投稿者:田中太郎   投稿日:2015年 8月16日(日)15時40分42秒     通報 編集済
192カ国に広がった創価学会
師匠のこの平和思想と行動があったればこそであると確信する
「平和憲法と日本」     池田大作全集 第18巻「私の人生観」よりp369-376

日本国憲法が、戦争放棄を宣言した、世界に前例のない憲法であることは、今さらあらためて述べるまでもない。

この憲法を特徴づけている基本的人権、主権在民、戦争放棄の柱のなかでも、戦争放棄はまったく画期的な宣言といえよう。というのは、基本的人権の擁護や主権在民については、アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言に、すでに明示されているが、戦争の放棄だけは、いまだかつてどこの国でも規定した憲法は、なかったからである。

その意味からも、日本国憲法の最も重要なポイントは“平和”であり、平和憲法ということこそ、この憲法の最高に誇りうる栄冠であると私は考える。

同時に―核戦争の恐ろしさに脅える現代の世界にあって、未来への唯一の希望を育てていける道も、この憲法の精神を、日本民族が広めていくかどうかにかかっているといってもよかろう。

残念ながら、戦後二十余年にわたって、万年与党として政権を担当してきたわが国の保守党は、本来、この憲法制定に重大なる寄与をしたアメリカのその後の政策変更に追随して軍備の復活を進め、平和憲法を害虫がリンゴについたように空洞化してしまった。それでも飽きたらず、戦争放棄の規定を非現実的な理想主義と嘲笑し「国を守る気概」などと唱えながら、憲法改悪をすら企んでいるようである。

占領下に制定された平和憲法をめぐって、専門的には、種々、論議の余地があることも分からぬわけではない。しかし、それがどうあれ、この憲法の宣言した戦争放棄の条項が、辛い犠牲に泣いてきた国民大衆の心に、どれほど希望と喜びを与えてくれたか、計り知れないものがあった。

国民の大多数が、昭和に入ってずっとつづいた戦争のために、父を失い兄をなくし、夫と死別し息子を死なせた、悲しい思い出をもっていた。しかも、戦争に負け、国は焦土と化した。大事な人々の死は、まったくの犬死になってしまったことであろう。いな、かりに勝っていたとしても、死んだものは再び帰ってはこない。

何のために死んだのか。そして、残された身として、何のための苦労だったのか。戦後、ポツダム宣言にしたがって、占領軍の指示のもとに軍備の一切が解除され軍隊がなくなり、日本が平和国家として生まれ変わっていったときに、初めて民衆は、このための苦労であり犠牲であったのだと理解したのである。

それは弱い庶民の諦めからくる慰めだと言えたかもしれぬ。だが、そのように軽蔑したり平和の理想を捨てさせるような言動は、いかなる権力者でもできないはずだ。そんな資格は、だれにもないばかりか、もしあえて言い出すとすれば、それこそ過去の軍国ファッショの亡霊と、非難されるべきであろう。

憲法が発布された当時、私はようやく十九歳になったばかりであった。もとより、憲法制定に絡まる、裏面の動きなど知るよしもない。しかし、そこに盛られた主権在民、戦争放棄の規定には、戦時中の苦しみや悲しみや、恐ろしさの体験から滲みでた、心からの共鳴を覚えたことを記憶している。この思いは、20余年間、一貫して変わったことはない。

今日、再軍備を進め憲法の改定を主張する人々は、戦争の体験を忘れた健忘症か、戦争で甘い汁を吸った“死の商人”の手代としか、私には考えられない。国民は、戦争でまず犠牲にされるのが、だれでもない国民自身であることを、常に念頭において彼らの言葉を判断すべきであろう。そうすれば、彼らのもったいぶった論理の裏に隠されている、悪魔の爪は手にとるように見えてくるはずである。

彼らはいう。 ―― 国民は国を守る気概を持たねばならない。泥棒に対して戸締りをするのは当たり前のことだ―と。では、どこかにピストル強盗が入ったからといって、各人がピストルで武装しなければならないのか。いったい、戸締りをするということが、どこで武装と結びつくのか、どうも不思議な論理になってしまう。

すくなくとも日本国民にとって、生命を脅かしてきた最大の敵は、外的よりもむしろ自国の為政者であったことは、歴史上の明白な事実でなかろうか。外からの侵入者のために、犠牲を出したのは、700年前の蒙古襲来の時ぐらいであろう。それ以外は、外国との戦争といえば、すべてこちらから仕掛けたものであり、そのための犠牲であったといっても過言ではない。

