投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月23日(日)10時05分24秒     通報
【全国合同協議会】(2006.11.22)

栄光の創立80周年へ新たな出発となる全国合同協議会の開催、おめでとう! (大拍手)
昭和53年(1978年)の3月16日 ―― 。
私は、三類の強敵との攻防戦の指揮を執った、正義の法城・立川文化会館で「青春桜」(女子部歌)の一詩を綴った。 〈「青春桜」は女子部の友の詩に名誉会長が筆を加えて完成したもの〉
冒頭は、こうである。

「ああ新世紀 時来たる 今ひらけゆく 金の道 春の曙  創価山 創価山 私のあなたの 青春桜」

きょうは、私が書いた詩の原稿(復刻版)を女子部の代表に差し上げたい。
女子部、婦人部の大発展とともに、学会の新時代は幕を開けた。いよいよ、時は来た。
どうか、皆さんは、仲良く、朗らかに、そしてまっすぐに創価の金の道を進んでいただきたい! (大拍手)

新任のリーダーは、口でどんなに立派なことを言っても、行動が伴わなければ、勝利はない。同志から信頼もされない。
言行一致が名将の第1条件である。
ご存じのように、今回、創価学園・創価大学出身の最高幹部として、正木理事長が誕生した。
創大出身、学園出身の副会長も、全国で活躍している。
皆、草創期、建設期の学園・創大に集ってくれた若き先駆者であり、これほど、うれしいことはない。
私は、未来を託す人材群をつくらんと、もう何十年も奔走し、全身全霊で育成してきた。そして、いよいよ、花を咲かせ、実をつけてきた。 今こそ、平和と文化の永遠の大道を敢然と開いていく時であると、私は確信している。
〈席上、創大出身のリーダーの代表が次の通り紹介された(敬称略)。

金沢敏雄 梶岡誓 吉郷研滋 浜野秀明 本多正紀 高梨幹哉 芝田晴一朗 松本正 大久保肇 和田吉隆 野元弘 小川武志 森中理晃〉

きょうは、懇談的にお話ししたい。
皆さんも家族の団らんのつもりで、リラックスして聞いていただきたい。
最初に、病気の方はいますか? 家族に具合の悪い方がいる人は?
私は、皆さん方一人一人のご健康を、またお父さん、お母さんはじめ、一家一族のご健康とご繁栄を毎日、真剣に祈らせていただいている。どうか、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
また、皆さんからいただいている大切な報告は、すべてきちんと整理し、大事にとってある。
妻と二人で朝方までかかって、目を通すこともある。
はがき1枚、報告書1枚たりとも、おろそかにしない。真心には真心でお応えしたい。
それが私ども夫婦の信念である。
また、幹部の中で、いつも報告に誤差のある人もいた。そういう点も鋭く見極めていかねばならない。
真剣でなければ歴史は残せない。ましてや、世界広布という偉大なる大事業を遂行していくことはできない。

将来の将来を考えて、若き皆さんのために、全国の会館などの整備もきちんと仕上げておきたい。
そのために、私は、もっともっと書いて、もっともっと働いて、創価学会という、広宣流布の世界一の大殿堂を完壁に築き上げておきたいのだ。
将来、総本部が完成したときには、そこに資料室を設置して、報告書をはじめ皆さんの闘争の足跡を、そのまま留めさせていただきたい。
そして、「あの時、あの人は、こう戦ったのか!」と、後世の歴史に厳然と残して差し上げたいのである。これが私の真情である。

きょうは沖縄からも代表が駆けつけてくれている。
遠くから、本当にありがとう! (大拍手)
沖縄が勝てば、全国が勝つ。これが不思議なる学会躍進の法則なのだ。
沖縄の皆さん、いつもご苦労さまです。本当におめでとう! (大拍手)

