投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月20日(木)02時01分32秒     通報
【11・18「創価学会創立記念日」祝賀協議会】(2006・10・28)

栄光燦たる学会の「創立の月」、おめでとう! (大拍手)
全同志の尊き健闘ありて、わが創価学会は、すべてに勝って、創立76周年の「11・18」の佳節を、最高に晴れ晴れと迎えることができます。
本当にありがとう!
本当におめでとう!
日本全国、そして全世界の同志のさらなるご健康とご長寿、ご尊家のご多幸とご繁栄を心から祈りつつ、祝賀のスピーチを留めさせていただきたい(大拍手)。

有名な「諸法実相抄」に仰せである。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)と。
この「地涌の義」の大法則通りに、今、新しい人材が続々と使命の大地に躍り出て、新しい力を発揮しながら育ってきている。
これほど、うれしいことはない。
創価学会の前途は、太陽が赫々と昇りゆくように、限りなく明るく開かれている。
先輩は、伸びゆく後輩を大切にすることだ。
後輩は、先輩のよいところを見習って、大いに力をつけていくことだ。
「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(同1463ページ)
この永遠の指針のままに、学会は「異体同心」で団結していくことだ。
全員が尊き使命を持った地涌の菩薩である。
全員が偉大なる広宣流布の同志である。
我々には何一つ、差別はないのである。
なかんずく、牧口常三郎先生は、「下から上を動かせ」と常々、教えられた。
「上から命令を押しつけるのではない。下からの意見をどんどん聞いて、いかしていくのだ」 ── これが、先生の正しい価値観に基づいた組織論であった。
その通りに実践してきたから、学会は常に活力を漲らせながら、発展してきたのである。これからも、この鉄則を絶対に忘れてはならない。

戸田城聖先生は遺言として、「信心は日蓮大聖人の時代に還れ! 」と言い残された。これが、戸田先生の叫びであられた。
創価学会の「創立の原点」とは、まさしく「大聖人の精神」に立ち返ることである。
ここに、初代、2代、そして3代の創価の師弟を貫く魂がある。
御聖訓には、「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし」(同989ページ)と説かれている。
この「日蓮が如く」との仰せを違えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。
だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。
無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。

仏法の根幹は「師弟」である。
戦後、事業が挫折し、絶体絶命だった戸田先生を、青春の一切を捧げてお守りしたのは私である。
先生は、その私に第3代を託し、全身全霊で育ててくださった。
先生が、病弱だった私をどれほど心配され、どれほどの思いで御本尊に祈ってくださったか。その大恩は計り知れない。
私は戸田先生の弟子である。
その誇り高き自負を抱いて、師匠のため、学会のため、広宣流布のために、あらゆる難を一身に受けながら、あらゆる批判に耐えて、私は、ここまできたのである。
この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。
「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。「師弟不二」に徹し抜いていけば、今の何倍も、学会は発展していくことができる。
仏法の師弟を忘れた恩知らずの輩に、大切な学会を食い破られてはならない。妙法の宝剣で、魔と戦い、魔を断ち切っていくのである。

今、幾多の同志から、「本当に戦いやすい時代になりました」との喜びの声が寄せられる。
不可思議なる大法興隆の好機を迎えているのだ。
日寛上人は、「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(当体義抄文段)と仰せである。
76周年の「創立の日」を迎えるにあたり、大聖人直結の「学会精神」「師弟の魂」を、一段と深く強く、わが生命に燃え上がらせていくことだ。信心とは、宇宙大の智慧と力の源泉なのである。

学会は、仏意仏勅の正義の団体である。
学会は、仏法を基調とした真実の人間主義の団体である。
戸田先生は、よく言われた。
「広宣流布を行ずる学会員は、御本仏の行を、その代理として行ずる人である。
ゆえに、その人の日常は、御本仏に感応して、偉大な生命力が涌出して、その顔も生き生きとし、その体も元気に満ちて、いかなる困難にも打ち勝っていくことができる。
人智をもってはかり難い功徳を受け、諸天は必ず加護するし、魔および鬼神は近寄れないのだ」と。
御本仏のお使いとして戦った人を、諸天は断じて守るのである。
ともあれ、新しい「前進・勝利」の息吹を満々と湛えながら、新しい広宣流布の布石をしていく時代に入った。
どこまでも、御書に仰せの「不惜身命」と「異体同心」 ── この二つを根底としていくことである。
そして、万年の広布の未来をはるかに見すえながら、私と一緒に、同志と一緒に、楽しく朗らかに希望の前進を開始してまいりたい! (大拍手)

