投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月22日(木)08時20分58秒   通報
■ 二処三会のダイナミズム

遠藤: ちなみに、サンスクリット語の現存する法華経では「嘱累品」に当たる品は、法華経の末尾に置かれています。

名誉会長: 「正法華経」(竺法護による漢訳)でも、そうだったね。

遠藤: そちらのほうが本来の形だったとも言われますが —- 。

斉藤: たしかに、嘱累品で経文全体が終わっても、不自然ではない内容になつています。

名誉会長: 研究課題だね。

斉藤: 古来、議論があるところです。

名誉会長: それは学問的研究に待つとして、この位置に「嘱累品」があることによって、法華経全体がじつにドラマチックになっていることは間違いないと思う。 つまり「二処三会」という、ダイナミックな舞台設定になったということです。

須田: あ、そうですね!
虚空会が始まる前の「霊鷲山」から「虚空会」へ、そしてまた「霊鷲山」に戻る —- 二つの場所で三つの会座ですから「二処三会」です。嘱累品が全体の末尾にあると、「霊鷲山」から「虚空会」ヘ —- という「二処二会」の平板な構造になります。

名誉会長: 前に(序品のところで)やったように「二処三会」には、深い意義があった。
それは法華経全体の構成によって、「現実の世界から『永遠の生命の世界』へ」(霊鷲山から虚空会)、そしてまた「現実の世界へ」(虚空会から霊鷲山へ)という“人間革命のリズム”を示している。

須田: 「求道(上求菩提)」の方向と、「救済(下化衆生)」の方向と、両方の往復のリズムということですね。

遠藤: 現実の「生活」から「勤行」へ、そして「勤行」から、また、みずみずしく「生活」へ、「社会」へ。そういうリズムにも通じます。

斉藤: 妙法蓮華経に「帰命する(南無する)」というのも、妙法に「帰する」方向と、妙法に「命く」方向の両方を含んでいます。

名誉会長: 両方です。両方あって「南無妙法蓮華経」になる。
「帰する」のは、いわば「自行」です。「命く」のは、「化他」と言える。
自行化他の両方があって、宇宙のリズムに合致してくる。天体の自転と公転のように。
「自行」が進めば進むほど、「化他」も進む。
「化他」が進めば「自行」も深まる。
弘教について、戸田先生はよく「御本尊を、しっかり拝むことだ。ほかに何の方法もない!」と言われていた。
「真心が通じますように」と祈るのです。
「如来の使いとして、今世の使命を果たさせてください」と祈るのです。
仏法は勝負です。戸田先生は勝負に厳しかった。体育大会の騎馬戦なんかでも、負けそうなチームに、先生が少しアドバイスされると、不思議に勝ったものです。
一方、弘教について、戸田先生は、こう言われたこともあった。
「なかには、折伏のできない人もいる。口べただとか、気があまり良すぎるとかいう人は、折伏はあまりできないが、本人は喜んで信仰している。それならそれでいいのである。それを『あなた! 折伏しなくちゃだめよ!』とか言う人がいる。だめよと言ったって、本人ができなければ、しょうがないではないか。本人が御本尊をありがたいと思っているなら、それでいいのだ。
ただその人を、本当に信心させるようにすればよい。『御本尊は本当に素晴らしい』ということが、ちゃんとわかってくれば、自然に、その人は他の人に言う。それがそのまま、折伏になるのだ」と。

須田: 納得できますね。

名誉会長: 心豊かにやるのです。楽しくやるのです。
この世に生れて、一言でも妙法のことが説けるなんて最高の栄誉だと、感謝して、誇りをもって、笑みをたたえて、やるのです。
それを「何人やらないといけない」とか決めつけると、心に負担になってしまう。苦しくなってしまう。皆の心を重くして、広宣流布が進むわけがない(笑い)。
心を軽くしてあげるために指導者がいるんです。みんな、その反対をやっている。
勇気を与えるんです。希望を与えるんです。大きな心で、ほめ讃えていくんです。
もちろん自分が目標をもつことは大切です。そして「会員に一人のこらず大功徳を受けさせるんだ」という祈りがあれば、その心は必ず通じます。
大功徳を受けさせるために、おだやかに信心のことを一生懸命語って、「一緒に頑張りましょう」「もっと健康になり、もっと皆で長生きしましょう」「皆で、すごい二十一世紀を迎えましょう」と励まし合っているところは、大騒ぎしなくても伸びています。
妙法のことを、ほめ讃えていけば、それが立派な折伏なのだから、相手が入信するかどうかは別問題で、語っただけでも功徳はちゃんとあるのです。
あとは、スポーツとかピアノとかでも、しょっちゅうやっていれば、力がつく。それと同じように、折伏もできるときにやっておくことです。その福運が、自分の一族、子孫をも守っていくのです。
ともあれ、折伏を地道にやってきた人は、福運の土台がコンクリートのように固まっている。強い。魔に破られない。弘教の修行を避けた人は、どんなに偉くなっても、メッキのように、いざという時に堕ちてしまう。

須田: 「自行と化他」両方で法華経のリズムになっているということですね。

遠藤: 嘱累品が神力品の直後にある意義が、よくわかりました。