2015年8月13日 投稿者:虹と創価家族 投稿日:2015年 8月13日(木)15時09分59秒 通報 編集済 大切な部分をご指摘頂きまして誠にありがとうございました。 >武装無くしての平和はあり得ん事を、この対談で語られてますなぁ。 あんまり綺麗事ばっかりでも現実の悪には対応はできまへん。< おっしゃる通りですね。 実際に現場でこのようなことがありました。 トインビー対談で、安保法制に反対する引用部分「4.〝平和憲法〟と自衛」の内容については皆様ご存知です。 特に「戦力の一切放棄」など、この部分のみを強く肯定派の会員に話すと「武器を持つ敵に対して、丸腰でただ殺されてよいのか!」と逆切れされた場合もありました。 八部鬼様がおっしゃるように先生は、トインビー対談の中で現実の対応を誤魔化しておりません。 以下長文になりますが、できましたら皆様ご一読下さい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 4.〝平和憲法〟と自衛(P.371) トインビー博士: したがって、私の見解では、日本にとって憲法第九条を堅持することは、今日のような混沌とした国際関係のなかにあっても、なお有効なことです。 もちろん、世界政府の樹立によって、世界の諸国民が現在の無秩序を終結させることに成功したとすれば、そのときこそ、先に第九条を憲法に盛り込むことによって、歴史の流れを正しく予測した日本の英知と先見の明は、きわめてはっきりと証明されるでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■ここで「世界政府の樹立によって、世界の諸国民が現在の無秩序を終結させる」という言葉が出てきます。 そして、八部鬼様がご引用された「5.未来の世界警察軍」の章にはいります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 5.未来の世界警察軍(P.372~375) 名誉会長: すでにこれまで申し上げてきた通り、一切の軍備は撤廃すべきであるというのが、私の信念です。 もちろん、警察力のような、国内の法と秩序を維持する最小限の装備は認めるにしても、それは将来、博士がおっしゃるような世界政府が誕生したとき、その管轄下に組み入れられるべきだと思います。 つまり、それまでは各国が世界政府樹立のために最大限の努力を傾けるべきであって、その目標が達成された暁に、すべての軍備を連邦制のものとすべきでしょう。 トインビー博士: 軍備をいかにすべきかの計画を立てる場合、われわれの目標は、その軍備の数量、致死性、使用を、すべて最小限に減少させるべきです。 ここで仮に、人類が世界政府の樹立に成功し、したがってそれを構成する各主権国家が二度と再び戦争を行なえなくなったと仮定してみましょう。 また、さらにそれらの国家がいかなる種類の国家的軍備を保有する事も禁じられ、しかも、この禁止が効果的に実施されたと仮定してみましょう。 この場合でも、私は、世界国家にはやはり武装警察軍が必要だと思います。 およそどんな主権国家でも、これまで警察力をまったく用いずにやってこれたためしのないことが知られています。 これは、たとえいかに統治が行き届いて、市民のほとんどが法を遵守しているような国家でも同じです。 取り締まらなければならない反社会的な少数分子というものは、いつの時代にも残存しているのです。 われわれが世界国家の樹立に成功した場合でも、私は、統治の行き届いた現在の地域的国家にもあてはまるはずだと思うのです。 名誉会長: 私も、法と秩序を維持するための力は、いつの時代にもなくてはならないものだと考えます。 もしそれがなくなってしまったら、善良な人間が苦しめられ、しかも自分を守ってくれるものがどこにもないことになってしまいます。 いかなる社会も、悪人がまったくいなくなり、不正が完全に姿を消すということはありえないからであり、また残念なことに、不正と悪は、正義と善よりも強いのが世の中の実相だからです。 トインビー博士: そこで、警察軍が必要であることにわれわれの意見の一致をみたにしても、なおわれわれは二つの問題に直面することになります。 世界国家の警察軍は、いかにして隊員を募集すべきか———-という問題です。 私の考えでは、世界国家の警察軍は、現在の国連スタッフと同じように、世界政府自らが直接に隊員募集に行うべきであり、各隊員は世界政府に忠誠を尽くさなければなりません。(中略) 私には、やはり世界政府は独自の警察軍を必要とし、その警察軍は武装を必要とし、その武装も適切にして十分な強力さを必要とすることは明らかだと思われます。 すなわち、世界政府の樹立は秩序を施き、正義を貫くことによってのみ可能なわけですが、この警察軍は、そうした義務を遂行するにあたって直面するかもしれない、考えられる最大限の抵抗に対しても、これを確実に打ち負かせるだけの、十分に強力な武器を必要とするはずです。・・・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■このように先生は明確に、一切の軍備は撤廃すべきであるという信念の元、「世界国家警察軍の構想」や、「警察力のような、国内の法と秩序を維持する最小限の装備の必要性」を述べられています。 ゆえに、丸腰で敵と戦う事は御座いませんし、やられっぱなしではありません。 トインビー博士は、そのような地球警察軍の必要性と武力強化を謳っていますが、ここで先生は必要とされる武力に対しても、「軍備の規制」や「核兵器」について具体的な基準を言われています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 5.未来の世界警察軍(P.376) 名誉会長: 現在の世界をみると、穏当な警察力をもってしては、善と正義を守るのにとても間に合わないでしょう。 この点、現実が、いかに理想から程遠いものであるか痛感さぜるをえません。 私は、世界警察軍が現在も必要であり、将来にわたって必要とされることについては同感です。 しかし、それはそれとして、軍備という面のみを取り上げれば、これを極度に規制することが必要です。 