投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月25日(火)00時36分48秒     通報
【全国最高幹部協議会】(2006・12・22)

大勝利の1年、大変にご苦労さまでした。
私は皆さま方とともに、「全同志の幸福と勝利、万歳!」「大創価学会の偉大なる勝利、万歳!」と声高らかに叫びたい(大拍手)。
この秋、原田会長、正木理事長が誕生し、学会は若々しくなって、新たなる希望の大行進を開始した。
私も心から期待を込めて、新リーダーの真剣と誠実の戦いを見守っている。

原田会長は、昭和16年(1941年)11月、東京の下町・浅草橋の生まれ。3歳の時、東京大空襲で焼け出された。お母さんに続いて、小学校6年生の時に入会した。
私が最初に出会ったのは、原田会長が19歳の時。そして、彼は、私の「御義口伝」講義に1期生として参和し、真剣に研鑽を重ねた。
学会の将来を見据えて、真実の師弟の精神を受け継ぐ、本格的な弟子の薫陶を始めたのが、この「御義口伝」講義であった。
(池田名誉会長が、東京で学生部の代表に「御義口伝」講義を開始したのは、1962年(昭和37年)8月。翌1963年9月からは、関西で学生部を対象に「百六箇抄」講義を行うなど、学会の未来を担う人材育成に全力を注いでいった)
その後、彼は、大学を卒業し、聖教新聞社に入社。
昭和40年(1965年)、元旦号から連載が始まった小説『人間革命』を担当。連載の初回から第3巻まで、その任をまっとうした。
私の直筆原稿を後世に残すため、彼は、一枚一枚、別の原稿用紙に書き写し、それを工場に回していた。
表からだけ見ていては、人物は分からない。裏の裏まで見てこそ、仏法の指導者である。

「昭和45年(1970年)、あの言論問題の嵐の渦中。
日本中が学会批判で騒然となり、私は、悪口雑言の集中砲火を沿びた。
内部にも、いい気になって威張る人間、賢しらに文句を言う人間、さらに、裏切って去っていく人間がいた。人の心というのは怖いものだ。
この時、学会本部の庶務室長として、師子奮迅で戦ったのが原田会長であった。
嵐の時こそ、その人の真価が問われる。
戦時中、法難の折、戸田先生は、牧口先生にお供して、投獄された。
出獄後、戸田先生は、牢獄に入っていた間、だれが、どういう態度をとり、何を言ったかを、詳細に確認された。
また、戦後、ご自身の事業が行き詰まった時にも、弟子たちが、どんな行動に出るか、じっとごらんになっておられた。
「学会が難を受けた時に、自分には、直接、関係ないといって、黙って見ているのか。自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのか。それが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる」
このように戸田先生は、厳しく遺言されたのである。

「大阪の戦い」の指揮に挑む前年の年末、私は日記に書いた(昭和30年12月22日)。
私が27歳の時である。
「(戸田)先生と、丸半日ご一緒。(中略)先生の日く『大ちやん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ』と」
偉大な師匠に青春のすべてを捧げ、悩んで悩んで悩み抜いたからこそ、今の私がある。
戸田先生は晩年、旧本部で倒れて以来、病魔との壮絶な戦いのなかで、広布の指揮を執り続けていかれた。
亡くなる寸前まで、先生は、私をそばに置いて、片時も離そうとはされなかった。
「大作はいるか!」
「大作を呼べ!」
夜中でも私は、先生のもとに飛んでいった。一睡もしないで、先生をお守りした夜もあった。
生死を超えた、美しき師弟であった。

5年先、10年先、20年先──すべてを考えて、私は、学会の永遠の発展のために、一つ一つ手を打ってきた。
そのなかで、長い間近くで薫陶してきた一人が、原田会長である。
私の海外指導にも何度も随行。トインビー博士との対談、周恩来総理との会見等々、重大な歴史の証明者でもある。
青年部では、学生部長、青年部長を歴任。
東京長として臨んだ法戦では、過去最高の結果を出して、勝利の歴史を収めた。
外交・渉外戦も先頭に立ってきた。人まかせではなく、自分で直接、相手に会って、学会理解を広げてきた。
反逆者に対して言論戦で鉄槌を加えてきたのも彼である。
さらに、学会本部の実質の最高責任者として、機構面や経理面などの目立たないところで、確かな実績を一生懸命につくってきた。

