投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月18日(火)00時00分3秒     通報
【第64回本部幹部会、第31回SGI総会、第5回関東総会、第6回四国栄光総会】
(2006.10.12)

皆さん、気取らずに(笑い)。私たちは創価家族である。
「あー、早く終わらないかなー」と(大笑い)背伸びでもして、ゆったりした気持ちで聞いていただきたい。

きょうは第64回本部幹部会、第5回関東総会、第6回四国栄光総会、第31回SGI(創価学会インタナショナル)総会、おめでとう!
特に、大関東の皆さま、おめでとう! 四国の皆さま、遠いところ、ご苦労さま!
さらに、全国の同志の皆さま、「前進・勝利の年」へのスタート、おめでとうございます!(大拍手)

そして、アメリカ芸術部の皆さま、素晴らしい演技、本当に、本当に、ありがとうございました! (大拍手)
まさに「天の曲」であり「天の舞」でした。夢のようなひとときでした。
〈スピーチに先立ち、アメリカSGI芸術部を中心とする「平和のための国際芸術家委員会」(ICAP)が、SGI会長の200の名誉学術称号を慶祝する「師弟のファンファーレ」コンサートを披露。
詩、音楽、舞踊、映像による総合芸術が、会場を感動でいっぱいに〉
法華経寿量品の自我偈には説かれている。
「衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆伎楽」(=衆生の遊楽する所なり 諸天は天鼓を撃って 常に衆の伎楽を作し)。
妙法の世界は、多くの天人が常に妙なる音楽を奏でているというのである。妙音の大芸術家が歌い舞う姿は、それと二重写しになる。
逆に、妙法に生きる喜びを歌い奏でる姿がないならば、法華経に則っているとはいえないであろう。
きょうの皆さまの姿は、まさに法華経に説かれたそのままの一コマであり、広宣流布へ喜び勇んで進む学会の姿を凝縮した、素晴らしい絵巻であった。
全員が、「尊極の生命の宝の塔」という真髄の姿をあらわしておられた。本当におめでとう!(大拍手)

ともあれ、私たちの広宣流布の活動は、すべて、法華経の法理に則り、御書に仰せのままに進んでいることを、強く訴えておきたい。
時代は混迷を深め、複雑さを増している。だからこそ私たちは、「希望の音律」とともに、「勇気の歌声」とともに、さらに明るく、常楽我浄の大行進を開始したい。
その象徴が、きょうの舞台であった。
あらためて、アメリカ芸術部の皆さん、本当にありがとう! サンキュー! (大拍手)

第31回のSGI総会、重ねて「おめでとう」と申し上げたい。
65カ国・地域の260人の海外の同志が、きょうは集ってくださった。日本の皆で心から讃えたい(大拍手)。
思えば、全同志の皆さま方を代表して、モスクワ大学から、私にとって第1号の名誉博士号をお受けしたのは、SGIの発足の年。1975年の5月であった。
以来31年 ── 。
今やSGIの平和・文化・教育の大運動が、各国の知性から支持され、讃嘆される時代が来ている。その証しが、このほど拝受した「200」の名誉学術称号なのである(大拍手)。
そしてこの栄誉は、わが同志が絶対に護られ、胸を張って歩める「信頼の道」を、全世界に大きく開くことができた証明である。
人類の宿命的な宗教紛争の流転を転換しゆく、確かなる潮流を起こしているという、SGIの勝利の姿なのである(大拍手)。

