2015年10月25日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年10月25日(日)15時49分12秒 通報 編集済 本来のあり方は、候補者が同志であり素晴らしい人だ。 こうした人に政治の世界で頑張ってもらいたい。 そう、心から納得できる候補や議員だから真心から応援していこう。 これが池田先生が一貫して指導されてきた方針だったはずで、学会員の政治活動や政党支援は最初から自由だったのです。 昭和40年代の指導から一貫しておりぶれていません。 支援はいたずらに数を競うものではないし、 自分のできる範囲で行うのが本来のあり方。 大阪の戦いは、折伏しきった歓喜の生命の発露から真心の支援がなしえた金字塔です。 支援を通じてお題目をあげ、友人の幸福を願う。 また、地域の同志の幸福のために励ましていく。 だから、信心根本に活動することで、広布の戦いになるのであり、支援だから、即広布の活動とはならないのです。 要は、お題目を唱え、人の幸福を願い、社会の繁栄の為に行動するのが広布の活動です。 公明党は活動の為のいわばツールでしたが、これは絶対に応援しなければいけないものではないのです。 目的と手段を履き違えた、悪しき組織優先主義、組織絶対主義だから、このような勘違いになってしまったのではないでしょうか。(人間のための宗教か、組織絶対主義か、この対立が54年問題の根底にあるのではと感じますが) 党がおかしなことをすれば支援しないのは当たり前。 こうした当たり前のことを確認できたのが 安保法制の問題だったのではないでしょうか。 (もちろん、応援したい方の自由もあります。それと同じに応援したくない自由もあり、これからの支援活動を今までと同じように行う場合、今まで以上に課題が顕在化するでしょう。) Tweet