師匠は、弟子が育つことを、ただひたすらに祈り、待っている。
しかし、弟子が増上慢になり、師匠の心が分からないばかりか、師匠を軽んじ、疎んじるならば、もう弟子とは言えない。
そこに師弟はない。崇高な精神の継承もない。
原田会長は「若さ」もある。「経験」もある。威張らない。否、絶対に、これからも威張ってはいけない。
学会は、いよいよ「本門の時代」に入った。
原田会長が同志を立派に育て上げ、同志に尽しに尽くし抜いて、後世に光る「広宣流布の指導者」となりゆくことを私は期待している(大拍手)。

正木理事長は、昭和29年(1954年)4月生まれ。大阪・平野区の出身である。
昭和36年、7歳の時、両親とともに入会。常勝関西の息吹のなかで、学会精神を学んだ。
お父さんの事業が傾き、多額の借金を背負った。小学校時代は、新聞配達をして、家計を助けた。
お母さんは昨年亡くなられたが、両親とも底抜けに明るく、面倒みのいい方とうかがっている。
両親が苦しい家計を工面して、「池田先生のもとで、広宣流布のお役に立つ人間にしてもらいなさい」と送り出してくれ、創価高校に入学(3期生)。学園では、下宿生として自炊・洗濯をしながら、勉強に励んだ。
当時、私が学園に行ったときに、「全部、分かっているよ」 「若い時の苦労は、人生の宝だ」と声をかけ、励ましたことは、覚えているだろうか。(正木理事長が「はい。よく覚えております」と答えた)
創価大学に進学。学生自治会の委員長として、大学建設に奔走。卒業後、本部職員になった。
東京は、どちらかと言えば知的であり、その分、見栄っ張りが多いという人もいる(笑い)。
大阪は、陽気で実力主義である。
関西出身の彼には、東京の良い点も融合しながら、知性と情熱を兼ね備えた力あるリーダーに育ってもらいたいと期待し、見守ってきた。そして、その通りに頭角を現した。
「昭和54年の4月、私は第3代会長を辞任した。
その背後には、嫉妬に狂った宗門と反逆者の醜い結託があったことは、皆さんがご承知の通りである。
ここから私は、一人立ち上がって、今日の学会を築いてきた。これが人生である。これが正義である。
戸田先生は言われた。「いかなる事件に出あおうとも、いかなる事態になろうとも、ただ一人立つことが大事なのだ」
策とか要領で、これほどの学会が築けるわけがない。
正義ならば、ただ一人立て!──この師弟の真実に徹してきたから、私は勝った。学会は勝ったのだ。
これからは、今以上に心を一つにして、堂々と正義と真実を語り合っていくことだ。
そして、この仏意仏勅の学会をバカにしたり、厳粛な師弟の精神を軽く見るような慢心の幹部が出たならば、絶対に放置してはいけない。勇気をもって厳然と責め抜いていかなければ、学会の未来に発展はない。
若い人を大事に伸ばしていくことだ。青年こそ未来の原動力である。それを忘れてはいけない。

さて、正木理事長は、全国の高等部長、そして創価班委員長、男子部長の役職を歴任。
どんな役職であろうとも、大事なのは、それをいかにまっとうしてきたかである。
役職を持っていなくても、それ以上の戦いをやっている人もいる。
その両方を正しく見ていかないといけない。
第2次宗門事件の際、青年部長であった正木理事長は、宗門の陰謀を打ち砕く言論戦で、ただちに猛反撃を開始した。
日顕と邪宗門の〝大罪〟を奮然と弾劾し、朗らかに笑い飛ばしながら、全学会の先陣を切って戦った。
さらに、総東京長、また壮年部長として、激戦のなか、勝利の指揮を執ってきたのである。