今回、インドの友が、喜びを込めて、一冊の本を届けてくださった。
それは、インドの高校生(3年生)が、通信教育などで学ぶ英語の教科書である。
〈インド政府教育局による全国オープン。スクールの通信教育プログラムで使用されている教科書。
同スクールは、学校教育を諸事情で継続できなかった人に教育の機会を提供するもので、全国に10カ所の地域センターと、2000カ所の学習センターを持つ〉
じつは、この教科書で、アレクサンダー大王やガンジー、タゴール、ネルーなどとともに、光栄にも、私の足跡が取り上げられているという報告であった(大拍手)。
今、私の手元にその教科書があるが、ここには次のような一節がある。
「池田博士は常に、庶民として生まれたことを誇りに思っています。
博士を偉大にしているものは、幾百万の門下を友として、人類の幸福と恒久平和の実現のために、恩師の精神を受け継ぎ、実践し抜いていることです」
つまり、「恩師の精神を継承した」ことを〝ホシ〟と見てくださっているのである。
さらに教科書は、こう続けてくださっている。
「恩師に対する限りなき尊敬、美しき地球を舞台に喜びに満ちた交響詩を歌いながら前進する地球家族というビジョン、そして、生きる素晴らしさを教えるととにおいて、池田氏はまさに〝生きた伝説〟の域にまで達しようとしているのです」
まことに過分な評価で、恐縮である。
ただ、仏教源流の天地インドでも、「創価の師弟の道」「創価の同志の結合」に、これほど深い信頼が寄せられたことは、大変な慶事であり、私たちの未来に明るい道が開けていると確信できる出来事であると思い、紹介させていただいた。
教科書が正当に評価してくださっている通り、創価の三代は、「師弟不二」に徹したから勝った。
師弟こそ、勝利への絶対の法則である。それ以外に何もない。
そして、創価の三代は、けなげな庶民を大事にしたから勝った。
学歴や地位は、信心の世界に関係ない。
大聖人の仰せのままに進む人こそ仏であり、永遠不滅の栄光の人生を生きゆく法則をつかんだ人なのである。
そして、この「師弟」の精神、「庶民とともに」という精神を受け継ぐ青年がいるか否か。これで、広宣流布の将来は決まる。

11世紀・中国の思想家・周敦頤先生の言葉を紹介したい。
周先生は、近世の東アジアの思想に大きな影響を及ぼした宋学の確立に寄与した学者である。
「或(人)問うて曰く、曷をか天下の善と爲す。曰く、師なり」(西晋一郎・小糸夏次郎訳註『太極圖説・通書 西銘・正蒙』岩波文庫)
何をもって天下の善とするか ── それは師匠であるというのである。
私は、戸田先生を師匠と決めた。師匠のために働きに働いた。命を捧げ抜いた。
師弟こそ仏法の真髄であるからだ。
さらに周先生は言う。「師道立つときは則ち善人多し」(同)
ひとたび、師弟の道が確立すれば、自ずと、善い人が集まってくる。学会も同じ方程式で進んでいる。

私は、戸田先生から、政治、経済、法律、漢文、化学、物理学、天文学など万般の学問を教わった。
当時、戸田先生の事業難で、私は、思うように学校にも行けなかった。
先生は「苦労をかけてすまないな。だけど、ぼくが全力をあげて、君を育てるからな」と毎朝のように講義をしてくださり、日曜日もご自宅に呼んでくださったのである。
忘れ得ぬ一対一の師弟の薫陶であった。

ドイツの有名な詩人シラー。
彼もまた、モスクワ大学の名誉称号の受章者である。
シラーは綴っている。
「強みは団結にあり、滅亡の原因は邪推と内部の分裂にあった」(丸山武夫訳『オランダ独立史』岩波文庫。現代表記に改めた)
どんな組織も団体も、団結したところが勝っている。ばらばらでは、惨めな負け戦になるだけである。
学会は、御書に仰せの通り、異体同心で進んできた。だから勝ったのだ。これからも永遠に異体同心でいこう!(大拍手)

仏法の世界においては、信心が強い人、広宣流布に向かう心の強い人が偉いのである。折伏をする人、使命ある学会を守りゆく人が偉いのである。人間がつくった位などに惑わされてはいけない。