わが恩師・戸田先生のことが、私はいつも心から離れない。
本当に希有の大指導者であられた。
青春時代、私が、どんな思いで戸田先生をお守りしたか。どれほど苦しんだか。
若い諸君は、想像もつかないだろう。
今は、立派な会館もある。人もたくさんいる。やろうと思えば、何だってできるのだ。
戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
鬼のような債権者に追われる日々。月給ももらえない。戸田先生にお世話になっていた者は、一人去り、二人去り、やがて皆、離れていった。
その中にあって、ただ一人、私が、最後の最後まで先生にお仕えしたのである。
弟子の私は、広宣流布のため、戸田先生のために死ぬことを覚悟していた。
戸田先生は、お前が死ぬなら、その上にうつぶして、俺も死ぬと覚悟しておられだ。
師弟は不二であった。
恩師に尽くし、広布に尽くし抜く、不惜身命の戦いこそ、初代の牧口先生から、第2代の戸田先生へ、そして第3代の私へと受け継がれた、本当の学会精神である。
この三代の師弟の魂が根本である。
もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。
私は、青年時代、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んだ。
この深き使命の自覚の中にこそ、本当の「勇猛精進」があり、未曾有の広宣流布の歴史が築かれるのである。

御聖訓に「法妙なるが故に人貴し」 (御書1578ページ)と仰せである。
変わりやすい人に依るのではない。永遠に変わらぬ法が貴いのだ。その法に殉ずる人、信順する人が立派なのである。

戸田先生は、遺言のごとく、多くの同志の前で、こうおっしゃったことがある。自分のことになって恐縮だが、後世のためにあえて残させていただく。
「私は、何百人、何千人もの弟子を見てきた。本当に誠実に、私を支えてくれ、創価学会に尽くしてくれたのは、大作が一番だ。大作こそ、誠実の模範である」と。
皆さんも誠実のリーダーであっていただきたい。
役職でもない。立場でもない。ただ、行動である。信心である。
全員が師弟不二の本物の弟子となっていただきたいのである。
よろしく頼みます!(大拍手)

初代会長の牧口先生は「われわれは、これからのことを考えて生きていくのだ」と語っておられた。
日蓮仏法は「現当二世」である。未来が大事である。
いかなることがあっても、常に「きょうから明日へ」、未来を見つめて、前へ前へと向かっていく。
この精神で進んだから、今日の学会はできあがった。
個人の人生も方程式は同じである。「常に前へ」「常に未来へ」 ―― この、すがすがしい心意気で進んでまいりたい。
また、「弱さに基づく臆病は、罪であり、悪である」とは、牧口先生の重大なご指導である。
威張る人間。ずるく立ち回り、最後は同志を裏切っていく入間。その本質は「臆病」である。じつは弱い人間なのである。
名誉、地位、お金。そんな今世限りの幻を追い求める人生は、常に、それを失う不安と背中合わせである。
反対に、信心とは「勇気」の異名である。
私たちには、信心という、「三世の勝利」への絶対の法則がある。
ゆえに、広宣流布を破壊する悪とは恐れなく戦い、打ち破っていくことだ。
きょうは、北陸出身の方はおられるだろうか?〈会場から「ハイ!」の声〉
北陸に縁の深い曾谷殿に、日蓮大聖人は、こう厳しく教えておられる。〈曾谷教信は今の千葉県に住み、今の富山県にも所領を持っていた〉
「法華経の敵を見ながら、放置して責めなければ、師匠も弟子もともに無間地獄に堕ちることは疑いない」(御書1056ページ、通解)
〝弟子よ、広宣流布の敵とは断固戦え〟との厳命であられる。厳しい御言葉であるが、まったく仰せの通りだ。
そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。
フランスの文豪ロマン・ロランの戯曲にこんな科白があった。
「政治が下等な奴らの手に渡るのは、いい人問が引っこむからだ」(宮本正清訳「ロベスピエール」、『ロマン・ロラン全集11』所収、みすず書房)
いい人材を育て、いい人間が中心になっていく。この流れをつくるところに、人材の城はできる。永遠の発展と勝利が開かれる。政治に限らず、どんな世界、どんな団体も同じである。
ロシアの文豪トルストイは、世の転倒を憤って書いた。1910年、亡くなる年の「最後の日記」の一節である。
「働いている人々に対して働いてもらっている連中が感謝する代りに、働いている人々が自分達のために働くように強制する連中に対して感謝しているのである。何という狂気の沙汰であろう」(八住利雄訳『トルストイ最後の日記』栗田書店、現代表記に改めた)
学会は、未来にわたって、絶対にこうなってはならない。
最前線で広布のために戦っている人々に感謝し、尽くしていく。それが幹部の使命である。

