投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月 7日(水)16時26分8秒   通報

白髪の元kさんより下記の問題提起がありましたので、グリグリの所感を述べさせていただきます。

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投稿者:白髪の元k 投稿日:2015年10月 5日(月)20時13分53秒
上野殿御返事(嫡→(適)時弘法事)p1561.15行目『玉をまいらせて地獄へゆくと申すこと』
この御文の詳細が知りたいのでございます。この御文の譬喩の詳細が知りたいのでございます。
この御文が何故か現在の私自身に当てはめ、又、現在の学会.執行部.幹部等に当てはめてしまいます。
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このお手紙は弘安二年、年の暮れの十二月二十七日に身延で書かれたものです。
真蹟と日興本(写本)が現存し、富士大石寺にあるとされています。

まず結論からいうと、

お手紙の中で日蓮大聖人は、南条時光が米二表をご供養してきたことを機縁にして

「時に叶った信心と志ざし」の重要性を教えているとグリグリは捉えています。

その「時の重要性」を教える譬喩の一つに

「仏に土をまいらせて候、人・仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すこと、これか」(p1561)とあります。

白髪の元kさんは、この譬喩の詳細が知りたいということなのですが
「仏に土をまいらせて候、人・仏となり」という譬喩は、皆さんがよくご存知の通り、
仏典に出てくる「徳勝童子」のことです。

乞食行をしていた釈尊に、砂の餅を供養した徳勝童子が、
その功徳によって釈尊滅後百年に阿育大王として生まれた、という逸話です。

そしてもう一つの

「玉をまいらせて地獄へゆく」ですが、

残念ながらこの譬喩の出典については不明です。