きょうはインドのメンバーもお見えになっている。インドの皆さま、いらっしゃいますか。〈会場のメンバーが元気よく挙手を〉
インド・タミール地方の大詩人ティルヴァッルヴァルの詩集(5~6世紀頃)を繙いてみたい。
私は「世界桂冠詩人」として、ほとんどの国の有名な詩人の作品には目を通している。
大詩人ティルヴァッルヴァルは叫ぶ。
「親密なふりをして内部の敵が現れたなら、多くの苦しみとともに確実に滅亡をもたらす」「妬みという比類なき罪をもつ者は、富を失い、地獄に赴く」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社東洋文庫)
内部の敵、つまり「師子身中の虫」を鋭く見破り、叩き出せ! ── これが戸田先生の遺言である。とくに幹部の中の増上慢の人間、嫉妬の人間に気をつけろと。本当に鋭い先生であられた。

「新しいものは、常に高らかに声をあげる。そして、旧い世界を変えるのだ」(『周恩来選集』人民出版社) ── 尊敬する中国の周恩来総理の言葉である。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。私も常に声の力によって、新しい時代の突破口を開いてきた。
リーダーは「声」が大事だ。皆が眠くなるような元気のない声であったり、自分勝手に偉そうに話をして皆に嫌われるようではいけない。
まずは、朗々とした勤行から出発することだ。そこから一切の勝利が開けてくる。

沖縄の皆さんは来ておられますか。〈「ハイ」と元気な返事が〉
沖縄の大勝利、おめでとう! 私はうれしい!(大拍手)
沖縄が勝てば、皆が勝つ。沖縄が負ければ、皆が負ける。そういう不思議な使命を持っているのが沖縄である。
沖縄の皆さん、断じて、連戦連勝の前進をお願いします(大拍手)。

17世紀に活躍したチェコの教育思想家コメニウスは、「近代教育の父」「平和教育の先駆者」と謳われる。創価教育の父である牧口先生も敬愛しておられた。
コメニウスは綴っている。
「勇気は逆境の中でライオンのように勇敢で大胆です」(井ノ口淳三訳『世界図絵』平凡社ライブラリー)
勇気ある人は、朗らかである。声高らかである。周りにいる人も安心する。
反対に、臆病は魔物である。臆病者は、得てして、陰で悪事を働く。
私たちの信仰の根幹は「勇気」である。いかなる逆境の中でも、師子王のごとき勇気を持てる人が、本当に信心強き人である。

きょう集った青年部の諸君は、できるならば、お父さんお母さんに、何かおみやげを買って帰ってほしい。
高いものでなくてかまわない。真心が伝われば、それでいいのである。学会の青年部は、第一に親孝行であってもらいたいのだ。

さて、皆さんの人生の楽しみとは何か?
古代ローマの哲学者セネカは言う。
「大きな楽しみは、古くからの確かな友情を続けることのみならず、新しい友情を開拓して築き上げることからも得られる」(高橋宏幸訳『セネカ哲学全集5』岩波書店)
古くからの友情を大事にし、新しい友情を広げていく。そこに人生の大きな楽しみがあると。
善き友の拡大こそ仏法の根本である。それを大切にしてきたから、学会は明るく朗らかに発展してきた。
これからも大きく友情の道を開いてまいりたい(大拍手)。

先ほど紹介した大詩人ティルヴァッルヴァルは述べている。
「良き交友ほど優れた味方はない。悪しき交友ほど不幸をもたらすものもない」(前掲『ティルックラル』)
その通りである。
さらに大詩人は謳う。
「知恵は心の中にあるようにみえるが、じつは交友の中にある」(同)
知恵とは、人と人との友情のつながりの中に表れるというのである。
その意味でも、一人にならないで、善き友と一緒に進むことが大切なのである。
戸田先生は「現代人の不幸の一つは、知識と知恵を混同していることだ」と鋭く指摘しておられた。
知識が即、知恵ではない。知識は大事だが、ただそれだけでは、石のようなものである。
それらを皆の幸福のために生かしていく知恵を持っているかどうか ── その源泉が仏法なのである。

