投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 1月10日(日)04時18分12秒   通報

ひかり様
>「我々中間幹部は、上が白を黒といえば白を黒、黒を白といえば黒を白というしかない。白を黒、黒を白といわせた上が罰を受け、実行した我々は功徳を受ける。」と言った。
すかさず「それは間違いだ」とはっきり言った。与同罪だよ、と。<

組織の論理に染まり、それを最優先にしてしまった人の言葉であると思います。そして、ここに「学会精神」は存在しません。組織の論理というのは、上の方針に従うことを是とし、そこから外れることは、秩序を乱すものとされます。秩序を乱すことが第一の悪とされるので、信念などは二の次となります。54年で犯してしまった過ちもここあり、人間(師)よりも、組織を優先させるという愚かな選択を弟子が選んだのです。

「上が白と言えば白、黒と言えば黒」というのは、仏法者としては最悪の台詞です。この根底にあるのは、「上の命令に従っただけだ」という無責任であり、信念のなさです。上が常に正しければ問題はないのですが、そんなわけがないのが歴史の常というものです。物事は単純で、上が正しければ従い、間違っていれば糾す、ただそれだけのことです。

もしも牧口先生が、宗門が神札を祀ることを容認するよう打診して来たときに、「宗門の方針だから仕方がない。その方針に従うのが信徒のあるべき姿勢である」との一念であったのなら、一体どうなっていたか。この時点で大聖人の精神は死に絶え、創価学会も仏意仏勅を名乗ることは不可能となっていた。実に恐ろしいことである。そして、宗門だけが罰を受け、牧口先生(創価学会)が罰を受けないなどということはありえず、与同罪を免れることはできないのが仏法の厳しい世界です。これをもって知るべしなのです。

54年体質というものは、知らず知らずのうちに組織を蝕んでいます。そして、平然と最悪な台詞を言うようになり、しかも、その過ちに気づくことができない。これがまた、師を裏切り、会員を犠牲にしていく。つくづく54年の戦いは終わっていないことを思い知らされます。

大聖人の精神、それに連なる三代会長の精神が死に絶えることに比べれば、創価学会が衰退することなど風の前の塵に等しいことです。一宗が滅びることなど眼中になかった牧口先生の心を受け継ぐということは、いざという時は、組織の論理など優先しないということです。これがわからなければ、いつまで経っても54年問題を繰り返すことになる。「上が白と言えば白、黒と言えば黒」という言葉の中に、今の創価学会の問題が集約されています。

上が黒を白と言い出したら、「ふざけんな」が正解であり、道理です。黒を白という人間はペテン師であり、地獄の使いです。それに合わせることは団結ではなく、「破壊」です。組織の論理に染まり、骨抜きにされた人間では戦えない。こういう人間が幹部であったのならば、会員は苦しむことになる。つまらない組織人間ほど厄介なものはなく、染みついたものは、中々拭うことはできない。くれぐれも与同罪とならないように、一人ひとりが意識し、注意してまいりたい。善意であろうとなんであろうと、結果的に悪を増長させては不幸である。

白は白であり、黒は黒。ここが揺らいでしまったのなら、信じるべきものはなくなる。創価学会においては、三代会長の精神こそが白なのである。

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