投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 9月24日(木)18時19分58秒   通報

池田大作全集(85巻)
創立の日記念第82回本部幹部会 (1994年11月12日)
より。(2/4)

学会の永遠不滅の道を開いてくださった牧口先生のご恩に報いるために、私どもは、この東京牧口記念会館を建設させていただいた。

この五月に記念会館を訪問された著名な知識人(ユダヤ人作家のフラムキン氏、″ホロコースト展″のため来日)は、こう感想を語っておられた。

「私は世界中の有名な宮殿を見てまいりました。宝を保存するのが宮殿とすれば、本当の『人類の精神的価値』を有する牧口記念会館こそ″究極の宮殿″です。本日、訪問させていただき、初めて、真の″宮殿″を見た思いです」と。(拍手)

本日の晴れやかな会合を、だれよりも牧口先生が喜んでくださっていると私は確信する。(拍手)

牧口先生は、こう語られた。
「信は組織の中核にして、誠は組織の推進力である」

「信」を中核とする学会の組織──それは、何があろうと絶対に崩れない「信心」の組織である。我が道を堂々と闊歩しゆく「信念」の組織である。そして悠々と仲良く進む「信頼」の組織である。
また組織の推進力──それは、権威でもなければ命令でもない。要領でもない。友を尊敬し、友に感謝し、目的に向かって私利私欲を捨てて戦う「誠実」の力である。

この牧口先生の精神のままに、戸田先生は実践された。私も同じ心で進んできた。私どもは、厳然と創価学会を守り、学会が中核となって、壮大なる二十一世紀の勝利へ、民衆の「良識の連帯」を、さらにさらに広げてまいりたい。(拍手)

■戸田先生「弘教の人は御本仏の使い。諸天は加護し、魔は近寄れぬ」

だれが学会を支えてくれているのか。だれが広布を進めてくれているのか。戸田先生は明快に言われた。

「世間の地位とか、入信の前後とかを問わず、折伏に精進する者は、学会の重鎮であり、大黒柱である。会長たりとも、各部長たりとも、折伏行に精進する者に出会わば、大聖人より『善哉、善哉』と、おほめにあずかっているみ仏の使いとして、立って、これをお迎えしなくてはならない」と。

広布の第一線の組織で戦っておられる方々がいちばん偉大である。いちばん大変ななかで奮闘されている。大聖人は、すべて見通されている。そのことを戸田先生は論じられたのである。

折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人。この最も尊き同志を、最も尊敬し、最も感謝し、最も大切にしていきなさい──これが戸田先生の遺言である。(拍手)

戸田先生は、こうも言われた。
「折伏の行をなす者は、仏の使いとして御本仏からつかわされた者であり、御本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、その人の日常は御本仏に感応して偉大な生命力を涌出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、からだは元気にみちる」と。

確かにそうである。「諸法実相」と法華経にはある。生命の真実は、現実の姿に表れる。

戦っている人は元気である。福運もつく。要領を使って戦いを避ける人は、表情もどことなく陰険で、目に輝きがない。号令をかけるだけで、自分は苦労を避ける幹部も同じである。生命は沈滞し、濁り、やがて、清浄な学会にいられなくなってしまう。

大聖人・日興上人の当時、直接に訓育された少数の門下でさえ、退転者、反逆者が次々と去っていった。いわんや一千万人のなかから、おかしな人間が出るのは、やむをえない。(拍手)

たとえば、ご飯に腐ったものが入れば食べられない。清らかな世界に、腐ったものがあれば、全体まで影響を受ける。その意味で、腐ってしまったものは、いないほうがよいのである。(拍手)

日興上人は(「弟子分帳」に反逆者を)「背き畢ぬ」「背き了ぬ」等と記され、後世に残されている。このように厳格に、妥協なく、清流を守ろうとされたのである。

戸田先生は、また折伏を行ずる人は「御本仏の代理であるから、諸天は加護するし、魔および鬼神は近よれない」(同前)と断言された。病魔も近よらない。信心を壊そうとする変な人間も近よれない。このことを明快におっしゃっている。

ともかく私は、尊い、仏さまの使いである学会員の皆さまが、功徳を無量に受けられるように、祈りに祈っている。

皆さまの「無事故」「健康」「長寿」を、そして皆さまが「幸福」で「裕福」で、永遠に、限りない希望に包まれゆく人生であられるよう、日夜、祈っている。(拍手)

【続きは明日投稿予定】