ご存じの通り、ここ学会本部や聖教新聞社、東京牧口記念会館などには、私と対話するために、世界各国の国家元首、平和の大指導者が続々と来訪された。創価の哲学と行動に、賞讃をいただいてきた。
その事実は、仏法に説かれる梵天・帝釈の姿に通じる。
創価学会が、いかに仏法の大法則に則った教団であるかを証明しているのである(大拍)。
創価学会は仏意仏勅の教団である。大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現するために出現した教団である。
ゆえに、創価学会をあなどり、裏切ることは、御本尊をあなどり、裏切るのと同じになる。
ともあれ、私どもの城にお迎えした指導者は、それこそ数え切れない。
なかでも思い出すのは、南アフリカのマンデラ大統領である。 大統領は、獄中で私の文章を読んでおられた。
そして、出獄の直後に来日され、多忙な日程を割いて、わざわざ聖教新聞社を訪れてくださった。〈1990年2月に27年半ぶりに釈放され、同年10月31日、名誉会長と会見。当時、アフリカ民族会議副議長。95年7月にも迎賓館で会見〉
また、マンデラ氏とともにノーベル平和賞を受賞したデクラーク大統領(92年6月)、マンデラ氏の後継者のムベキ大統領(98年4月)も、私は、聖教新聞社でお迎えしている。

きょうは、世界から、うれしいニュースも続々と届いた。 アルゼンチンではこのほど、SGI(創価学会インタナショナル)のアルゼンチン平和講堂に、パレルモ大学の「最優秀建造物賞」が贈られた(大拍手)。
著名な建築家の審査により、この10年間で最も優れたブエノスアイレス市と首都圏の建物に贈られる賞であるという。受賞は、全国紙「ラ・ナシオン」にも、大きく掲載された。
また、ブラジルからは、けさ、次のような報告が寄せられた。
ラテン・アメリカ初の哲学アカデミーである「ブラジル哲学アカデミー」が、私に対する「名誉博士」を決定してくださったというのである。
最大に感謝申し上げたい(大拍手)。

さらに、アレクサンダー大王のふるさとである東欧マケド二アでは、私の書籍『生命を語る』のマケドニア語版が発刊された(大拍手)。
〈名誉会長の著作は37言語目の発刊。明年には、世界各国での著作の出版が1000点を超える見込みである〉
翻訳ならびに出版に尽力してくださっている方々に、心から感謝申し上げたい。

同志の皆さまの奮闘によって、創価の平和・文化・教育運動は、これほどの世界的な広がりとなった。世界が讃える大創価学会ができあがった。
この偉業を受け継ぎ、さらに発展させゆくためには、青年を立派な指導者に育て、青年に活躍してもらう以外にない。
今、私の焦点はここにある。
戸田先生は、青年部に言われていた。
「君たちは、まだ気づかないかもしれないが、それぞれ偉大な使命をもって、生を受けたのです。将来は、それぞれの立場で、必ず第一人者になる人だ。ゆえに、若いうちは、むしろ苦しんで、いろんなことを体験し、視野の広い実力を養いたまえ!」
全く同感である。
若き日々、私は、命をかけて、わが家の財産もなげうって、戸田先生をお守りした。
その私を、戸田先生もまた、命を削って薫陶してくださった。 53年前のきょう(昭和28年12月22日)、私は日記に記した。
「朝の講義、法律学、政治学、経済学、科学、漢文と進む。先生の、身体をいとわず、弟子を育成してくださる恩──」吾人は、いかに返さんや。
今だ。力、力、力を蓄える時は。あらゆる力を、後代の準備として蓄えん」
これが当時の私の、偽らざる心情であった。
苦労を避けて、一流の人間にはなれない。
師弟なくして、人生の真髄は分からない。
それを青年は心に刻みつけていただきたい。