古くは、神功皇后の新羅征伐から豊臣秀吉の朝鮮征伐、そして近代の日清、日露、日中、太平洋戦争にいたるまで、ことごとく時の権力者に挑発されて行った戦争であった。その間の幾百万あるいは幾千万の犠牲は、すべて戦争を起こした権力者の野望による犠牲であったともいえよう。とすれば、国民は外敵の侵入に対して、国を守る気概を持つより以前に、まず、為政者の野望から身を守る気概をもつほうが大事のようである。

そして、この国民の“身の安全”を最も明確に規定しているのが、平和憲法の「戦争放棄」である。アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言と規を一にする基本的人権の擁護も、戦争放棄がなされて初めて究極的に実現されてくるだろう。

ちなみに、憲法の条文を引いてみる。

第11条には「国民は、ずべても基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民にあたへられる」

また、第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と述べている。

さらに第18条には「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とも規定している。

ところが、戦争というものを考えてみると、国家が戦争を行う以上、そこには必ずみずからの生命と自由と幸福追求への権利を剥奪される、国民を生ぜざるをえないだろう。戦線において、生命の安全を保障するものは、何もないはずだ。 ―― 規律を第一とする軍隊に自由が保障されないのも、むしろ自明の理であろう。職場や家庭から引き離されて、軍隊に入れられることは、幸福追求の権利を剥奪されることとまったく同義であろう。

もう一歩、広げていえば、基本的人権というからには、それは一国家の民だけに限定したものであってはならない。なぜなら、基本的人権とは、国や民族を超越して、あらゆる人間存在を想定した概念だからである。もし、かりに敵国であれ、人間を殺してもよいとするなら、そこに基本的人権という理念は成り立たないのである。つまり、戦争を認めるものには、基本的人権という言葉を、口にする資格すらありえないと考えるべきではあるまいか。

こうしてみると、戦争体験という過去の問題をかりに抜きにしても、現憲法の戦争放棄の条項は、純粋法理論の当然の帰結ということができよう。基本的人権を唱えながら、戦争を容認している諸外国の法にこそ、最大の矛盾があると言いたい。この矛盾が、若い人々の不信を呼び起こし、世代間の鋭い対決と抗争を惹き起こしているのである。

まして、これからの時代の動向をみれば、平和憲法は、人類が一歩一歩近づきつつある未来というものを、すでにいちはやく先取りした、きわめて稀有の法であったことが理解できる。戦争の愚かさを知って、軍備の強化よりも国民の福祉や国内産業の振興に力を注ぐ国が次第に増えている。北欧諸国しかり、オーストリアやスイスもしかりである。

世界を二分する超大国、アメリカとソ連もまた、ゆっくりとではあるが、この方向に傾きはじめている。この二大国の場合は、彼らがこれまで開発競争を繰り広げてきた核兵器が、いわゆる最終兵器であって、簡単に使えるものでないこと、傘下の諸国に批判の声が高まっていることにもよる。いずれにせよ、国家間の紛争を解決するのに武力を用いることを愚かだとする時代に近づいている事実に変わりない。

理念的には、生命の尊厳をすべての国家がその国民に対して保障しなければならない時代に入りはじめたと私は考える。政策的にも戦争に巨費を投じても失うものばかり多くて、得られるものはいかにも少ないことが常識化している。この両面の動機から、人類は、全体として戦争を放棄し、平和的に話し合うことによって相互の矛盾を解決する、一歩成人した段階に前進しているとみて、まず間違いないだろう。

事実、戦争よりも平和を、外国への侵略よりも国内産業の振興を図ったほうが、はるかに幸福と繁栄への近道であることは、幾多の国によって証明ずみであろう。いな、日本自体よく考えてみると、平和主義のおかげで、創造もできなかった今日の繁栄を遂げることができた典型ではなかろうか。科学技術の目覚しい革新と、平和なるゆえに蓄積された資本の増大が、これを可能にしたのである。

人類の未来にあって、日本民族が果たすべき最も大事な道が、ここに明らかに敷かれている。それは、とりもなおさず、平和憲法の精神と理想とを、あらゆる国々、あらゆる民族の心に植えつけ、戦争放棄の人間世界を広げて、この地球を、宇宙を覆いつくすことである。