戸田先生の心には、いつも牧口先生がいらっしゃった。口を開くたびに、「牧口先生はこうおっしゃっていたよ」
「牧口先生はこう考えておられたよ」と懐かしそうに話してくださったものである。
私も、戸田先生のご指導は、すべて詳細に記録に残してある。今も私は戸田先生とともに生き抜いている。
アメリカの哲学者デューイもまた、牧口先生が注目した哲学者の一人であった。
彼の有名な言葉にこうある。
「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張るところにある」(石田理訳、ジョージ・ダイキューゼン著『ジョン・デューイの生涯と思想』清水弘文堂から)
忍耐強い人、粘り強い人が、最後は勝つ。仏法も同じである。
「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書1190ページ)の心で、忍耐強く、粘り強く進んでまいりたい。

ドイツの文豪ゲーテ。彼も、モスクワ大学から名誉称号を受章している。
ゲーテは、こう綴っている。
「うたがいもなく、幸福をつくるものはただわれらの心だ」(竹山道雄訳『若きウェルテルの悩み』岩波文庫)
大聖人は「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と仰せである。哲人も同じ視点である。
再び、ティルヴァッルヴァルの言葉を紹介したい。
「顔に喜びをたたえ、快い眼差しを向け、心に喜びをもって、快い言葉を語ることこそ、正しい道である」(前掲『ティルックラル』)
威張ったり、相手を不快にさせるようなことを言うようではいけない。
「顔に喜びを」「快い言葉を」 ── 。
たとえば、夫婦の間もそうであろう。
朝から喧嘩をしても、つまらない。にこやかに「おはよう! 」と声をかける。「ご飯まだかい」「もうすぐです」「……うん、いつでもいいよ」(爆笑)。どんな言い方でもかまわないが、互いへの思いやりがあれば、気持ちのいい朝になるものだ。
学会活動も、「快く」行っていきたい。リーダーは、皆に窮屈な思いをさせてはいけない。とくに最高幹部は、最敬礼して同志を大切にしていかねばならない。

庶民を見下し、威張る人間に対しては、私は厳しく戦ってきた。良心ある、誠実で純粋な同志を守るためである。〝法盗人〟から学会を守るためである。
皆さんも、さらにさらに、賢明であっていただきたい。
ティルヴァッルヴァルは述べている。
「偉大なる者には驕りがない。卑小なる者は驕り[という車]に乗り込む」(同)
その通りである。
傲慢な人間を糾し、真面目に進む人を大事にする。それが、人間らしい世界である。広宣流布の真の姿である。
チェコの教育思想家コメニウスは言った。
「嫉妬は、他人の不幸を願い、自分をやつれ衰えさせる」(前掲『世界図絵』)
嫉妬によって、人を陥れようとした人間は、かえって自らが敗北者になる。それが道理である。

19世紀のデンマークの思想家キルケゴールは述べている。
「臆病の虫にとりつかれると、その人はよきことを行なわなくなる」(浜田恂子訳「四つの建徳的講話」、『キルケゴールの講話・遺稿集2』所収、新地書房)
臆病ではいけない。勇気をもて! ── この心で進もう! 頼むよ! 〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
ドイツの詩人シラーは「偽善と虚偽は栄えず」と綴った(宮下啓三訳「群盗」、『世界文学全集17』所収、講談社)。
正直な心、誠実な心で、私たちは前進したい。

日蓮大聖人は、弟子の最蓮房との師弟の関係について、「無始の昔からの約束であり、『常に師とともに生ぜん』」と記されている(御書1342ページ、通解)。
今世だけの約束ではない。三世永遠の絆がある ── これが、仏法上の師弟の定義なのである。
師匠をもたない人間は、動物的な生き方となってしまうものだ。
学校の師匠がいる。人生の師匠がいる。仏法では、尊ぶべき三つの徳として「師」に「親」「主」を加え、「主師親」と説く。それを具えたのが日蓮大聖人であられる。
ともあれ、自身を高めゆく師をもつ人生は、深く、強く、美しい。
三世永遠に、師弟の大道を歩んでまいりたい。