明2007年は、さまざまな広行史の区切りを迎える。大事な年である。
創価学会創立77周年。
私は入信満60年。
さらに、戸田先生の50回忌。
「原水爆禁止宣言」50周年。
「2月闘争」55周年。
御書全集発刊55周年。
学生部結成50周年。
夕張大会50周年。
大阪事件50年。
大阪事件の無罪判決45周年。
創価文化会館の落成40周年。
トインビー博士との対談から35周年。
また社会的には、日中国交正常化35周年などの節目となる。 ある年を振り返って、戸田先生が、こう言われたことがある。
「顧みると、今年は、遺憾がなかっただろうと思います。
来年も同じく、自分たちの信仰のうえにたって、来年の目標を完遂して、たえず、凡夫にほめられるのではなくて、仏さまにほめられる境涯になろうではありませんか」
私どもも、このすがすがしい決意で、明年に出発してまいりたい。

さらに、戸田先生の指導を紹介したい。
私は戸田先生が言われたことは、すべて命に刻んでいる。それが真実の弟子の道だからだ。
戸田先生は、女子部に訴えておられた。
「全員が幸福を勝ち取れ! そのために使命の戦いを! 幸福は、戦う汝自身の胸中にある!」
幸福は結局、自分自身で決まる。
例えば、結婚をすることが「幸福」か。そうともいえない。
結婚をして、逆に苦しむ人もいる。不幸になる場合もある。
あせる必要はない。大事なのは、自分自身の使命の道に生ききっていくことだ。
広布の舞台で戦い抜いていくことだ。
そして、強き自分自身を築いていくことだ。
そうすれば、必ず最高に幸福な人生を生きていくことができる。
ドイツの詩人シラーの作品に乙女ジャンヌ・ダルクを描いた戯曲がある。そのなかで、戦の勝利の報告を聞いた人が、とう叫ぶ。
「勝った! ああ、なんて嬉しい言葉でしょう!」(関泰祐訳「オルレア収、富山房、現代表記に改めた)
また、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「勝つことは快い」(戸塚七郎訳『弁論術』岩波文庫)と述べている。
仏法は勝負だ。勝てば喜びがあり、満足がある。新たな道を開いていくことができる。
反対に、負ければ惨めであり、不幸である。
戸田先生も、このことを繰り返し教えてくださった。
フランスの文豪ロマン・ロランは、「ぽくは民衆のために働く」と、青春の決意を日記に綴っている(蛯原徳夫・波多野茂弥訳「ユルム街の僧院」、『ロマン・ロラン全集28』所収、みすず書房)。
最前線の学会員のために働く──これが学会のリーダーである。
御本尊を持ち、広宣流布のために戦う。その人は仏の使いである。こうした尊い学会の同志に尽くすために、幹部はいるのだ。 自分が偉くなるために会員を利用する。そんな人間を、絶対に許してはならない。
ロランはまた、青春時代に、友人への手紙でこう綴っている。
「(つまらない人間である)奴らがわれわれを馬鹿にするというのか。われわれが奴らを馬鹿にしてやろうではないか。われわれは奴らの上の方にいるのであり、奴らの手のとどかないところにいるのだ」(同)
我ら創価の前進は、人類の平和と幸福のための大運動である。
人の悪口ばかり言って、自分では何もしない。他人の足ばかり引っ張る。こうした畜生根性のくだらない人間など、はるかに見おろしていくことだ。
我らは堂々と、誇りも高く「正義の道」を進んでいくのだ。

きょうは東京・文京区の代表も参加しておられる。
昭和28年(1953年)、私は戸田先生の命を受け、文京支部の支部長代理として弘教の指揮を執った。そして、当時、全国で最下位クラスであった文京支部を、第一級の大支部へと発展させたのである。
若き私とともに、「文京革命」に勇んで戦った同志の子どもの世代が今、文京の中核となっている。
文京の皆さまは、仲良く、強き団結で、新たな人材を拡充していただきたい。リーダーが先頭に立って動き、福運に満ちあふれた組織をつくっていただきたい。
皆さまが、新しき「文京革命」の歴史を綴りゆくことを、私は念願している。