創価学会は、創立80周年へ向かって、新しい前進を開始した。
また、このたびは、神奈川の新出発、おめでとう! (大拍手)
「人事が成功すれば、組織は倍に飛躍する」とは、戸田先生の乙指導であった。
反対に、人事で失敗したら、広布は大きく後れをとってしまう。
今までに倍する創価の大勢力を築く! ―― この決意で、頼みます!(大拍手)
また、戸田先生は言われた。
「広宣流布の功績は長く、人生は短い。
短い自らの運命にあって、永遠に残りゆく壮大な歴史を、因果の理法という歴史を、勇み喜んで、戦い綴っていけるような自分自身であれ!」
深い深い意味のある言葉だ。
どうか皆さんは、広宣流布に生きて生き抜いて、たくさん功徳を積んで、永遠勝利の人生を勝ち飾っていただきたい。

11月18日は、学会創立の日であり、牧口先生の殉教の日でもある。
この日、「アメリカ議会図書館」より、創価大学の「創価教育研究所」に、戦前の貴重な資料の複写が届けられた。
それは、あの大弾圧で学会幹部が大量に検挙された際、特高警察によって押収された、牧口先生の講演の記録である。
その講演は、ちょうど64年前のきょう、11月22日に行われたものである。〈創価教育学会の第5回総会での講演〉
おそらく、特高が押収した資料を、終戦後に占領軍が押収し、何らかの経緯で海を渡ったと考えられる。
アメリカで保管されている資料には、当時の取り調べのためであろうか、牧口先生の講演内容を要約し、「注意」と記した付箋紙が、何枚も貼り付けられたままになっている。
牧口先生は、その講演のなかで師子吼されている。
「魔が起こるか起こらないかで信者と行者の区別がわかるではないか。
自分の一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起こらない。
これに反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起こる。起こることをもって行者と知るべきである」(現代表記に改めた。以下同じ)
よくよく学ぶべき初代の精神である。
また、次のようにも語られている。
「大聖人様は『愚人にほめられたるは第一のはぢなり』と仰せられているが、誰にも人にほめられたい心がある、少なくとも悪くは思われたくないという臆病さがある。
事実、他人にはよい事でも気にさわると思えばなかなか言えないが、言わなければならないのが親心であり、言えないような臆病の者は大聖人の御弟子にはなれないのである」
「『土籠御書』には『法華経を余人のよみ候は口ばかり・ことばばかりは・よめども心はよまず・心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』と仰せられた通り、立派な生活をしてその証拠をあげるのが我々のつとめである」
牧口先生の口ぐせは、「僕は〝生涯青年〟だ」という一言だった。この言葉通りに、戦い抜かれた一生だった。
「人生とは、完成に達するための努力の中にある」 ―― これは、文豪トルストイの言葉である(前掲『トルストイ最後の日記』)。
人生の旅に、 「これでいい」ということはない。ましてや、日蓮大聖人の仏法に停滞はない。
御書には仰せである。
「無意味に、荒野に捨てるこの身を、同じことなら、法華経のために捧げ、法を求めて身を投げた雪山童子や、ひじを焼いて法華経に供養した薬王菩薩のあとに続き、(護法のために戦った)仙予国王や有徳王のように、わが名を後世にとどめよう。そして次に法華経、涅槃経が説かれる時には、わが名が、その経典に説かれることを願っている」 (御書999ページ、通解)
臆病は損である。
我々も、牧口先生のごとく、「生涯青年」の気概で、広宣流布の歴史に名を残す人生を、ともに歩んでまいりたい(大拍手)。

中国の『韓非子』に、「明君は善人をさがし出してそれを賞し、悪人をさがし出してそれを罰する」という言葉がある(金谷治訳、岩波文庫)。
善悪を峻別せよ! 賞罰を明らかにせよ! ―― 牧口先生も、戸田先生も、そう教えられた。
仏法の明鏡に照らして、だれが善人で、だれが悪人か。今、私は、この点を真剣に、厳しく見ている。
学会は、どこまでも、この一点を明快にしていきたい。