創価学会の創立76周年を、世界からの200の「名誉学術称号」をもって荘厳し、牧口先生、戸田先生に捧げることができたことは、弟子として、この上ない誉れである。
ありがたいことに、いくつもの大学が、名誉学術称号の授与の理由として、創価の「師弟の道」に対する大きな共感を挙げてくださっている。
「師弟」とは、「信仰」の真髄であるとともに、「教育」の真髄でもある。
アルゼンチンの名門フローレス大学のケルテース学長も、こう語っておられた。
「私もまた、この素晴らしき師弟の関係を尊重し、自身の行動の基本としていく所存であります。我がフローレス大学におきましても、恩師を顕彰するための特別室がございます。
恩師の現代科学と人類への貢献は、我が大学の発展と前進を促しました」
「(恩師は)私たちを英知の光で照らし、進むべき道を切り開いてくださいました」
どこまでも、恩師を大切にし、宣揚する。徹して創立の師を重んじ、その恩に報いる。
そうであってこそ、組織や団体は、いかなる歳月の淘汰にも揺るがない、堂々たる精神の伝統を構築していけるのだ。
このフローレス大学で、恩師として顕彰されている一人が、20世紀のアメリカ最高峰の心理学者マズロー博士である。
「人間主義心理学」を創始し、その洞察は今もなお、各界に大きな影響を与え続けている。
このマズロー博士をめぐっては、核兵器廃絶を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の会長で、インドの「緑の革命の父」であるスワミナサン博士とも語り合った。
マズロー博士は、権力の魔性を鋭く喝破し、それを超克していく「リーダーシップ」のあり方を示している。
博士は、警鐘を鳴らしている。
「権力の獲得は、大抵の人達を、善よりも悪の方向に導いてしまう傾向にあるというのが私の印象です」(エドワード・ホフマン編、上田吉一・町田哲司訳『マスローの人間論』ナカニシヤ出版)
人類の宿命的な命題であるといえよう。
これを大転換していかない限り、不幸の流転を止めることはできない。
博士は論じている。
「権力を求める人間は、その権力を持つ資格のない者である」
「仮にこのような人間が権力を得た場合、まちがった権力の行使をやりかねない。
すなわち、征服、圧迫、人を痛めつけることなどによって、利己的快楽をほしいままにし、意識的、無意識的に権力の乱用をすることになる。このような人間がリーダーとなった場合、義務も、職務も、目標も、すべて忘れさられてしまう」(原年廣訳『自己実現の経営』産業能率短期大学出版部)
仏法では、こうした権力の魔性を「他化自在天」すなわち、「自分以外のすべてを、自分の手段として利用しようとする、生命の根源的な傾向性」としてとらえる。そして、その魔性を本源的に打ち破り、自他ともの幸福を目指す道を説き明かした。
この戦いは、仏法を根本とした「人間革命」運動の一次元であるともいえる。
だれよりも、まず指導者自身が、「人間革命」することである。

有名な『プルターク英雄伝』に、ある将軍の人生が描かれている。
それは、強敵を打ち破り、多くの戦いで勝利を重ねて名を馳せた、ローマのルクルス(ルークルルス)である。
彼は、勇気も智略も備えた将軍であった。
しかし、ある時点から「順風が止んだように」何事もうまくいかなくなってしまったという。兵士たちの心も離れた。
その「最大の原因」は何であったか。作家プルタークは洞察している。
それは、「すべての人を軽蔑して自分に比べればまるで価値がないものと考えていたことである」と(河野与一訳、岩波文庫。現代表記に改めた)。
他者を尊敬できない「傲慢」、他者を大事にできない「慢心」が一凶であったというのである。
ゆえに彼自身が、自分の兵士たちから軽蔑された。
我らの世界においても、幹部は断じて威張ってはいけない。また、威張らせてはいけない。
特に、女性に対して威張る幹部を許してはならない。

