投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月11日(月)14時25分36秒   通報
さらに日寛は六巻抄で「明者はその理を尊び、闇者はその文を守る」(依義判文抄)と述べています。

文は理をあらわすための手段であるから、賢明な者はその文が何をいわんとしているのか、
その奥底の思想・哲理・本質というものをよく読み取って尊ぶ。

それに対して愚迷な者は文言にのみ執着し、その文が説かんとしている思想を究めることができないという意味です。

それでは、仏教の伝統的思想である相対論「五重の相対」を考えていきたいと思います。

竜口で発迹顕本された大聖人は流罪地である極寒の佐渡に到着した直後(十一月)、すぐに開目抄の構想を練られるわけですが、
佐渡地での環境は劣悪で、大聖人の住居であった塚原三昧堂は墓所の「死人を捨つる所」(九一六頁)にある一間四面の狭い堂で、
祭るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題で廃屋(はいおく)同然の建物でした。

そうした環境のなかで大聖人は思索を深められ、構想も含めて約三ヶ月で人類を救う大著・開目抄が綴られ完成させました。

普通の人間がもしそういう環境に置かれたら“人類の救済云々”などとは考えないし、考える余裕すらないと思います。

冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もるなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごし、
慣れない北国の寒さに加え、食料も乏しい――。

古来、大難を耐え忍んだ人はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで自分自身のことよりも、
民衆救済の指南書ともいえる“開目抄”や“観心本尊抄”を書き残し、弟子たちに楔を打たれたことだと思います。

御振舞抄に「去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり」(九一九頁)とありますが、

この“日蓮の不思議”とは発迹顕本のことだと思われます。

大聖人が発迹顕本(主師親の三徳を開く)したことによって、万人に仏界の生命を開く道が示されました。

つまり「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(五六四頁)と述べられたように、

大聖人の発迹顕本は末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の「根本原理」を示されているのです。