フランスの哲学者ベルクソンは言った。
「本質的に笑うべき欠点は虚栄心である」〔林達夫訳『笑い』岩波文庫)
虚栄心とは、わかりやすく言えば、「見栄っぱり」の心である。
信心の世界に見栄は必要ない。自分自身の成長を妨げる害悪ともなる。
真心から後輩に尽くしていけない人の心の奥底には、見栄がある。
三国志の英雄・諸葛孔明は、指導者が持つべき必要条件の一つとして、「信義を重んじること」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)を挙げている。
信義をもって友と交わるべきである、と。
広布のリーダーの皆さんも、この一点を深く銘記していただきたい。
学会の役職は、責任職である。現実に広布を進めていく上で、人によって役割の違いはある。役職も違う。しかしそこに、位の上下は一切ない。学会は、全員が平等の世界である。
役職が上だといって威張るなど、言語道断である。また、命令で人を動かそうなどとしてはならない。
誠実な行動と信義によって人は動いてくれる。また、信義によって結ばれた絆ほど、強固なものはない。

スイスの哲学者アミエルは「苦しんだことのない者は軽い」(河野与一訳『アミエルの日記』岩波文庫)という言葉を残している。
含蓄のある一節である。
人は、苦しんでこそ本物になれる。何の苦労もしないで偉くなろう、成功しようというのは、あまりに浅はかな考えである。
努力しない人、忍耐強く苦難を突破したことがない人 ―― そういう人は信用できない。
また、役職をもつと自分が苦労することを避けて、うまく人を操ってやらせようとする人間もいる。自他ともに、厳しく戒めていってほしい。

昭和25年(1950年)の10月30日、戸田先生の事業の苦境の打開のため、私は埼玉へ足を運んだ。
その日の日記に、私はこう記した。
「不純と、狡猾なる現実社会に、当たって砕ける勇敢さで、努力することだ。されば必ず、一歩道が開かれる。悔いは浄化される」
現実は厳しい。また冷酷で醜い側面も持っているだろう。しかし、環境や境遇をいくら嘆いても、何も変わらない。負けるわけにはいかない。
勇敢な努力で、真正面からぶつかっていくことだ。そうすれば、必ず道は開ける。悔いのない人生が生きられる。
青年のころから、私はそうやって生き、勝ち抜いてきた。
戸田先生は、次のように、よく言われていた。
とくに、けなげなる創価の女性の皆さまに、この言口葉を贈りたい。
「一生成仏という大空に悠々と舞い上がっていくには、難という烈風に同かって飛び立たねばならぬ。
難に負けない信心こそが、永遠の幸福の城を築さゆく力なのだ」
先生の雷葉を、私はすべて大事に記録してある。
それが真実の弟子の生き方であるからだ。
あるとき先生は、こう叫ばれた。
「広宣流布とは、万人の幸福を勝ち取る人権闘争である。正義の闘争である。
それが、学会青年の使命だ!」
新しい時代の旅立ちに当たり、わが青年部に、この戸田先生の言葉を贈り、万感の期待を託したい。

先生は、かつて、こう呼びかけた。
「大埼玉が立てば、大東京が動き、大関東が動く。大関東が動けば、日本が変わる。私と共に広宣流布を!」
埼玉の友への先生の遺言である。埼玉の皆さん、よろしく頼みます! (大拍手)

四国の地で、先生は〝広宣流布の先駆者として、四国はもとより、東洋の志士の先達として、広宣流布の役に立つ人になってもらいたい〟と訴えた。
四国の尊き同志は、戸田先生のご期待に応えて、見事な前進を成し遂げてくださった。
四国の地で、先生はこうも断言された。
―― 広宣流布とは、学会員の拡大を意味するだけではない。
社会的な腐敗を正し、民衆が主役の時代を開くために、政治や教育、芸術など、あらゆる分野に進出し、妙法の人間主義を開花させることである ―― と。
民衆を賢明にしたい。民衆を強くしたい。民衆が主役の時代へ、四国の同志よ、勇敢に立ち上がれ!
戸田先生と同じ気持ちで、私は四国の皆さまに呼びかけたい。
四国、頑張れ!(大拍手)