リーダーになればなるほど、大きな心で、後輩たちの成長を願い、喜びとし、自分以上に後輩を立派にしていく道を開いていかねばならない。
どれだけ、後輩を大事にし、人材を育てたか。この一点にこそ、単なる「権力者」であるか、優れた「指導者」であるかの違いがあるのだ。
マズロー博士は、「新しい人間」「創造的な人間」「臨機応変に即応できる人間」「自信と勇気のある人間」の育成を目指していた。
博士は、人間を育てていくために大事な方法をこう提示している。
「人びとを成長させる一つの方法は、責任を与え、果たし得るものだと仮定し、苦労をさせ、汗を流させることだと思う。
彼らを過保護にし、甘やかせ、代わりにやってやるよりも、自分自身でやらせることである」(上田吉一訳『人間性の最高価値』誠信書房)
学会の人材育成にも通ずる方程式といってよい。青年部は、誇り高く責任を担い、自分自身を広宣流布の指導者に築き上げていただきたい。
また、マズロー博士が目指した変革のビジョンがある。それは ──
「社会の全成員が目標を明確に理解し、全力を尽くして各人になしうる最大の貢献を果たすのが理想的な社会変革の姿なのだ。
一人ひとりの人間が、皆等しく将軍となるのである」(金井壽宏監訳、大川修二訳『完全なる経営』日本経済新聞社)
戸田先生の晩年に、私は青年部に「全員が戸田先生の如く」と叫んだ。そして、総立ちして戦い、先生の総仕上げの歴史を飾ったのである。
今、私は、わが後継の青年部に、「全員が山本伸一たれ!」と申し上げておきたい(大拍手)。

圧迫をはねのけ、大いなる自由を勝ち取ったアメリカ独立革命。
これをめぐって、第2代のアダムズ大統領は、第3代のジェファソン大統領への手紙に書き記している。
「アメリカ革命とは何を指すのでしょうか……革命は人々の心の中にありました」(明石紀雄著『モンティチェロのジェファソン』ミネルヴァ書房)
すなわち、あの独立革命も、あくまでも、人々の心の革命の結果であったというのだ。
また、中国の近代民主革命の先駆者であった孫文も語った。
「革命事業をなすには、どんなことから始めたらよろしいのか。
それにはまず、自分の心の中からはじめ、自分がこれまでもっていた良くない思想・習慣や性質、野獣性、罪悪性や一切の不仁不義な性質をすべて取り除かなければなりません」(庄司荘一訳「陸軍軍官学校開校演説」、『孫文選集第2巻』所収、社会思想社)
これまで人類の歴史が試行錯誤してきた「革命」の理想を、平和裏に、そして着実に実現しているのが、創価の「人間革命」の大運動なのである。
戸田先生は、よく言われた。
「一切をよりよく変化させゆくのが、妙法の無限の力用である」
また「学会の革命は、あらゆる部門にわたり、広さは随一である。そして、それは、全民衆から盛り上がる力によって成し遂げられるのである」と語っておられた。
そのうえで、先生は結論された。
「大事なのはリーダーだ。リーダーで決まる。指導者が自分を変えるしかないのだ」
組織が衰退するときも、まず〝上〟が腐敗するところから始まる ── これは、古今東西の歴史が示してきた厳しき教訓といえよう。
永遠の発展の道をつくるのは「今」である。
皆が「広布の責任者」との自覚に立つことだ。
皆が「師とともに」勇んで進むことだ。
ここに学会の強さがある。
どこまでも、「正義は正義」と叫び抜くのだ。
そして自らが、慈愛あふれるリーダー、信義を貫くリーダーとなりゆくことである。
もう一度、新しい決意に燃えて、心一つに、新しい時代を開いてまいりたい(大拍手)。

私が「戸田大学」で学んだ御書に「当体義抄」がある。
その一節に、こう仰せである。
「所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じた肉身そのものをいうのである。
正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身(=仏が証得した真理)・般若(=真理を悟る智慧)・解脱(=法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した状態)の三徳と転じて、三観(=三種の観法。観法とは法を観ずること)・三諦(=仏が悟った究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一心にあらわれ、その人が住するところは常寂光土となるのである」(御書512ページ、通解)
まことに深遠にして重大な御聖訓である。
まさしく、信心とは「革命」である。
「命」を「革める」 ── このわが身を、「仏」の生命に「革命」していくのである。
自分が今いる、わが家庭を、わが職場を、わが地域を、わが組織を、わが社会を、そして、わが世界を、「寂光土」へと革命していくことなのである。
そのすべてが、自分自身の「心」の革命、「一念」の革命から始まる。そして、その革命を成し遂げる究極の力が、「師弟不二」にあるのだ。