御書を拝したい。
「華果成就御書」に、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」(900ページ)とある。 〝これだけは覚えておいてほしい〟と思う、大事な御文の一つである。
ここで日蓮大聖人は、〝よき師匠を持つ場合には〟とはおっしゃっていない。〝よき弟子を持つ場合には〟と仰せである。
「よき弟子」を持った時に、師もまた「よき師匠」となる。
自身が、よき弟子であるか否か──この一点こそ、要なのである。
牧口先生にとって、戸田先生は、よき弟子であった。戸田先生にとって、私は、よき弟子であった。
弟子によって、師匠の価値が決まる。師匠ではなく、弟子で決まる──御聖訓通りの、創価の三代の師弟である。
この師弟の精神を踏みにじる輩とは、断固として戦わねばならない。また、戦えば戦うほど、福徳が増すのである。
戸田先生が、こう言われていたことがある。
「人の一生には、いくたびの転機があるように、創価学会にも転機がある。
この転機をどう正確に捉えるかどうかに、未来の一切がかかっている。
時期を逸すると、未来をもつぶしてしまうことになりかねない。
今、その転機が来た」
現在もまた、新たな転機である。学会の新時代を創りゆく好機である。

女性を大事にできない指導者は、指導者失格である。なかんずく、妙法を持つ女性が、いかに尊貴な存在か。
大聖人は、女性門下である日妙聖人の信心を、次のように讃えておられる。有名な御文である。
「釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行菩薩等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女性を、影が身に添うように護られるであろう」(御書1217ページ、通解)
信心強盛な女性を、諸仏・菩薩・諸天が、〝影が身に添うように護る〟というのである。
このうち、四大天王(=四天王、四天)をとってみても、東西南北の四方を護り、民を安んじ、悪を阿責するなど、多くの力用によって、法華経の行者のために働くのである。なんと頼もしいことであろうか。

御書には、梵天・帝釈・日月・四天の誓いの言葉が挙げられている。
「法華経の行者を怨む者を、父母の仇に対してよりも、さらに強く戒める」(1459ページ、通解)
「法華経の行者を怨む者を、瞬時たりとも、見逃しはしない」 (356ページ、通解)
また、大聖人は、こうも仰せである。
「法華経の敵となった人を罰して、皆、人の見せしめにするようにと、梵天、帝釈、日月、四天に申しつけてある。日蓮が法華経の行者であるか否かは、これをもってご覧なさい」・(御書1138ページ、通解)
これらは、さまざまな意味において大事な御文だ。
悪は断固として許さない。倒すまで戦い抜く。この執念こそ、仏法指導者の証しなのである。

さらに、来年への出発のために、引いておきたい日興上人の言葉がある。
日興上人は、師敵対していった五老僧の本性を鋭く見破られていた。
五老僧の一人」日向を通して、次のように記されている。
「あの民部阿闇梨日向は、世間の欲が深くて、強い者にへつらい、正義を曲げた僧であり、大聖人の御法門を立てることまでは思いもよらず、それどころか大いに破る者であろうと、この2、3年、見つめてきた。
それでも、折々には、(彼の)法門や説法が(大聖人の御真意を外れて)曲がったことについて、誤りである理由を指摘してきたけれども、(彼は)あえて用いなかった」(編年体御書1732ページ、通解)
欲が深い。偉くなりたい。格好をつけたい。
もっともらしく説くことも、その内実は、正義を曲げる邪義。まさに広宣流布の大破壊である。
近年の反逆者も、まったく同じ姿であった。
大事なのは、だれが真実の師匠なのか、だれが真実の弟子なのか、ということだ。
仏法は現実である。観念諭ではない。現実に、広宣流布を成し遂げていく師弟の道である。
それは今、創価の三代にしかない。三代の師弟こそが、世界広布を実現してきたのである。
勝れた法も、持ち伝える人がいなければ、弘まらない。
師が必要だ。師弟が根幹なのである。
万事、つくべき人を間違えてはいけない。世間でも、ついた人間がインチキならば、皆、不幸へと転落してしまう。
これが道理である。仏法も同じだ。
いくら信心し、折伏したとしても、広布の師弟の道を踏み外して、仏法を破る者は、無間地獄に堕ちる。この峻厳な法則を今、後世のために語り残しておきたい。