現実問題として、核兵器だけでも廃絶するよう、真剣な努力が払われるべきだと思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ■先生は必要な武力に対しても「核兵器の廃絶」は貫かれ、「軍備の極度な規制」の必要性を訴えていらっしゃいます。 この先生の基準は、政策を判断する上でも大切だと思います。 さて、公明党の推進する安保法制に最大限妥協したとしても「核兵器」はゆずれない部分です。 いくら非核三原則があろうと、実際に核兵器の輸送はしなくても、安保法制の拡大解釈で「核兵器の輸送は可能」は絶対に許せません。 また先生のおっしゃる「軍備の極度な規制」においても、安保法制の拡大解釈で「毒ガスや大量破壊兵器の輸送は可能」という内容では条文の見直しが必要です。 公明党がこのまま何もせず、安保法制を立法化すれば、上記の部分でもトインビー対談の内容に反する歴史が残ります。 そもそも安保法制の条文内容に問題があるのです。 これが、考え抜いて論議した結果なら、今の公明党議員は残念ながら力不足です。 ましてや安保法制を強行するまでは、こんなに学会内が混乱する事はなかったはずです。 そして残念な事に、現場では安保法制に反対する会員を「獅子身中の虫」「反逆者」と幹部が言っています。 自分は今回の安保法制の推進は、公明党が「抑止力」というあいまいな言葉ではなく、最初からきちんと「自衛隊の武力による平和維持や国際貢献が必要である」と明確にすればよかったと思います。 公明党は与党として自民党の状況も肌で理解したのでしょう。 法制は仕方ない世界の状況の流れから妥協点を見いだすのですから、安保法制を一般論として明確に立て分け、与党として本音の部分での説明が必要でした。 本音を話す勇気がないために「自衛隊の武力」を「抑止力」という言葉で曇らせ、会員の信仰心を利用したと感じています。 早い時点で、丁寧に対話形式で一人一人がきちんと理解出来るようなセミナーや、公明党内や学会内での反対派の受け皿になる機関も必要でした。 あまりにも審議不足であり、対話不足であり、説明不足です。 現場で、抑止力は何か未だに答えられない会員がいるのは、まさに公明党の説明不足の極み! ましてや、先生の平和思想に基づき小さな疑問を持った会員に対しては「異体同心を乱すのか!先生のつくられた公明党を支援しないのか!」と、その疑問を封じこめる幹部達。 一般論を、信仰心とごちゃまぜにするやり方に怒りが湧きます。 ゆえに以下のトインビー対談を引用し、安保法制には絶対反対致します。 そして、安保法制を肯定する会員には、「先生の平和思想と歴史を傷つける弟子」と断じます。 池田大作全集3巻【対談】二十一世紀への対話 P.369~370 〝平和憲法〟と自衛 名誉会長: 自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。 それは、対内的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。 すなわち、個人の生命自体を守るという、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権というものであると思います。 であるならば、その自衛権をもって他国の民衆の生命を侵すことができないのは、自明の理です。 ここに自衛権の行使ということの本質があります。 問題は、あらゆる国が他国からの侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現在の国際社会に人類の生存を脅かす戦争の危険が充満していることです。 しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して〝自衛〟できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。 それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。 私は、この問題は、国家対国家の関係における自衛の権利と、その行使の手段としての戦力というとらえ方では、もはや解決できない段階に入っていると考えます。 もう一度、出発点に立ち返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入ったと考えます。 私はこの立場から、戦力の一切を放棄し、安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義に託した、 日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。 そして、それを実あらしめるための戦いが我々の思想運動であると自覚しております。 トインビー博士:もし日本がその現行憲法の第九条を破棄するとしたらーいや、さらによくないことは、破棄せずにこれに違反するとしたらーそれは日本にとって破局的ともいうべき失敗になるでしょう。中略 憲法第九条をめぐる日本の政策いかんが、中国に対する日本の意向をはかる尺度となるでしょう。日本の再軍備は、たとえそれが真に自衛を目的とし、侵略を意図するものではないにしても、中国の疑惑と敵意をかきたてることでしょう。中略 (憲法九条放棄は)中国の核武装が十分に進んとき、日本に対するいわゆる予防戦争を誘発させることにもなりかねません。 その反対に、日本が第九条を遵守するかぎり、たとえ中国が第一級の核大国になった場合でも、日本は、中国から攻撃される危険性はないでしょう。 池田大作全集3巻【対談】二十一世紀への対話 P.361 代理戦争とアジア 名誉会長: 相互防衛、集団安全保障という考え方は、侵略主義の脅威に対して、防衛的な価値をもつものとして生まれたものでした。しかし、現実には何らの効果も発揮できなかったばかりか、むしろ二度にわたる世界大戦を生んだのも、じつはほかならぬ、この相互防衛ないし集団安全保障という原理であったということが、結果的にいえるわけです。まして当時に比べ、現在は核兵器の登場によって、戦争そのものの質が変わってしまっております。極端にいえば、現在では正義を守る戦争さえありえない、つまり、戦争そのものによって正義も滅び去ってしまうと思います。 以上 長文をお読み頂き誠にありがとうございました。 また八部鬼様、重ねまして心より感謝申し上げます。 Tweet