師弟に生き抜く人生は、すがすがしい。
生涯、戸田先生とともに! ── それが私の最高の誇りだ。先生のことを思えば、限りない力がわいてくる。
戸田先生の薫陶を受けた10年間は、私にとって100年分もの価値がある。いな、それ以上の、かけがえのない宝の時間であった。
決して順風満帆の青春ではなかった。4人の兄は兵役にとられ、一家の柱の父はリウマチ。私は家族を守りながら、死にものぐるいで戸田先生にお仕えした。
先生は自ら、万般にわたる学問を、私に打ち込んでくださった。「大作しかいない」と、命をかけて育ててくださったのである。
師の恩に報いる。ここに人間の道がある。
仏法は「恩」を重視する。恩を知らないのは畜生である。報恩こそ、人生の肝心要の精神にほかならない。そこに、生命の栄冠が輝きわたる。

先日、200番目となる名誉学術称号を拝受した「北京師範大学」は、中国の教育界の最高峰である。
創立は1902年。実に104年の伝統と歴史を誇る。北京大学などとほぼ同時期に誕生した、先駆の中の先駆の名門である。
創立者は、中国の「大学の父」と敬われる大教育者の張百煕先生である。〈張百煕が1902年に創立した「京師大学堂師範館」が、北京師範大学の淵源〉
当時、中国は、日本そして列強諸国に侵略され、蹂躙されていた。その混乱の闇の只中で、張先生は決然と立ち上がった。
社会を照らす希望の光明は、「教育」しかない!
これからの時代は、「人材」を育てたところが勝つ!  ── と。
なかんずく、「教育は教師で決まる」というのが、この創立者の信念であった。
ゆえに、創立者は叫んだ。
「良き教師を集めるためには、慣例や慣習に囚われてはならない」
「教師は、品性と学問を併せ持った、徳望のある存在でなければならない」
だからこそ、創立者は、国中をかき分けるように、懸命に人材を探した。
優秀な教育者がいると聞けば、自ら出向いて、まさに「三顧の礼」を尽くして迎え入れた。その真剣な熱意に、多くの高名な教育者が続々と集ってきた。
そして、創立者の大誠実に、教授陣も大誠実で応えたのである。
本年、創価大学・創価学園に来学されたタイ王国の国立メージョー大学のテープ学長も語っておられた。
「教育の成功の鍵は、創立者と同じ情熱を教師自身がもてるかだと思います」
〈国立メージョー大学からは、池田名誉会長に「名誉管理学博士号」が贈られている〉

今、日本の教育界において、大学への評価がさまざまに行われている。
その中でも、「創立の精神」「建学の精神」の重要性が再認識されていることは、ご存じの通りだ。
思えば、私が2度、講演させていただいた、世界最高峰のハーバード大学も、「創立の精神」を大切にしていた。
私に最初に、ハーバード大学への招聘状をくださったのは、世界的な政治学者ジョセブ・ナイ教授であった。
私はナイ教授に、こう質問したことがある。
ハーバード大学が、第一級のリーダーを陸続と輩出している理由はどこにあるのか ── と。
ナイ教授は、明確に、答えておられた。
「まず申し上げるべきは、伝統の力でしょう。
〝真理の追究〟と〝公共の利益に資する〟 ── これがハーバード大学の精神ですが、私たちは長い間この信念を守り抜いてきましたし、今もなお伝統の実現のために努力しています。ここに人が育つ背景があると思います」
ハーバード大学の創設が、マサチューセッッ湾植民地の総会で議決されたのは、370年前(1636年)の10月28日。あのメイフラワー号のアメリカ到着から、わずか16年後のことである。
大学の創立には、「学問の光」で社会を照らすという「開拓の父母」たちの願いが託されていた。
この点、ナイ教授は、こう語っておられた。
「たとえ小さく原初的であっても、草創期のハーバード大学は、すでに『学問の重要性』を体現していました。『精神』は偉大でした。
大きく発展した今も、その創立の精神は生きています。どう生かすかと探求し続けています」
〈ハーバード大学の学識者からも、池田名誉会長の「200」の名誉学術称号受章に対し、祝福の声が寄せられている〉

