(無題) 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 2月21日(土)09時57分30秒   通報

京都乃鬼新聞(号外)
2015-2-21

弊社、黄鬼記者からの報告です。

=新・人間革命「大道の章」について深く考える。=

『新・人間革命』連載で、「昭和54年の辞任」を描くその前の章が、何故「大道」と名付けられたのか?

この「大道」と同じ小説がある。

子母沢寛の時代小説『大道』の主人公のモデルは、野中兼山である。

戸田城聖先生はこの小説に惚れ込み、戦前に「大道書房」という名前の出版社まで作ったほどだ。
その第一作目に刊行したのが、この子母沢寛『大道』だった。

江戸時代の四国で、齢若くして土佐藩家老から執政になった野中兼山の仕置というものは、政治・文化・経済全般にわたっており、誰一人なしえなかったほどの空前絶後の壮大な規模であった。

その事業の最盛期に、突如、家老達が結託して、執政・野中兼山を引きずり下ろし蟄居させた。
これら敵党の蠢動と、その後の敵党による《野中兼山に繋がる全てのもの》に対する非人間的な非道を極めた徹底的な抹殺の凄まじさ!

こうした意味合を裏面に具している「大道」の語句こそが、池田先生の「54年の嵐」直前の章の題名に相応しい。

なお、池田先生が野中兼山にふれられたスピーチについては、調べた限りで3回ある。

①「今日より明日へ19巻」収蔵。
これは昭和63年、第二次宗門問題の直前。

②翌月の創価同窓の集いでも若干触れられている。(これは「今日より明日へ20巻」に収蔵)

③「輝きの明日へ」29巻に載っている「県長会議へのメッセージ」でもふれられている。
これは、54年問題の総括をされた1998年のスピーチ。
やはり、「池田先生の辞任と野中兼山」の意味は大きいものがあると考える。

また、これからの創価学会について考える上でも大いに参考にしたい。

最後に池田先生が兼山についてスピーチされているごく一部ですが引用する。

「何にでも上手をいく兼山をいつか追い落としたいとひそかに時期の到来をうかがっていたのである。
藩主の交代。それこそ彼らの待ちに待った好機であった。(中略)周到なワナがゆっくりと張りめぐらされていく」(1988-10-12 墨田区・荒川区記念支部長会)
今日より明日へ(19)収蔵

京都乃鬼新聞
黄鬼記者