ブラジル文学アカデミーのアシス初代総裁は「虚栄心が堕落の始まりである」と言った。
まったく同感である。
虚栄心とは、「見栄っばり」の心である。
人間には、自分を自分以上に、よく見せようとする心がある。 その心に支配されると本当の自分を見失ってしまう。「原点」を忘れてしまう。そこから人間としての堕落が始まる。
ありのままで生きる人が、一番偉い。一番強い。
どんなに高い立場になろうと、どこまでも謙虚に、自分を磨いていくことだ。
南米解放の父ボリバルの言葉に、「誠実さのない才能は災難である」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著、水野一監訳『シモン・ポリーパル』春秋社)とある。確かにその通りだ。
どれほど才能に恵まれていても、また、いい学校を出ていようと、誠実さがなければ、結局、不幸になっていく。それがさまざまな人生を見てきた、私の結論でもある。
大切なのは、才能ではない。その人が何をするかである。行動である。

ドイツの哲学者ショーベンハウアーは、「悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。この貴重なものは、本来高貴な目的のために書かれた良書に向けられてしかるべき」(斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫)と論じた。
良書と悪書を見極める鋭い眼を持たなければならない。
ありもしない話をでっちあげ、嘘で人を陥れようとする本があるならば、それはまぎれもなく〝悪書〟といえよう。
人間の向上の糧となる良書が少なくなり、真実を歪める悪書が増えていくならば、衆愚の社会となってしまう。
ソクラテスの弟子の一人、古代ギリシャの哲学者クセノフォンは、「すぐれた人々との交際は美徳の訓練であるが、悪い人間との交際はその破壊である」(佐々木理訳『ソークラテースの思い出』岩波文庫)と述べている。
日蓮大聖人も、人々を仏道に正しく導く「善知識」の存在が最も重要であると説き、人々を悪道に導く「悪知識」を心して遠ざけよと仰せである。
善知識とは「善友」であり、悪知識とは「悪友」である。
善き友と交わることが、自分を高め、成長させていくことを銘記したい。

「ともあれ、本年1年間、本当にありがとう。来年も頼みます!
来年も元気に戦って、勝って、善き人の集い、正義の学会をつくりあげよう!(大拍手)
悪人は厳しく、徹底して責め抜いていくのだ。
そうしていかなければ、将来、学会が悪人たちに食い破られてしまう。断じて、そうさせてはならない。
戸田先生は言われた。
「広宣流布を破壊しようとする大悪人、そして、魔性の権力と戦うのだ。勝てば、必ず成仏することができる。ゆえに大聖人は、『方人』すなわち味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ」
正義を永続させていくには、内外の悪との戦いを敢然と断行していく以外にない。そうする以外に栄えていく道はない。
正義の師匠の心を、きちんと人々に、後世に伝えていくのだ。そうしない人間は、自分中心のずるい人間である。
幹部は、増上慢になってはいけない。見栄っばりになってはいけない。格好などかなぐり捨てて、必死になって、会員を護り、会員に尽くしていくのだ。広宣流布に戦う会員に最敬礼していくのが学会の心である。
仏法は厳しい。御本尊は、すべてお見通しである。
どうか先輩の方々は、はりきって人生の総仕上げに取り組んでいただきたい。
全員が、いい人生を生きてもらいたい。いい人生を生きなければ、不幸である。
私はこれから、万代にわたる広宣流布の基盤をがっちり固めていく。日本も、世界も、これからである。
全同志がよいお正月を迎え、ご一家が栄えゆくことを、私と妻は、深く深く祈っている。学会の勝利、全学会員のご多幸を、日夜、祈り続けている。
どうか、風邪をひかれませんように。
同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
来年も勝とう!(大拍手)