さて、周恩来総理は、1963年の7月、北京師範大学等を卒業する学生の代表を人民大会堂に招き、多忙ななか、深夜まで5時間にわたって懇談を行った。
それほど、周総理は、学生を大事にしていた。人材の育成に全魂を注いでおられた。
総理は、学生たちを、こう励まされた。
「その国の真の姿は、何で決まるか。
それは、いかなる困難を抱えているかではない。それらの困難に対して、指導者がどう立ち向かっていくかで決まる。
今、我々は、多くの困難を抱えている。しかし、我々は、それを断固として打ち破っていくのだ」と。
組織であれ、個人であれ、常に困難はある。それは、むしろ前進している証拠なのだ。
すべての試練が、何ものにも負けない自分自身を鍛え、何ものにも崩れぬ自分たちの「城」を築き上げていくのである(大拍手)。

先日、ノーベル平和賞の受賞者である、ケニアのワンガリ・マータイ博士が、出版されたばかりの自叙伝を私に贈ってくださった。
博士は、アフリカで3000万本の植樹を推進した「グリーンベルト運動」の創始者である。
〈マータイ傅士からは、池田名誉会長の200の名誉学術称号受章に際して、真心あふれるビデオ・メッセージも寄せられた〉
自叙伝のタイトルは、『不屈』 ── 。
一人の母として、多くの女性たちと連帯し、未来の子どもたちのために、不屈の意志で戦ってこられた壮絶な半生が、感動的に綴られている。

博士は自らの信念について、こう述べておられる。
「自身にとって、大きすぎる責任を担うことは、むこうみずな場合もあります。
しかし、ただひたむきに挑戦を続けていくならば、考えられないような結果を達成することができるのです」
素晴らしい言葉だ。
次元は異なるが、皆さまもまた、学会のリーダーとして大きな責任を担っておられる。
学会の役職は、その地域の「幸福責任者」であり、「勝利責任者」である。重責を担う苦労は大きいが、それだけ充実も成長も、そして福運も大きい。
マータイ博士は、こうも綴っておられる。
「〝恐れない〟ということは〝粘り強い〟ということでもあるのです」
博士は、さらにまた、民衆への「恩」と「感謝」について、次のようにも述べておられた。
「木は、私の人生の重要な一部であり、多くの教訓を与えてくれました」「木は、その根っこを大地に持ちながら、空に向かって伸びていきます。
大志を持つためには、地に足をつけていなければならないし、どんなに高く伸びても、私たちは、その根っこから滋養をもらっているのです。
これは、どんなに成功しても、自分のルーツ(根っこ)を、決して忘れてはならないという教訓です。
政府のなかで、どれほど大きな力を持とうとも、どれほど多くの賞を受賞しようとも、私たちが目標を達成するための力や活力、そして能力は、すべて民衆のおかげなのです。
私たちを育んでくれた大地であり、私たちをその肩で支えてくれる、民衆の陰の働きのおかげなのです」
あらゆる指導者が、胸に深く刻むべき言葉であろう。
平和も、文化も、幸福の花も、民衆という大地に咲き薫る。
すべてを育む大地である、かけがえのない民衆に一生涯、感謝し、恩に報いていく。そこに真実の人間の偉大さがある。