それにしても、きょうのアメリカ芸術部の舞台は素晴らしかった。とりわけ、「星落秋風五丈原」の歌の上手だったこと! (大拍手)
驚きました。本当に感動しました。
ここに戸田先生がおられたら、泣いていらっしゃったにちがいない。
ある年の新春、私は、戸田先生の前で、この歌を初めて披露させていただいた。〈1953年(昭和28年)〉
この歌の作詞をした土井晩翠は、近代日本を代表する詩人である。歌詞には、深き魂が込められている。
民を救うために戦い抜いた「丞相」 ── 「諸葛孔明」の姿に、広宣流布の大指導者である戸田城聖先生を重ね合わせた。
先生を讃えるために、この曲を歌わせていただいたのである。
先生は、涙を流しながら聞いてくださった。
そして、「いい歌だ。大作、もう一度、歌って聴かせてくれないか」と言われた。
私は歌った。さらに先生は「もう一度」「もう一度」と。
何度も何度も歌った。師弟の厳粛な瞬間であった。
きょうの皆さんの合唱も、私は一生忘れません。
ありがとうございます。本当に上手でした。真心が輝いていました!
皆で拍手を送りたい。
アメリカ芸術部の皆さん、ありがとう! 本当にありがとう!(大拍手)

日蓮大聖人は仰せである。
「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151ページ、通解)
また、大聖人は「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(同900ページ、通解)とも述べておられる。
仏法の根本は「師弟」だ。弟子が師に心を合わせ、真剣に祈り、戦っていく ── それでこそ、広宣流布を成し遂げていくことができるのだ。
また、御書にはこう記されている。
「法華経の大海の智慧の水を受けた根源の師を忘れ、よそへ心を移すならば、必ず生死に輪廻する災いとなるのである」(同1055ページ、通解)
「根源の師」とは大聖人である。この師を忘れ、他の師を求めるならば、苦悩の流転を繰り返すことになる、との厳しき仰せである。

きょうは海外から、懐かしい同志も参加してくださっている。
たとえ年を取ったとしても、胸を張って生き生きと、朗らかに前進していただきたい。断じて勝ち抜いてもらいたい。
私はこれまで、何十年にもわたって、世界の指導者や学者と語り合ってきた。一人、先頭に立って「平和の道」「友情の道」を切り開いてきた。
また、学会を守るため、友の幸福のために、人知れず、あらゆる手を打ってきた。敵を味方に変え、孤軍奮闘して「広宣流布の道」を切り開いてきた。
この厳粛なる事実は、亡き恩師・戸田先生が、すべてご存じであると確信する。また、諸天が見てくださっている。私の妻も、すべてを知っている。
嘘や嫉妬の中傷を浴びながら、私は尊き同志の皆さまとともに、今日の学会を築いてきた。
世界に広がる、平和と文化と教育の大城を築いてきたのである(大拍手)。

ここで、戸田先生の指導を紹介したい。
先生は言われた。
「人を育てよう! それが、何よりも未来につながる勝利の道だ」
大切なのは「人を育てる」ことだ。
自分よりも偉くなってもらいたい。君たちに、全部託すよ。頼むよ ── こうした思いで後輩に接していくことだ。
私は戸田先生にそう教わり、その通りに祈り、実践してきた。
青年をアゴで使い、自分は楽をする ── それは最低の指導者だ。
決して傲慢や、卑怯であってはならない。それでは人は育たない。
青年の育成こそ、未来につながる道である。
後輩を育てよう! 伸び伸びと活躍させていこう! (大拍手)
先生は、こうも言われた。
「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」
妙法を持った一人の女性、女子部員の生き生きとした姿 ── それを皆が讃嘆する。共感する。驚きをもって見つめる。それが広宣流布へと、つながっていくのだ。