ここで、日興上人が認められた御手紙の一節を拝したい。
日興上人は「美作房御返事」で、五老僧について、このように述べておられる。
「『師を捨ててはいけない』という法門を立てながら、たちまちに本師(日蓮大聖人)を捨て奉ることは、およそ世間の人々の非難に対しても、言い逃れのしようがないと思われる」 (編年体御書1729ページ、通解)
大聖人が御入滅された後、高弟だった五老僧は大聖人の御遺言に背き、師の墓所への定期的な参詣と守護を行わなかった。
「師を捨ててはいけない」という重大な戒めを知りながら、師匠である大聖人がいなくなると、手のひらを返したように師を捨ててしまう。その傲慢で、浅ましい姿を厳しく破折しておられるのである。
近代日本の思想家・内村鑑三は述べている。
「傲慢は罪悪の首であって其極である」(『内村鑑三著作集第6巻』岩波書店)
傲慢から転落が始まる。かつて大恩ある学会に反逆した人間の多くも、「自分が一番偉い」と傲り高ぶっていた。
そうした人間が、最後は哀れな末路をたどっていることは、皆さんがご存じの通りだ。
イギリスの哲学者ジョノ・ロックは、こう述べ」いる。
―― 嘘つきは非常に悪い性質であり、そのために人は恥ずべき卑しさの最低段階におとしめられる。また人類の最も軽蔑すべき部類に入れられ、嫌悪される悪党の仲間に入れられるのである、と(服部知文訳『教育に関する考察』岩波文庫から)。
その通りだ。嘘をつく人間を絶対に信用してはならない。
同じくイギリスの哲学者のラッセルは記している。
「人は重要なポストにつくと忠告の言葉に耳を傾けなくなるので、自分の心掛けを改める機会がなくなる」 (中野好之・太田喜一郎訳『人生についての断章』みすず書房)
重要な指摘である。戸田先生、そして牧口先生も、このことを訴えておられた。
また、古代ローマの哲学者セネカは綴った。
「人間を評価するのに、ただ着物か地位だけからするならば、それは大馬鹿者です」(茂手木元蔵訳『道徳書簡集』東海大学出版会)
大事なのは人間の〝中身〟だ。信心である。
社会的な立場やお金の有無で、人の偉さは決まらない。

イタリアの桂冠詩人であるペトラルカ。
彼は、創立900年を超える世界最古の総合大学であるボローニャ大学に学んだ。
私は、このボローニャ大学からも名誉博士号を拝受している。その際、同大学の大講堂で記念講演を行ったことが懐かしい。〈1994年6月、「レオナルドの眼と人類の議会 ―― 国連の未来についての考察」と題して講演〉
ペトラルカは述べている。
「容貌の美しさも何になろう。心がみにくく汚れているなら」(近藤恒一編訳『ルネサンス書簡集』岩波文庫)
どんなに表面が立派でも、内面が汚れていては台無しである。大切なのは、わが心を磨いていくことだ。内面から美しく輝いていくことだ。
そのための最高の方法が信心である。広布に生き抜く人が、一番きれいに心を輝かせていけるのである。
幕末に、松下村塾で多くの人材を育てた吉田松陰は述べている。
「志ある人物は必ず志を同じゅうする友があり、師を同じゅうする朋がある」(近藤啓吾訳『講孟剳記(上)』講談社学術文庫)
深い言葉である。
同じ一生ならば、大きな志に生ききることだ。広宣流布のため、世界の平和のため、正義のために生き抜くことだ。
「声仏事を為す」 (御書708ページ)である。その志を、堂々と語りゆくのだ。
「ああ、あの人はすごいな」 「さすがだな」と言われるような人生を築いていくことだ。
そのためにも、善き友と交わっていくことが大切なのである。それを仏法は教えている。
真実の同志、偉大なる人生、その集まりが、創価学会なのである。
それでは、以上でスピーチを終わりたい。
長時間、ご苦労さま!
どうか、お元気で!
風邪などひかれませんように。お父さん、お母さんを大切に。
私も、皆さんのために題目を送っています。後世のために、次々と手を打っています。
各方面にお帰りになりましたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
どうか、リーダーの皆さんは、友の心がパッと広がるように、明るく、伸び伸びと、勝利の指揮をお願いします。
親しみにあふれ、家族のように、大きな心で抱擁してあげていただきたい。
すべての活動は、自分自身のため、学会の発展のため、広布の地盤を広げるためにある。
胸を張って前進しよう!.
一緒に頑張ろう! また、お会いしましょう!(大拍手)