投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月17日(日)08時37分40秒   通報
日寛は六巻抄(文底秘沈抄)で大聖人の出世の本懐を、
万人が理解しやすいように御書・経文を通して分かり易く整理してまとめています。

それを簡単に説明すると、まず方便品の
「諸仏世尊は、ただ“一大事”の因縁をもってのゆえに世に出現したまう」(妙法蓮華経一二〇頁)

の文を引いて「一大事」の言葉が、すでに三大秘法を意味しているとして

「一は本門の本尊(一閻浮提第一の故)、大は本門の戒壇(受持即持戒の故)、事は本門の題目(事を事に行ずるが故)」と述べています。

次ぎに御書(法華取要抄)の「問うて云く如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の
残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(三三六頁)

の文を引いて
「此れは是れ文底秘沈の大事・正像未弘の秘法・蓮祖出世の本懐・末法下種の正体」として、

一大秘法を「本門の本尊」、それを開いて三大秘法の「本門の本尊・戒壇・題目」になると解説し、

それをさらに詳しく説明するために「本尊(人・法)、戒壇(事・義)、題目(信・行)」と六大秘法に立て分けて整理しました。

この日寛の解説はじつに簡潔で、非常に鋭い視点で御書・経文を精査してると思う。

それでいて誰もが納得できる論理展開です。

御書全編を精読すれば、一大秘法・六大秘法という言葉が文中に無くても、その“義”は厳然とあります。
たとえば、開目抄(人本尊開顕)・観心本尊抄(法本尊開顕)などは、その最たるものです。

人法一箇の当体――それが日蓮大聖人であり、御本尊です。

末法今時は、その御本尊(本門の本尊)を安置し、大聖人の御書を根本として、
御本尊に向かって唱題している自分自身とその場所自体が「本門の戒壇」になり、
その本門の本尊を信じて自行化他の題目が「本門の題目」となります。

要するに、三大秘法といっても一大秘法(本門の本尊)があって、
初めて本門の戒壇・本門の題目という「三大秘法の義」が成立するのです。