ともあれ、「民衆とともに」「民衆の中で」「民衆のために」 ── ここに、広宣流布の大運動の永遠の軌道がある。
日蓮大聖人が、なぜ「民の子」として御聖誕されたのか。ここに、民衆仏法の甚深の意義がある。「民の子」に生まれたがゆえに、法華経の行者として三類の強敵を招き寄せたのである。
日寛上人は「悲門は下を妙と為す、即ちこれ慈悲の極なり」と記しておられる。
仏の慈悲の門は、庶民として生まれ、大勢の人々を救うことを「妙」となすのである。
人類の99パーセントは「民衆」である。仏法は、一握りの特権階級のものなどでは絶対にない。全民衆、全人類を救うためにある。
そのために、御本仏自らが庶民として出現され、民衆を尊び、民衆の味方として戦い、生き抜かれたのである。
後継の日興上人も、また日目上人も、見栄っ張りな三位房らのように、当時の最高学府に当たる比叡山などに遊学されなかった。
大聖人にどこまでも常随給仕して、師とともに法難を受けきっていかれたのである。
創価の三代も、同じ精神である。
大事なのは庶民だ。庶民を守り、大切にする。牧口先生も、戸田先生も、そして私も、その一点に心を砕いてきた。
無冠の庶民が一生懸命、戦ってくださった。それを諸天善神、そして大聖人が護ってくださった。だから学会は、ここまで発展した。
無名の庶民の母が、幼子を背負って折伏に行き、馬鹿にされ、悪口を言われながら、必死に戦ってきた。
こういう方々の戦いで、広宣流布を成し遂げてきたのである。
目的は庶民の幸福だ。幹部は、その目的のためにいる。このことを忘れてはならない。
学歴や自らの地位に傲って、こうした庶民を馬鹿にするような人間を、絶対に許してはならない。
見栄っ張りは危ない。こういう人間が幹部となって、威張り出すと、学会が壊されてしまう。利用されてしまう。
そして結局、本人も仏罰を受けることになる。
だからこそ、こうした人間には厳しく言っていくことだ。
私は、庶民に尽くしゆくリーダーを育ててきた。訓練してきた。
そして、庶民のための学会をつくってきたのである。
私は、200の名誉学術称号の栄蛍も、大学に行けなかった同志に捧げる思いで拝受している。
ともあれ、創価学会は永遠に民衆の側に立って戦う。
この一点を改めて確認しておきたい。
戸田先生は高らかに宣言なされた。
「いったい誰が、庶民を護(まも)るのか?それは、学会である!」
「庶民が強くなるとは、どういうことか?学会が強くなることである!」
これが我らの永遠の精神である。

日蓮大聖人は、御書の中で何度も次の涅槃経の文を引いておられる。
「もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法の中の怨敵である」(御書236ページ等、通解)
戸田先生はこうした御文を拝し、叫ばれた。
「『仏法中怨』の責を知り、かつ仏敵を放置しておくわけにはいかん」
「内なる敵が最も卑怯だ。その敵は断固、追放せよ!」
これまでも、嫉妬に狂い、私利私欲に溺れ、大恩ある学会に反逆した人間がいた。学会を分裂させようと、もくろんだ輩がいた。
仏法では、「嫉妬」は「提婆の心」として戒められている。
嫉妬、陰口、陰湿 ── こうしたことから団結が破壊される。心が分断される。それは学会の世界ではない。
悪の本質を鋭く見破っていかねばならない。
さらに、こう教えられた。
「戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!」
臆病では、正義は守れない。
私は青年時代、弟子として、戸田先生を守り抜いた。先生を守ることが正義を守り、学会を守ることであると確信していたからだ。
一番正しい人を守るなかに、すべてが含まれるのである。
先生は、訴えておられた。
「わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな! 信心の利剣で、魔を断ち切っていけ」
また、先生の講義をずる休みした幹部に対しては、「分かっていると思ったら大間違いだよ。聞くたびに境涯がひらけるのだ」と厳しく叱咤しておられた。
さらに、戸田先生のご指導に学びたい。
「大聖人の哲学は深い。これでよいというときはない。途中で慢心を起こしたら退転だ」
「経文にも、信心強盛の人の処は、我此土安穏と説かれている。
なんで恐ろしいことがあろうか。
さまざまな世情に、学会幹部は一喜一憂して紛動されては断じてなりません。そんな心弱い、惰弱なことでは、広宣流布の大業を遂行することは、決してできない」
時代が乱世であるからこそ、強盛な信心を奮い起こし、わが同志が一人ももれなく「無事安穏」で、功徳を受けきっていけるように、聡明にして確信ある指揮をお願いしたい。
先生は青年部に、大きな期待を寄せておられた。
「若人こそ、広宣流布の大使命を果たしうるのです。あなた方の使命は偉大です。
信を起こし、御本尊を頂いた瞬間に、我々は『汝広く此の経を流布し、一切衆生を救はんがために此の経を宣べよ』との仏勅を蒙っているのである」
私もまた、青年に未来の一切を託すつもりである。青年部の存在が、ますます重要だ。

