投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月13日(水)10時17分4秒   通報
次ぎの第三の相対が「権実相対」です。

人間の幸福の「因果の涌現」を目指す大乗教にも二種類あります。
それが“権大乗教(権経)”と“実大乗教(実経)”の相対です。

“実教”とは真実の教えという意味で「法華経」を指します。
“権教”は権(かり)の教えという意味で「法華経以外」の教えです。

実教である法華経は、人間の生命自体に幸福の根本原因である仏果(仏界)が本来的に具わっていると明かし、
二乗や悪人、女性も含めてすべての人々が平等に成仏できるという仏の真実の悟りを説き明かし、その根拠となる法門を示しています。

これに対して、権教は自分の“悟りのみ”を追求する二乗を嫌い、悪人・女性などは成仏できないと説いています。

「万人の幸福こそ仏の真意」という法華経からすれば、権経は人々の機根に合わせた方便の教えであり、権(かり)の教えにすぎません。

大聖人の結論は「但し法華経計り教主釈尊の正言なり」です。

万人の幸福――これを可能にする法理を説いた法華経こそが釈尊の真実の教えなのです。

インドで生まれた釈尊の仏教が、まったく異質の文明を持つ中国や日本へ伝えられると、それぞれ国によって独自の発展を遂げていきます。
そして、この権実相対の戦いを展開したのが、中国に出現した天台大師と日本の伝教大師です。

竜樹がインドにおいて小乗経典・大乗経典をきちんと整理し体系化したように、
天台は中国において別の角度から仏教を整理し、伝教はそれを日本において実践に移しました。