戸田先生は語っておられた。
「私は20歳の時、師(牧口初代会長)に仕え、43歳にして牢に入りました。その間の20有余年、一度も師に心配をかけないでまいりました」
戸田先生は、牧口先生に対して絶対に迷惑をかけなかった。牧口先生を守って守り抜いてこられた。一緒に牢獄にまで行かれた。
私もまた、同じように先生にお仕えした。
師匠を守り抜いた。戦い抜いた。だからこそ、今の私があるのだ。
先生は、こうも言われた。
「大作は、私が育て抜いた人間だ。何ものをも恐れない」
「大作に託すしかない」
遺言ともいうべき言葉である。
先生はまた、口癖のようにおっしゃった。
「大作は、言ったことは必ずやる」
「大作がいれば、心配ない」
「大作がいれば、安心だ!」
このことは、牧口門下生も聞いている。
先生は、これほど私のことを信頼してくださったのである。
こうも言われた。
「3代で決まる。3代が大事だ! 3代を守り抜け! 」
「一閻浮提広布への完壁なる基盤を、第3代の時代に築いていけ!」
私は全部、その通りにした。世界広布への完壁な基盤を築き上げた。
先生は私に、「世界の知性と友情を結ぶのだ。
君の開く道を多くの青年たちが続いていくだろう」とも指導してくださった。
言葉のままに、私は世界を駆けてきた。

私は戸田先生の前で、よく歌を歌った。
先生は素晴らしい歌を聞かれると本当に喜ばれた。
そして、「この歌を大いに歌って、活発に戦い抜け!」と言われたのである。
先生は、傲慢な政治家に対して厳しかった。
「自己の地位や名誉にのみこだわって、本来の使命を忘れている権力者は、悪人なのである」と叫ばれ、こうした人間には気をつけろと厳命された。
また、私に対して「大作、勉強だ、勉強だ」と、いつも言われていたことが忘れられない。

〝近代看護の母〟ナイチンゲールは語った。
「宗教的な深みのない生活は薄っぺらなものです」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)
本当にその通りだ。哲学や精神性がなければ、価値ある人生を送ることはできない。
古代中国の歴史書『国語』には、「功績のない者は、高位に居ようとしてはならない」(大野峻著『新釈漢文大系67』明治書院)との言葉が記されている。
功績もなく、実力もない人間を、高い立場につけてはいけない。戸田先生も、よく言われていた。
哲学者の阿部次郎が著した『三太郎の日記』には、次のような内容が記されている。
── 我等には生活の中心が必要である。では、いかにして生活の中心を発見すべきなのか。
それには、自ら「師匠」を選んで、自分の鍛錬を、その師匠に託すことである ──
師匠を持ち、自らを鍛えていく。ここに一番正しい人生の生き方がある。
ある海外の識者が、こう語ってくださった。
「ソクラテス、プラトンに流れる『師弟の絆』が、時と姿を変え、ここに出現したのが戸田会長と池田博士であると思います」
〈ボリビアの名門・国立ガブリエル・レネ・モレノ自治大学のアカミネ教授の言葉。教授は続けて「この二人が築かれた歴史は、人類に大きな光を与えるでしょう」と述べている〉
美しい言葉だ。過分な評価であるが、弟子として、師匠・戸田先生を宣揚できることほど、うれしいことはない。その意味で、紹介させていただいた。
きょうは長時間、ありがとう! ご静聴、感謝申し上げます!
海外の同志も、本当にご苦労さま! 皆さまのご健康と勝利を心から祈ります!(大拍手)
〈スピーチを終えたSGI会長は、会場のピアノに向かい、〝大楠公〟、「熱原の三烈士」などの曲を演奏した〉
アメリカ芸術部の皆さんの演技に対して、少しでもお応えしたいとの真心を込めました。
どうかお元気で! サンキュー! (大拍手)

※編集部として、SGI会長の了承のもと、衛星中継された内容に加筆して掲載しました。