先生は、こうも言われた。
「『和』の集いが大切である。この和の集いの中から、さあ、今月も、御本尊へのご奉公をしようという意欲が湧いてくる」
大切なのは団結だ。広宣流布へと心を合わせ、異体同心で進んでいく。そこに偉大な前進がある。
尊き仏子の集まりである学会の会合は、法華経の会座そのものである。
一回一回、真剣に、来られた方が、本当に良かったという会合にしていかなければいけない。そのために、リーダーは最大に心を砕いていくべきだ。
また、戸田先生は、弟子の姿勢について、こう訴えておられた。
「師匠の話を全身で受け止め、信仰の上でも、生活の上でも、信・行・学を実践していくべきである」
「牧口先生の話を話として聞いては駄目で、耳でなく、また頭でもなく、体で聞くという態度でなければなりませぬ」
私もまた、戸田先生が言われる一言一句を全身で受けとめ、そのまま実践してきた。すべてを実現した。
先生は、周りの幹部に言われていた。
「大作を見よ!」
「大作は一を聞いて百を知る。お前たちは何十ぺん聞いてもわからない。格段の差だ」
先生が、どれほど私を大事にしてくださったか。
私は体が弱く、医者からも30歳までしか生きられないと言われた。
先生は、「大作さえ健康でいてくれたら!」と何度も言っておられた。
ある時は、私の妻の実家を訪れて、〝大作には本当に苦労ばかりかけてしまった。大作がいなければ、学会の将来は真っ暗だ〟と大泣きして語られた。
こういう師弟だった。師弟不二だった。
どんなことがあっても、大作を丈夫にして、第3代の会長にしたい ── これが先生の思いだった。
昭和32年(1957年)の大阪事件で、私が大阪へ向かう途中、羽田空港で先生は言われた。
「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
本当にありがたい師匠であった。
創価の三代の師弟ありてこそ、学会はここまで世界的になった。あらゆる迫害をはねのけて、未曾有の大発展を遂げたのである。
この一点を断じて忘れてはならない。未来のために、強く訴えておきたい。

戸田先生の大確信は本当にすごかった。
先生は叫ばれた。
「民衆の万年の幸福を確立することが、創価学会の使命である」
「民衆救済の大責務は、創価学会の肩にかかっている」
「〝闘争人〟というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです」
そしてこう言われた。
「現代の広宣流布は、不幸な民衆一人ひとりを救っていく活動である。辛抱つよく一対一で、日蓮大聖人の真の仏法を説き、納得させて、一人が一人を救っていく以外に方法はない。これが創価学会の使命とする実践活動だ」
どこまでいっても、広宣流布の根本は「一対一の対話」である。
一人一人の苦悩に耳を傾け、絶対的幸福への道を教えていくことだ。
また、婦人部をはじめ、そうした実践をしておられる方々が最高に尊貴なのである。

世界で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリー氏。
氏はかつて私に、著書を贈ってくださった。
自伝の最後に、氏は、こう述べておられる。
「私はまだこれからなすべき仕事があることを何よりも感謝している」(吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』草思社)
一つの山を制覇したら、新たな山の踏破を!
前進し、戦い続けるなかに人間としての成長がある。人生の醍醐味がある。
世界に平和と幸福の大道を広げゆく広宣流布は、人間として最極の聖業である。生ある限り、その聖業のために走り抜いてまいりたい。
ブラジルの大作家ギマランエス・ローザは綴った。「指揮するということは、冷静を保って、より勇敢になることなのである」(中川敏訳「大いなる奥地」、『筑摩世界文学大系83』所収、筑摩書房)
リーダーは、だれよりも勇敢であれ! ── 私はこう強く訴えたい。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
リーダーは正義を叫び抜くことだ。学会を破壊しようとする敵に対しては、断固たる破折の鉄槌を加えていくことだ。
大聖人は、民衆を不幸に陥れる誤った思想を徹底して破折された。牧口先生もそうだった。
叫んだ分だけ、善は拡大していくのである。
結びに、戸田先生の言葉を紹介し、私の記念のスピーチとしたい。
「いま、私には、前進があるだけだ。
闘争があるだけだ。そして勝利があるだけだ。
前へ前へ向かって!」
まっすぐに、伸び伸びと、攻撃精神を発揮して、明るく、足音高く、前へ進んでいく。これが学会精神だ。
「創立の月」から、ともに、新たな戦いを開始しよう!
きょうは、本当にありがとう! (大拍手)