、このことから疑問に思います。

仮に先生の思想を用いていたとしても、何のために ?――会員のため ? それとも自分のため ?

考えてみれば、日蓮宗も日顕宗も創価学会も祖師である日蓮大聖人を用いています。

しかし、大聖人の思想を正しく用い、大聖人を敬って、日本をはじめ全世界に日蓮仏法を宣揚したのは創価三代の師匠です。

創価学会の幹部といえども、先生を自分の名聞名利のために利用すれば、即「悪しくうやまう」ことになると考えます。

あとは、今になって勉強!さん自身が思索して答えを掴んでください。

参考に、その後の御文を通解で記しておきます。

【通解】
まして敬うどころか数百人の手で辱しめ、二度まで流罪にした。
もはやこの国が滅びることは疑いないけれども、しばらく日蓮が諸天善神を制止して「この国を助けたまえ」と日蓮がひかえていたからこそ今まで安穏であった。

それなのに度を越せば罰があたるのは当然である。
またこの期に及んで日蓮を用いないというならば大蒙古国から懲罰の討手が挙がり日本国は滅ぼされるであろう。
これはこの国の実務を統括する平左衛門尉(頼綱)が自ら招いた災いである。